鬼は外 福は内 私の身勝手が 豆をまく

私にとっての鬼は「病」
豆は撒かない我が家
煎った豆を年の数+1粒多めに食べる。
最近多くなってきたので、炒り豆を甘酢に漬け込んで柔らかくなった豆をサラダに混ぜて食べる事にした
耳が痛い説法がある ↓

人はみんな幸福を求めて生きている。
地位・財産・名誉、そして健康・美貌(びぼう)・体力という名の幸福をかぎり無く求めて、止まることをしらない。
そのための精進努力する感情は三分の一。あとの三分の二は、ただ待つだけ。
内訳は、他人の失敗と幸福の女神の微笑み。
思い通りにならないと鬼のせいにして追い払う。
他人のところへ鬼がころがり込んでも、一向にかまわないというのだろうか。その根性が「鬼」であることも知らぬげに・・・・・。
『それだけが おまえの人生か』
難波別院発行「南御堂新聞」より
2012年には ↓
子どもたちが「鬼は〜外、福は〜内」と豆をまく姿は冬の風物詩で、微笑ましい光景である。
関西ではいつ誰が考えたのか、節分に陰陽道でいうその年の恵方とやらを向いて巻きずしを切らずに食べて福を願うという、滑稽な風習もある。
福を願い災いを避けたいという思いは、人間の自然な心でもあるが、「鬼の居ぬ間に洗濯」という言葉があるように、人は自分にとって不都合な事や存在を鬼にしたいものである。
不都合、不服従、不如意を鬼に仕立て上げて、鬼退治したいという心の奥底には、人間の身勝手が潜んでいる。もしかすると、その心こそが、鬼の形相となって家族の中での鬼退治ならぬ、昨今の殺戮事件を生んでいるのかもしれない。
風水とは切っても切れない 節分行事

もう一度 節分に行きたい神社がある。
【吉田神社】
追儺式(ついなしき)にて 厄をはらって冬を乗り切りたい。