時事ブログ「グースの勿忘草」

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「時が熱狂と偏見をやわらげた暁には、また、理性が虚偽からその仮面を剥ぎ取った暁には、そのときこそ正義の女神はそのはかりの均衡を保ちながら、過去の賞罰の多くに、そのところを変えることを要求するであろう」
 ラダー・ビノド・パール判事の判決文より。
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投稿者:つよぽん
 はじめまして
大学で、広田照幸の本を読んでて思ったのですが、戦後直後の犯罪件数は多い。その時代の人は、教育勅語で育ってきたはずなのですが。乱世には、いかなる道徳的理想も役には立たないということでしょうか悲しいですね。

最近思ったのですが、伝統とか文化ってなんですか。自分にとって、近くの神社のさめつり500円というぼったくりなお祭りは自分にとって文化だし伝統だけど、他の地域にとってはなんでもないし、日本の文化といってテレビで紹介されるものに自分の地域は縁がなかったりする。 
地域差があるから、画一的に教育するのはやめたほうがいいね
投稿者:akio
 聞かれてもいないのに、自分の主義主張を人様のブログのコメント欄に長々と書くような、常識に欠ける行動は慎んだほうがいいのではないでしょうか。続きはご自分の領域でお願いします。
投稿者:こばこば
本当に、愛国心がない人は、そもそも教育基本法問題に興味も関心もない人です。
 多くの子どもや若者は、そして、教育関係者は、教育基本法なんて、普段から意識していません。教職員組合だって教育基本法を現場で生かす努力なんてほとんどしてこなかった。せいぜい職員会議と入学式・卒業式のときだけで、子どもや保護者の声は、無視された存在でした。いわば、これまでだって教育基本法をほとんど黙視してきても、教育は成り立ったわけです。国民的な参加や議論の高まりを待たず、上滑りしたまま議論をすれば、愛国心に名を借りた薄っぺらな小役人をたくさん作り出すだけです。
 かつて国を批判した者(単純な嫌国心ではなく)がもっとも国を愛していたという事実を忘れるべきではないと思います。

 最後に、国を愛するのであれば、今は、北海道産の牛乳を飲むことがいいと思います。今、北海道は、牛乳がたくさん余って酪農家の方も道庁も政府も困っています。税金のみならず、大地の恵みをも国民は無駄にしていいのだろうかと最近思います。牛乳は、栄養満点な飲み物で、健康にもいいですし、毎日飲むことで国の医療費の抑制にもつながると考えます。よって、このブログを読む人が一人1日500ミリリットル(それこそ強制でw)牛乳を飲むべきであると思いますが、いかがでしょうか。国を愛するのであれば。
というわけで、長くなったので去りますが、のどが渇きましたので私も、早速牛乳を飲むことにします。
投稿者:こばこば
左派勢力が問題なのは、国家による人権保障の役割を無視し、闇雲に「権力からの自由」を主張することではないでしょうか。国家には、国民の基本的人権の保障を担う役割や機能があります。そのために、国が、主導的な立場で動くこともあります。北朝鮮拉致問題は、その基本である国の主権の侵害であり、被害者の人権が北朝鮮という国家によって侵害されたからです。だから、小泉首相が北朝鮮に2度も訪朝しても、「税金の無駄」という人はほとんどいないのです。
左派勢力は、「権力からの自由」を主張しながら、一方で、財政難を顧みず福祉や教育の拡大など、都合のいいように、国家を利用しようとしていること、革新勢力は、平和や人権を自らの独占物のようにしてしまっていることは、問題であると思われます。保守層の愛国心教育を求める声も、こうした事態に対する苛立ちがあるのではないでしょうか。
 ただ、同様のことは、右派にもいえることです。右派が愛国心をまるで自分たちの独占物のように言うのは、おかしいことです。
 たとえば、戦前に、戦争反対や民主主義を求めて獄死した人々がいる。彼らは、個人的な権利の保障ということ以上に、この国の国民や国家のことを思い、あえて自らの命を顧みず、主張したのです。彼らの魂は自由であったし、本当に、この国を愛していたのではないでしょうか。このような形で、国のために死ぬというのは、究極の愛国心といってよいでしょう。
 同じことは、現在においても、国の政策を批判する人たちは、愛国心を持っているといえるでしょう。なぜなら自分の意思と国家の意思をつなごうとしている人たちだからです。
誤解を恐れずにいえば、教育基本法の改正に反対する人々にも、愛国心はあるのです。
投稿者:こばこば
>くろり様。
 まず、国だけでなく、自治体や市場からもたらされる利益も大きいと思います。あるいは地域共同体や学校、企業を通しても。個人的には、愛国心より、大学生も含めて学生には、もう少し学校のことに、興味を持ってほしいと思います。特に、発達段階を考えれば、そのほうがイメージしやすいですから。
 私は、国の役割や責任は大きさ、公的サービスの充実度は、課題があるにせよ、大きいものと理解しています。しかし、それは、国が善意や無償の愛でサービスをしているわけではないでしょう。それらは、国民の払った税金によって、国民から信託を受けた政府が行うことで成り立っているわけです。
憲法は、国民主権のもと、大別して自由権や社会権など国民の諸権利を定める権利の章典とこれを保障していく統治機構(国会、内閣、裁判所など)から構成されています。市民革命以降、人権を高らかにうたいあげると同時に、その人権を保障するための統治機構は様々に論じ改革されてきました。日本では、国民公選による国会が、主権者たる国民に代わって統治権を行使する代表制の間接民主主義機関として機能してきたのです。
憲法という約束を通して、国民は納税の義務を課され、それを果たすと同時に、国家は、制度や政策によって、国民の負託に応え、人権保障に務める義務あるいは責任があり、国民はこれを教授するわけです。これは、私の考えではなく、法学や政治学・行政学の通説です。国民と国家は、契約関係にあるものといってよいでしょう。こういった国民と国家の契約関係に、あえて愛国心を盛り込んでなじむかどうか。私は、賛成しません。権利と義務の関係の議論も然りです。
愛国心のことを知らない人間の言うことでしょう。このようなロジックで愛国心を言うなら、脱税を平気でする人は、愛国心のかけらもない非国民ということになります。
投稿者:中畑
論旨がずれています。
いえ、わざとずらしたのでしょうがね。
投稿者:こばこば
 もうひとつ。愛国心は、法でその定義を規定されていないとありました。確かにその定義はないです。しかし、今後、それは、誰かの手によって自ずとそういった定義づけがなされるでしょう。
それ以上に、法社会学でいう人々の法意識や法現象を考察すれば、先走った勘違いな議論が展開されるのは目に見えています。
 先に、私は、嫌国心(たとえば、「日本ウザイ」のようなもの)を大事にしろ、育てよと一言も言っていないのに、そうした解釈論が出ました。そこには、愛国心が、国に従い、忠誠を誓うことというきわめて単純な愛の形があるのではないでしょうか。
 法改正がなされれば、その時点で愛国心というものが、一定の定義で括られようとするのは、政治家がやらなくとも誰かがやるのは目に見えています。
 教育で行うという場合は、ある程度の目的が伴うのは必然です。学校で行われる授業というのは、具体的な目的(児童生徒に身につけさせたい力)が1時間、1時間あるわけです。それをどういった形であれ、子どもたちと共有しながらやらなければ、その授業は、崩壊します。
強制すればいいという人もいます。それでは、崇拝する心は生まれますが、愛する心は生まれません。さらに言えば、そういった子どもたちに無駄な負担を強いる教育方法は、北朝鮮をはじめとする東アジアでもてはやされているものとまったく変わらないものです。
愛国心を育てるといっても、その定義が広ければ、現場は、混乱するし、子どもたちも何をやっているのかわかりません。(国歌が歌えればいいというのであれば、それはわかりやすいですが。)第一、どの程度、教育効果があるのか、わからず、財政難のこの時代、納税者の反発を食らう可能性もあります。評価をしようと、心を計る尺度も考えるとなると、さらにそうした状況を加速させます。
 もっとも、これまでの教育において愛国心教育がまったくなされていなかったのかという問題も考える必要があります。仮に、愛国心教育がなされていないとすると、私のような日本大好き人間がいるのは、なぜでしょうか(笑)。愛国心と愛国心教育は、別にわけて議論する必要があるかもしれません。個人的には、教育に対する過剰な期待が蔓延しすぎていると感じますが、いかがでしょうか。
投稿者:こばこば
>なんとなく様
「マジウザイ」というコメントについて。
なんとなく様のような反応、やっぱり出ると思っていましたよ(苦笑)。私も、たぶん若者ですが、普段こんなことば、使わないですから(^_^;)。
ただ、逆に、町を歩いている中学生や高校生が「私、日本のこと、超愛している!!」「最近の日本、よくねえ??」「うん、超いい。イケテル。」とかしゃべったり、「日本LOVE♡」とかメールを送っていたりしたら、同様に、少し気持ち悪いかな〜と。
愛国心はいろいろあっていいといったことと矛盾するかもしれませんがさすがに…気持ち悪いかなあと(笑)。同じように、「日本ウザイ。小泉超むかつく!!」なんていうのも、いただけないですが。
 皆さんの考える愛国心も決してそのようなものではないと思いますが(そう信じて)、今の若い人からすれば、愛と国を結びつけるとなると、少し変わったものが出てくるような感じもします。
投稿者:こばこば
中畑様、なんとなく様 くろり様、丁寧にレスをくださってありがとうございます。なんだか私の未熟なレスが少し物議をかもしているようで、少し申し訳ないです。
ひとつだけいうと、私は、嫌国心を育てようとも押し付けようなんてことは一言も言っていないのですが(苦笑)。ただ、この場合、真っ当な政策批判と国への一方的な誹謗中傷は分けるべきかとは思いますが。どうも、この手の議論をすると、極端な方向に走っていますね。国に対する感情というのは、決して好き嫌いだけではなく、もっと多様なものがあると思います。愛国心もその1つでいいのではないですか。

>中畑様
 「自由と勝手を混同させて」とあります。ええ、確かにそうでしょう。毒っぽい言い方になりますが、この国の国民は、本当に、公共を意識することはすくないと思います。愛国心がないのも、政治への関心がないというのも、もっともでしょう。
 だからこそ、好き勝手と異なる権利の主張や行使の仕方を学んでいく必要もあるし、国家とは何か、それ以前に、学校とは何か、組織とは何か、組織と自分との関係を学んでいく必要があると思います。
 でも、「自由と勝手を混同させて」しまった状況は誰が作り出したのか??革新勢力にも原因があるのかもしれませんが、自民党を中心とした保守勢力だって、経済成長と均衡ある国土の発展を第一とし、そのほかのことを後回しにしてきた。自民党は、保守的な一面を持ちながら、利益分配を中心とする社会民主主義的な政策を実施してきた。結果、国民は、政治家に対し、甘え、たかることになり、悪しき拝金主義、私生活至上主義が横行してきたのです。当然、教職員組合だって例外ではないでしょう。行政も学校も企業も無責任な体質が生じてきたわけです。
こんな状況の中で、既存の政党に「愛国心」を語る資格があるのか、私は問いたい。自民党が愛国心を語るのは結構だが、それは、決してきれいなものでも、ロマンチックなものでもない。自らの勢力確保のため、政治の道具として利用しようとしているだけです。
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