「ガラクタ捨てれば自分が見える 風水整理術入門」カレン・キングストン
の2章を読む。
大きな気づきがあったので、メモ。
「ガラクタ」はエネルギーが滞ったときに溜まり始め、
また、要らないものが集まるとエネルギーが滞るとか。
卵が先か鶏が先かっていうのと同じことなんだろうな。
確かにうなずける。
"もし人生に新たな進展があれば、本能的に家の中の要らないものを整理して心機一転を計ろうとするだろう。それはごく自然なことだと感じるに違いない"
"「ガラクタ」に対する対処のひとつに、自分を成長させる努力をしながらもうこれ以上不要なモノに囲まれているのは我慢ならないという気分になるまで待つこと、ということがある"
それ、まさに今のわたしです!
でも、
"その方法で家の中を整理しようという気になるまで末には少々時間がかかるので、新しい方法をオススメ。それは身の回りの整理整頓をすることで、人生の整理整頓を行うということです"
ま、待ちすぎたか!
やっぱり卵が先か鶏が先か。
確かにその「新しい方法」(??)は、
わたしがずっとやりたかったことでやろうとしてたことだったけど、
でも・・・それができなかったんだよね!
だって切羽詰まってないし(あくまでも今よりは)、
ずっと「もうこれ以上不要なモノに囲まれているのは我慢ならない」と思ってきたのに、
できなかった。
夢とかやりたいこととか希望、
そういうことや、
あるいは絶望とか生死とか、
もうギリギリのところまでこないと、
辿り着けない人間もいる。
わたしはそういう人間だったみたいだ。
「もし人生に新たな進展があれば、
本能的に家の中の要らないものを整理して心機一転を計ろうとするだろう。
それはごく自然なことだと感じるに違いない」
これは今の感覚に少し似ている。
具体的な話になると少し違うけど、
ギリギリのところまで来ると、もうこのままでいられないと直観するのだろう。
本能的に、っていうのは、すごく感じる。
心機一転というような感じではないけれど、
なにか研ぎ澄まされてくる感じがある。
「もうこれ以上は無理だ」と感じたことが特に5月の終わりごろにあった。
お片づけとかガラクタだらけのうちに、ではなくて別のことに。
だいたい同じこととずっと顔つきあわせながらなんの進展もなく、
いや、なんの進展もないように見え、
もう本当に我慢できなくなった。
15年以上なんて、よく堪えてると思う。
10年前は発狂しそうだったのに。
でもまだ10年前は若いからね。
色んな試行錯誤をしながら、焦らずゆっくりやってきたけど、
もう本気で我慢ならない。
これが終わってほしい。
答えがほしい。
最後が見たい。
それなのに年も取って、悩みも増えて、
行き詰まりみたいになってたら、
部屋まで行き詰まってた。
このブログを始めたときもまだ、
別のことに目を向けてたから、
色んな考えが交錯してうまくいかなかったのかもしれない。
でももう、本物だけしか要らない。
本当に心の底から必要なものだけしか要らない。
っていうか、色んなもの(モノのことではなく)を集めることは人生に有益にはなるけれども、
本当に欲しているものを見失う可能性もある。
本当はそれがずっとほしかったの!
と素直に言っていいじゃないか。
それをせずにずっと別のものを集めてきたなんて。
たくさん好きなものがあっても、
本当に好きなものは、人生に必要なものは、
最初からちゃんと選べた。
もう真っ直ぐにそれだけを選んでもいいんだと思った。
それを失うのが怖くて、わたしはそれに向かっていってなかった。
このブログを始めたころにもそんなことを書いたような気がする。
けれど、あのときですら、まだ今の気持ちには到達してなかった。
分かってたのに、甘えてた。
甘えてきたんだ。

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