記憶に便ぜんがため、自分は学校にいるうち抜き書きということをよくやった。抜き書きというのは、言うまでもなく教科書中の主要の点を抜き書きして、教科書の欄外などへそのまま書き抜いておくのである。同じ教科書の中でも、動物、植物、鉱物、地理、歴史、化学のごとき、主として暗記すべきものは、こうしたほうが得なように思う。ちょっと例をあげてみると、教師からある種の質問を受けた時、悉皆(しっかい)頭脳(あたま)に記憶してある事がらでも、どうもその質問に応じて、容易に返答ができぬ場合がある。胸には浮かんでいるが、ちょっとまとまって口にはいり(ママ)かねることがある。これはその主要の点を正しく記憶しておらぬ証拠で、かかる弊を防ぐようにするには、抜き書きをして、その要用の点だけを充分記憶しておくようにするのが肝心である。結局、根本の事項さえよくのみ込んでいればそれに連れた枝葉の点などはさほど労せずとも、自然にあらわれて来るものである。こうして根本の略筋(あらすじ)さえ明瞭に記憶していれば、思想は一貫して、比較的正確の答案が作れることになる。
ひとりこの抜き書きのみにとどまらず、自分は教師がよく黒板(ボールド)へ図解して示す絵図なども、そのまま直接教科書に書き入れておいた。これは記憶する上に便なるばかりでなく、事がらは忘れていても、その絵を思い出すと、容易に記憶を呼び起こすことができ、また試験が済んだよほど後になっても、この絵さえ見ると、たやすく教科書中の事項を理解しうる利益がある。従って自分の用いた教科書は誠にきたない、鉛筆の抜き書き、図解の絵などでいっぱいによごれている。
同じこうするなら、ノートへ写し取ったほうがよいかもしれぬが、自分は中学時代にあまりノートへしるすことはせなかった。教科書以外の物に書いておくと、第一あれこれと読むたびに出して見るのがめんどうである。また教科書を開いてみると、いっしょに抜き書きも読むことができるという便利があるので、あえて自分は教科書をもよごしたわけである。
故意になまけるというと、なんだかおかしく聞こえるが自分はいやになった時、無理につとめて勉強をつづけようとはせず、好きなようにして遊ぶ。散歩にも出かければ、好きなものを見にもゆく、はなはだ勝手気ままのやり方ではあるが、こうして好きなことをして一日遊ぶと今まで錯雑していた頭脳が新鮮になって、何を読んでもはっきりと心持ちよくのみ込める。
また、自分は読書するにしても、机の前に正しくすわって几帳面にやる時もないではないが、いかにも性質上そう堅苦しくする事を好まない。だから時々どこへなりとすわったなりそのまま本を手にして、読みつづける時もあれば、横になって見ることもあり、寝て読む時もある。ほとんど読書する時の態度は一定しなかった。要するに不規律のやり方ではあるが、どうも自分の性質として、窮屈に勉強するより、楽に自分の気に入ったようにするほうが、心がゆったりして記憶する上にもよかった。だがこんな事は決して、自分ながらも結構な事とは思っていぬのだから、読者諸君においてもこのへんのところはよく参酌(さんしゃく)して、そのうちのよい点だけを取るようにしてもらいたい。
ただ規則正しく勉強する者の中には、毎日その日のノートを繰り返して、授けられた点だけを暗記しようとする者もあるようだが、自分はそういう方法を取らずに、なるべく講義にしてもだいたいの一段落を告げた時、前から筆記しておいたぶんと連絡して、一度に続けて読むようにした。この連絡をはかるという事は物を記憶する上に、もっとも必要であって、キレギレになった断片的のものをくわしくのみ込もうとするより、むしろその事がらの一段落を告げた後、あわせて読むようにしたほうが、前後関連して理解する上にも都合がよし、記憶をもまた非常に助けるものである。
自分の中学時代は、あまりからだが丈夫でなかった、運動も別にせなかった。学校における運動時間はほとんど義務的で、運動については全く興味を持たなかった。もっとも小学校時代から鉱物、昆虫などの採集には非常に興味を持っていて、時々近所へ採集に出かけたものだ。今も郷里の家にはこれらの標本がよほど残っているくらいで、少しはこんな事が運動になったのかもしれぬ。その代わり、滋養物はできうるだけ多く取った。それがため、からだの弱かったわりに、そう病気にもかからなかったのである。
前いうような家庭であったから、別に心配もしなかった、いたずらにつまらぬことに頭を悩まして、からだを疲労させるということがなかったばかりでなく、学校の教科目その他の物についても困難、苦痛もなく、まず学生時代はのんきに暮らしたほうである。といって、友だちとやたらに交際しておもしろく遊んだというわけではなく、こちらから求めてするような事はさらにしなかった。
田舎の事であるから、家に帰ると遊びの友と言ってもわずか二三にとどまっていたくらいのもの。だが幸いそのころ、近所にあった親戚でちょうど同年輩の者が来ていたので、よくそこへ行ってはそれと遊んだように覚えている。
いったい、自分は交際ということが下手のほうで、今も自ら求めて交際するというような事はなく、ただ心を許したわずかの友と深く交わっているに過ぎぬ。(明治四十一年十二月)
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底本:「日本の名随筆 別巻85 少年」作品社
1998(平成10)年3月25日第1刷発行
底本の親本:「寺田寅彦全集 第一七巻」岩波書店
1962(昭和37)年2月
入力:もりみつじゅんじ
校正:多羅尾伴内
2003年4月28日作成
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