中国遼寧省大連で生きるおっさん

〜 「若者」もすなる「ブログ」というものを「おっさん」もしてみんとてするなり  一人の名も無きおっさんが、浅学菲才ながらも、自分の言葉と写真で、毎回一生懸命書いている大連ブログでございます 〜

 

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旅順に移転して10年、今現在の旧「大連外国語学院」とその周辺を歩く(1)

最近は澄み切った日が殆ど無い大連です。一昨日の日曜日に晴れましたが、この日だけで、

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今日も霧の一日でした。先程帰宅した夜9時の様子です。

さて、今日のエントリーは頂きましたコメからのリクエスト企画です。日本に帰国しますと大連に関係した方々からよく頂く声が、かつての「大連外国語学院(現・大連外国語大学)」は今どうなってる?と、かつての「大連日本人学校(幼稚園・小学校・中学校)」は今どうなってる?です。両校共に今は郊外の新しい場所に移転しているんですが、関わった日本人の方々はとにかく多いですからね。当然、様々な思い出をお持ちなのではないでしょうか。

個人的には「大連外国語学院(現・大連外国語大学)」と全く繋がりはありませんが、散歩がてら周囲を通っていたのと、部外者でも学食利用が出来たので、ちょくちょくキャンパス内は歩いていました。

本日のエントリーは市中心部にあった、かつての「大連外国語学院(現・大連外国語大学)」の現在とその周辺の様子を記したいと思います。「大連外国語学院(現・大連外国語大学)」が旅順に移転したのは2007年です。今から4年前にもエントリーで取り上げたことがあります。

「大連外国語学院」の解体と寂れる周辺
http://sky.ap.teacup.com/dalian4649/390.html

移転してちょうど10年になりますから、区切りでエントリーとして再び取り上げるには良いタイミングなのかもしれませんね。

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「23路」の公共バスに乗って、かつての「大連外国語学院(現・大連外国語大学)」に向かいます。終点の「外国語学院」駅で下車です。この日乗ったバスの車内の様子です。「雷鋒同志に学ぼう」とあります。中国人なら知らない人はいない「雷鋒」についての説明はこちらのウィキに譲ります。このスローガン、死者数1000万人以上ともされる文化大革命の時に最も用いられたスローガンですよ(笑)。時代錯誤も甚だしいですねえ。

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終点の「外国語学院」駅で下車時に撮った同バスです。フロントガラスにも、

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「雷鋒同志と共に時代を歩もう」とあります。今、2017年なんだけど・・・。

ノーベル平和賞受賞者で「神」となった自国の人・劉暁波さんを知らない中国本「土人」。海外には出ないで欲しいですよねえ。

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話を戻します。終点の「外国語学院」駅です。

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私が大連に来た10年以上前から路線の変更、バス停名の変更はありません。が、

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バスの車体が大きく変わりましたよ。同バス停と停車中のバスの遠影です。

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アップです。バスの天井部分に書いてありますが、この「23路」公共バス、全て中国メーカー「比亜迪汽車(BYD)社」の電気バスです。同社の電気バスですが、日本では京都市内で運行されています。音も静かで排気ガスとも無縁、日本メーカーも負けてはいられませんね。

2017年の最先端を行く公共バスとそこに張られる文化大革命時代のスローガン。この激しいコントラスト・・・。日本人には理解出来ません。

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バスは皆、出発して行きました。周辺を少し歩きます。

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バス停に隣接する公園では年配の方々がのんびりしています。

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「七七街」に入りました。かつて漫画喫茶「散歩道」が入っていたところです。ここも日本人だらけだった店で、カツ丼、カレー、味噌汁、が絶品でした。現在はワインバーです。

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「手足情」という有名なマッサージ店が入っていたところです。今は「人民路」の5つ星ホテルである「シャングリラホテル」の横に移転しています。今となっては大連一の老舗マッサージ店でしょう。大連に長期駐在している人間なら知らない人はいない店だったと思います。現在は歯医者さんですね。

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「七七街」と「延安路」の交差点です。かつて信号の所にあったのが日本のコーヒーチェーン店「珈琲館」(中国語:「真鍋珈琲」)でした。御覧のように今、外から中は窺えないようですね。

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角度を変えて、今歩いてきた交差点です。かつては賑わっていたこの周辺ですが、バー、カラオケ、マッサージ、日本料理屋などは殆ど姿を消しました。もう日本人も少ない、来ないエリアです。

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曲がって「延安路」に入ります。突き当りが、かつての「大連外国語学院(現・大連外国語大学)」です。

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突き当たりに行くまでの殆どの物件が空き物件です。ここもかつては様々な専門学校や学習塾が入っていたのですが、スカスカ。

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こちらは当時から変わらずで「現役」でした。正門前の交通警察署です。

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着きました。かつての「大連外国語学院」で、今現在の様子です。左側に写る高層ビル群は高級住宅地です。

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正門の真横にはバス停です。

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「27路」バスの「南山」駅ですね。

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バス停のアップです。

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正門に戻ります。「大連外国語大学 国際培訓学院」とあります。訳すと「インターナショナルトレーニングセンター」となります。幅広い外国語教育を行う成人教育機関ですかね。かつてはかなりの広大なキャンパスを誇っていましたが、旅順に移転し、今残っているのはこのビルだけです。

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自由に入れるようです。中に入って一周します。道路の矢印に従って進みます。

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左前には喫茶店?

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「南山記憶」という名の喫茶店でした。日本語表記で「南山メモリー」ともありました。中に入ったら綺麗な女性店員さんが居て、「大外、こんなに小さくなっちゃったの?」と話しかけたら、「そうなのよ、全部旅順に行っちゃった」と言っていました。店名どおり、かつての関係者はここで思い出話を咲かせてみては如何でしょうか。

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道路の矢印に従って進みます。

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進みます。

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猫の額ほどの中庭です。

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正門に戻ってきました。一周3分間といったところでしょうか。

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最後に庭からパチリ。

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正門を出ます。真っ直ぐ行った突き当たりは「中山広場」で「大連ヤマトホテル(現・大連賓館)」ですね。

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最後に蛇足ながら、ここは日本統治時代、「大連神社」でした。今、大連神社は山口県下関市にあります。戦後、大連神社の神体は日本に持ち帰られ、再建されています。いつか必ず訪れたいですねえ。この写真の出典はウィキです。

次にかつては留学生で賑わっていた「漢学院」の方へ向かいます。

次回に続きます。

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投稿者:dalian4649
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投稿者:dalian4649
「仙草蜜」様、こんばんは。

>早速私の要望に応えていただき、誠にありがとうございます。

どういたしまして。2回に分けてアップする予定です。

>91年の9月頃から徐々に解体が始まりましたが、

デジカメも普及していなかった時代ですよね。当時の大連を見て、歩いて、経験したかったですねえ。

>快く中に招き入れて見学させてくれる中国人の住民もいました。

私もこれまで結構良い中国人に会ってきました。今後アップする予定の旧・大連日本人学校では快く写真を撮らせてもらいましたね。
一方で「支那人」には日々あらゆる面で相当「可愛がられて」きましたが(笑)。

>大外の留学生宿舎の食堂

このエピソードも大変興味深く読ませていただきました。

貴重なお話をどうもありがとうございます。
投稿者:仙草蜜
dalian4649様

お世話様です。

早速私の要望に応えていただき、誠にありがとうございます。

解放街、延安路、七七街、楓林街、南山路、
などはかつて何度歩いたかわからなお程で、
本当に懐かしいですね。

振り返れば、例えば大連賓館から大連外国語学院正門にかけての日本統治時代の住宅などは、
91年の9月頃から徐々に解体が始まりましたが、私が滞在していた当時まだまだ原型をとどめている建物も多く、昭和の初期に実際に住んでおられた日本人の年配の方と一緒に訪ねると、快く中に招き入れて見学させてくれる中国人の住民もいました。

また大外の留学生宿舎の食堂ですが、
当時の料理長は日本統治時代に大和ホテルで
コックとして活躍されていた方で、メニューも大変バラエティーに富み、とてもおいしくいただくことだできました。

値段も一日三食満腹になるほど食べても、合計20元(当時のレートは1元あたり25円ほどでした)もしませんでした。

その料理長の方も、日本人の年配の方々には「明日は鍋焼き作るからね。」などと日本語で気さくに話しかけていましたね。(中国語に関しては山東訛りがきつかった印象です、、、)

まあそんな感じで、当時は大気汚染も大してなく本当に過ごしやすかったですね。

市内のバスもご報告いただいたように。電動バスが普及しているようですし、せめて大気汚染は改善してもらいたいですよね。

我々日本国民の先人に報いるためにも、、、



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