2012/1/8 20:46
昨夜も少し雪が降りまして、朝起きたらまた綺麗な銀世界となっていました。子供の頃から雪の少ないところに住んでいましたので、雪を見ると何故かテンションが上がってしまいます。中国は人も都市も衛生観念がゼロの国ですから、積雪によって一時的に変身した綺麗な街という「錯覚」に騙されているのかもしれません。
午前中は粉雪が降っていたので一休み。お昼近くになって止み、ようやく動き始めました。温度計を外に出したらマイナス3度です。風が無いのでそれほど寒くありません。絶好の散歩日和です。

南満州鉄道株式会社本社(満鉄本社)です。敷地内、向かって右端の建物です。

こちらは当時の写真です。

敷地内は上から見ると「コの字」型に建物が建てられています。横に広いので写真を撮るのも大変です。

こちらは当時の写真です。

敷地内、向かって左端の建物です。

重要保護建築物ですが、保存状態は良くありません。

本社前のT字型交差点です。

満州国時代と外観が殆ど変わらない路面電車が本社前を走り去ります。

アクセスですが、路面電車なら「世紀街」駅下車徒歩30秒といったところです。運賃は1元(=約12円)です。

こちらは満鉄大連病院(現・大連大学附属中山医院)です。

歴史に名高い中国人の医者といえばこの人「華佗」です。『三国志』を読んだ事がある方で知らない人はいません。

重要保護建築物です。

広い院内です。

大連大広場(現・中山広場)方面の同医院の入り口です。

こちらは当時の写真です。今と違って周囲は広々としていますね。

階段を上がったところです。ここにも一つ胸像がありますが、中国人ではありません。

胸像の裏です。何か字が書いてありますね。

昭和の「和」という字が消され、更にはもう一字消されています。とりあえず胸像の台座の部分は満州国時代の物、メイド・イン・ジャパンのようです。この「犯行」は中国人、中でも劣悪な「支那人」の仕業でしょう。

こちらは大連ヤマトホテル(大連大和旅館、現・大連賓館)です。先程の満鉄本社から歩いて5分程と近く、満州国時代は最高の格式を誇るホテルでした。リットン調査団もここに泊まっています。

こちらは当時の写真です。当たり前ですが、ホテル前に見られる初代関東都督・大島義昌大将の銅像は今はありません。この方の子孫に当たる方が安倍晋三元首相です。

重要保護建築物です。

ロビーです。ここは「泊まるホテル」ではなく「見るホテル」だと思います。

ロビーの噴水です。以前は現役でしたが、今は止まっていますね。

今の時代、このホテルに喜んで泊まるのは日本人だけというのが現状です。日本語案内は多いですが、全ての面において価格不相応です。

ホテル内の隅々まで見学したければ50元(=約610円)の別料金がかかります。
大連はその都市名も日本人が名付けました。満州国には組み込まれず、関東州の租借地として日本人が作り上げた町です。満州国は滅びましたが、当時の日本(人)が作った建築物は今だ現役(!)です。外観のみならず質まで凄い!これこそがメイド・イン・ジャパンの真髄ですね。
次回に続きます。
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午前中は粉雪が降っていたので一休み。お昼近くになって止み、ようやく動き始めました。温度計を外に出したらマイナス3度です。風が無いのでそれほど寒くありません。絶好の散歩日和です。

南満州鉄道株式会社本社(満鉄本社)です。敷地内、向かって右端の建物です。

こちらは当時の写真です。

敷地内は上から見ると「コの字」型に建物が建てられています。横に広いので写真を撮るのも大変です。

こちらは当時の写真です。

敷地内、向かって左端の建物です。

重要保護建築物ですが、保存状態は良くありません。

本社前のT字型交差点です。

満州国時代と外観が殆ど変わらない路面電車が本社前を走り去ります。

アクセスですが、路面電車なら「世紀街」駅下車徒歩30秒といったところです。運賃は1元(=約12円)です。

こちらは満鉄大連病院(現・大連大学附属中山医院)です。

歴史に名高い中国人の医者といえばこの人「華佗」です。『三国志』を読んだ事がある方で知らない人はいません。

重要保護建築物です。

広い院内です。

大連大広場(現・中山広場)方面の同医院の入り口です。

こちらは当時の写真です。今と違って周囲は広々としていますね。

階段を上がったところです。ここにも一つ胸像がありますが、中国人ではありません。

胸像の裏です。何か字が書いてありますね。

昭和の「和」という字が消され、更にはもう一字消されています。とりあえず胸像の台座の部分は満州国時代の物、メイド・イン・ジャパンのようです。この「犯行」は中国人、中でも劣悪な「支那人」の仕業でしょう。

こちらは大連ヤマトホテル(大連大和旅館、現・大連賓館)です。先程の満鉄本社から歩いて5分程と近く、満州国時代は最高の格式を誇るホテルでした。リットン調査団もここに泊まっています。

こちらは当時の写真です。当たり前ですが、ホテル前に見られる初代関東都督・大島義昌大将の銅像は今はありません。この方の子孫に当たる方が安倍晋三元首相です。

重要保護建築物です。

ロビーです。ここは「泊まるホテル」ではなく「見るホテル」だと思います。

ロビーの噴水です。以前は現役でしたが、今は止まっていますね。

今の時代、このホテルに喜んで泊まるのは日本人だけというのが現状です。日本語案内は多いですが、全ての面において価格不相応です。

ホテル内の隅々まで見学したければ50元(=約610円)の別料金がかかります。
大連はその都市名も日本人が名付けました。満州国には組み込まれず、関東州の租借地として日本人が作り上げた町です。満州国は滅びましたが、当時の日本(人)が作った建築物は今だ現役(!)です。外観のみならず質まで凄い!これこそがメイド・イン・ジャパンの真髄ですね。
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投稿者:dalian4649