5年前?の地震も未だ記憶に残る地
インドネシア・スマトラ沖
決して私は マニアックに地震を調べて居るわけではありません。
あまり意識しすぎると、居ても立ってもいられなくなる私です。
京都に移り住む直前に、大阪に住み神戸が勤務地でした。
機械図面の製図で、神戸に派遣されていました。
阪神大震災の日
出勤準備中に大きく揺れました。
長い時間、不気味に揺れていました。
2時間ずれていたら・・・ 電車で移動中だった筈。
3時間ずれていたら・・・ 神戸で勤務中だった筈。
揺れが治まって直ぐに妹の状態を確認し
ニュースを見ながら6時丁度に、離れて暮らす母に連絡を取りました。
『関西の地震のニュース流れるけど、私と妹は大丈夫。
後で連絡が取れにくくなりそうだけど、心配しないで。』
状況の飲み込めない母に、まくし立てるように伝えました。
神戸の状況は予測つかないので、本社から自宅待機を命じられましたが、
2日目に兵庫県入りしました。
長い距離を歩いて
大阪と兵庫を数回往復し
数日間、転々としながら現地で過ごしていると、何が現実か解らなくなります。
今でも、命有ることは偶然か必然か
ちょっとの意識の違いで防げた命、改善された苦しみ
命絶えた人も沢山見ました。
自分の中に恐怖が叩き込まれた出来事でした。