2017/12/30 23:38
今年2017年、最後の更新です。
今年の大連の「大ニュース」の一つと言えば、「大連ヤマトホテル」の「閉店」でしょう。今日はこの大ニュースを最後のエントリーに取り上げたいと思います。

今現在の「中山広場」です。円形の広場の南(下)に「大連ヤマトホテル(現・大連賓館)」は確認できます。
「ヤマトホテル」は南満州鉄道株式会社(満鉄)が経営していた高級ホテルブランドで、「大連ヤマトホテル」 は1914年(大正3年)に当時の市中心部の「大広場(現中山広場)」に建てられた「ヤマトホテル」の旗艦店です。この「格付け」は満鉄本社がすぐ近くにあったのも大きな理由の一つでしょう。蛇足ながら、1914年(大正3年)の総理大臣は山本権兵衛、大隈重信です。このホテルの設計者は満鉄技師の太田毅と推定されています。つい先日まで「3つ星ホテル」の「大連賓館」として営業していました。築103年(!)ですね。
満鉄本社の建物はここから「魯迅路」をカルフール方面に歩いて約5分といったところです。満鉄本社も老朽化、並びに破損が激しく、見ていて痛々しくなります。早めの見学をお勧め致しますね。
「大連ヤマトホテル」ですが、今月下旬になってホテル業務は停止しています。当面は「修理」とのことで、「またホテル業は再開するの?」と尋ねると、「分からない」とのことでした。過去にあったように館内改装してホテル業の復活なのか、それとも103年の営業に終止符を打ち、ホテル業からは撤退なのか、100%明らかな回答はもらえませんでした。「お上」としてもまだ答えは流動的なのでしょうか?それともまだ公表は出来ないのでしょうかね

ということで「スリープモード」に入った「大連ヤマトホテル」です。正面から全景を撮ります。歴史を感じますねえ。

「赤じゅうたん」を上って「入り口」です。

入り口にはプレートが埋め込まれています。「100年の歴史を持つホテルグループ」とあります。大連ヤマトホテル、ハルビンヤマトホテル、新京(長春)ヤマトホテル、奉天(瀋陽)ヤマトホテル、ですね。名前こそ変われど全て「現役」で今でも泊まれます。

和訳は不要ですね。

こちらもです。

中に入って営業終了したロビーカウンターです。チェックイン、チェックアウト手続きはここでした。

「スリープモード」です。

このロビーカウンターから撮ったロビーの全景です。

噴水です。私が大連に来た頃はまだ現役で水が流れていました。金魚もいましたねえ。

エレベーターと上に繋がる階段です。今現在と同じ物ではありませんが、エレベーターは1914年(大正3年)の開業当時から設置されていました。凄い!。

階段です。これも1914年(大正3年)の開業当時から変わりません。今の2階は「喫茶店&CLUB」の店「大和」に繋がります。

階段のすぐそばに置かれていた日本語案内です。撤去されていませんね。

有料で一人50元でした。

当時のパノラマ写真ですね。これもお土産用に売っていました。

ホテル内の日本料理屋に通じる廊下です。

廊下の壁にはかつての姿の写真が多く掲示されています。

中庭の庭園喫茶店です。閉まっていました。中はソコソコ広さがあるし、スタバを誘致すれば注目度、客足、売上げ、全てが一発解決するのになあ・・・。

再び外に出ます。正面左前から全景を撮ります。

逆に正面右前から全景を撮ります。

裏に回りました。煙突です。館内を暖める「蒸気暖房」もまた1914年(大正3年)の開業当時から設置されていました。

正面右前の角です。張り紙がしてあります。

アップです。「壁が剥がれて落ちる可能性があるので近寄るな」とあります。すぐ下には落書きも確認できますね・・・。

日本統治時代は広場内であるここに関東総督であり初代関東都督でもあった大島義昌大将の銅像がありました。ここから「大連ヤマトホテル」を望みます。この方の玄孫、つまり孫の孫が現・内閣総理大臣である安倍晋三総理です。大連に来ませんかねえ。

日本統治時代の名は「大広場」、現在は「中山広場」です。ここでは鳩のエサが一袋3元で売っています。子供は楽しいですよね。

地下鉄2号線の「中山広場」駅です。広場内に設けられているので「大連ヤマトホテル」へは「B」、「D」出入口どちらからでも徒歩30秒で到着します。
これからどうなるんでしょうか。地元紙の「確定報道」はまだですねえ。まあこの建物は「大連中山広場近代建築群」の一つを占めているので、「取り壊し」は絶対にないと思います。
仕事や留学を終え、大連を去る長期滞在日本人は大体最後の「思い出作り」の一つに
1、この「大連ヤマトホテル」に泊まる
2、日系エアライン(JAL、ANA)の「ビジネスクラス」に初めて乗って帰る
が少なくないですね。103年のホテル業、終止符を打たずにぜひリニューアルで復活して欲しいです。
最後になりましたが、簡単に御挨拶させていただきます。
今年も一年、御訪問ありがとうございました。相変わらずの気まぐれ更新で、好き勝手に書いている駄文ブログにもかかわらず、ブログランキングのクリックにまで多くの方が御協力してくださり、感謝の一言しか見つかりません。改めまして深く御礼申し上げます。来年2018年が皆様にとって素晴らしい年になりますよう、大連より心からお祈り申し上げます。
ブログのランキングに参加中です。ここをクリックしていただけますと、当ブログの現在の順位が御確認いただけます。宜しくお願い申し上げます。
今年の大連の「大ニュース」の一つと言えば、「大連ヤマトホテル」の「閉店」でしょう。今日はこの大ニュースを最後のエントリーに取り上げたいと思います。

今現在の「中山広場」です。円形の広場の南(下)に「大連ヤマトホテル(現・大連賓館)」は確認できます。
「ヤマトホテル」は南満州鉄道株式会社(満鉄)が経営していた高級ホテルブランドで、「大連ヤマトホテル」 は1914年(大正3年)に当時の市中心部の「大広場(現中山広場)」に建てられた「ヤマトホテル」の旗艦店です。この「格付け」は満鉄本社がすぐ近くにあったのも大きな理由の一つでしょう。蛇足ながら、1914年(大正3年)の総理大臣は山本権兵衛、大隈重信です。このホテルの設計者は満鉄技師の太田毅と推定されています。つい先日まで「3つ星ホテル」の「大連賓館」として営業していました。築103年(!)ですね。
満鉄本社の建物はここから「魯迅路」をカルフール方面に歩いて約5分といったところです。満鉄本社も老朽化、並びに破損が激しく、見ていて痛々しくなります。早めの見学をお勧め致しますね。
「大連ヤマトホテル」ですが、今月下旬になってホテル業務は停止しています。当面は「修理」とのことで、「またホテル業は再開するの?」と尋ねると、「分からない」とのことでした。過去にあったように館内改装してホテル業の復活なのか、それとも103年の営業に終止符を打ち、ホテル業からは撤退なのか、100%明らかな回答はもらえませんでした。「お上」としてもまだ答えは流動的なのでしょうか?それともまだ公表は出来ないのでしょうかね

ということで「スリープモード」に入った「大連ヤマトホテル」です。正面から全景を撮ります。歴史を感じますねえ。

「赤じゅうたん」を上って「入り口」です。

入り口にはプレートが埋め込まれています。「100年の歴史を持つホテルグループ」とあります。大連ヤマトホテル、ハルビンヤマトホテル、新京(長春)ヤマトホテル、奉天(瀋陽)ヤマトホテル、ですね。名前こそ変われど全て「現役」で今でも泊まれます。

和訳は不要ですね。

こちらもです。

中に入って営業終了したロビーカウンターです。チェックイン、チェックアウト手続きはここでした。

「スリープモード」です。

このロビーカウンターから撮ったロビーの全景です。

噴水です。私が大連に来た頃はまだ現役で水が流れていました。金魚もいましたねえ。

エレベーターと上に繋がる階段です。今現在と同じ物ではありませんが、エレベーターは1914年(大正3年)の開業当時から設置されていました。凄い!。

階段です。これも1914年(大正3年)の開業当時から変わりません。今の2階は「喫茶店&CLUB」の店「大和」に繋がります。

階段のすぐそばに置かれていた日本語案内です。撤去されていませんね。

有料で一人50元でした。

当時のパノラマ写真ですね。これもお土産用に売っていました。

ホテル内の日本料理屋に通じる廊下です。

廊下の壁にはかつての姿の写真が多く掲示されています。

中庭の庭園喫茶店です。閉まっていました。中はソコソコ広さがあるし、スタバを誘致すれば注目度、客足、売上げ、全てが一発解決するのになあ・・・。

再び外に出ます。正面左前から全景を撮ります。

逆に正面右前から全景を撮ります。

裏に回りました。煙突です。館内を暖める「蒸気暖房」もまた1914年(大正3年)の開業当時から設置されていました。

正面右前の角です。張り紙がしてあります。

アップです。「壁が剥がれて落ちる可能性があるので近寄るな」とあります。すぐ下には落書きも確認できますね・・・。

日本統治時代は広場内であるここに関東総督であり初代関東都督でもあった大島義昌大将の銅像がありました。ここから「大連ヤマトホテル」を望みます。この方の玄孫、つまり孫の孫が現・内閣総理大臣である安倍晋三総理です。大連に来ませんかねえ。

日本統治時代の名は「大広場」、現在は「中山広場」です。ここでは鳩のエサが一袋3元で売っています。子供は楽しいですよね。

地下鉄2号線の「中山広場」駅です。広場内に設けられているので「大連ヤマトホテル」へは「B」、「D」出入口どちらからでも徒歩30秒で到着します。
これからどうなるんでしょうか。地元紙の「確定報道」はまだですねえ。まあこの建物は「大連中山広場近代建築群」の一つを占めているので、「取り壊し」は絶対にないと思います。
仕事や留学を終え、大連を去る長期滞在日本人は大体最後の「思い出作り」の一つに
1、この「大連ヤマトホテル」に泊まる
2、日系エアライン(JAL、ANA)の「ビジネスクラス」に初めて乗って帰る
が少なくないですね。103年のホテル業、終止符を打たずにぜひリニューアルで復活して欲しいです。
最後になりましたが、簡単に御挨拶させていただきます。
今年も一年、御訪問ありがとうございました。相変わらずの気まぐれ更新で、好き勝手に書いている駄文ブログにもかかわらず、ブログランキングのクリックにまで多くの方が御協力してくださり、感謝の一言しか見つかりません。改めまして深く御礼申し上げます。来年2018年が皆様にとって素晴らしい年になりますよう、大連より心からお祈り申し上げます。
ブログのランキングに参加中です。ここをクリックしていただけますと、当ブログの現在の順位が御確認いただけます。宜しくお願い申し上げます。
投稿者:dalian4649