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2009/1/18

正義なき力は無能  空想特撮
 いやあ、終わりましたね、『仮面ライダーキバ』。
 そんなわけで軽く感想を。
 でも、これ書いてんの最終回を観る三週間前なんですけどね(笑)。




 昨年はアメコミ映画が数多く上映され、その幾つかを鑑賞したのだが、その際に意外に感じたことがある。

 アメリカのヒーロー映画は、内容がハードに、大人向けになるほど「正義と悪」「ヒロイズム」に対して真摯になっていくのだ。

 昨年の大ヒット作『ダークナイト』にしても、ジョーカーの狂気でゴッサムの秩序とバットマンの信念を揺るがしながら、だが物語はバットマンがヒーローであることを、そして、何時の日か正義が勝つことを決して否定はしないのだ。

 これが日本のヒーロー物になると、物語の方向をハードに、大人向けにした場合に、まずは「善悪の相対化」「ヒロイズムの否定」に向かう。
「正義と悪なんて所詮は立場やイデオロギーの違いに過ぎない」
「ヒーローも一皮むけばただの人間」
 これが我が国のヒーロー物における「ハードな物語」の典型であると言ってもいいだろう。

 例えばウルトラシリーズでマニアに評価が高い作品も『故郷は地球』にしろ『ノンマルトの使者』にしろ『怪獣使いと少年』にしろ、概ねこの展開に当てはまる。
(余談だが、他のヒーロー物がハードな展開になると、ヒーロー自身が苦悩し、時として使命を放棄するのだが、初代ウルトラマンの場合、彼自身はどんな物語であれ「人類に害をなす驚異を排除する」行為を毎回繰り返しているだけで決してブレる事が無いのが興味深い。ウルトラマンの周囲にいる人間が勝手に彼を称賛したり、罵声を浴びせたりしているのである)

 この日米の違いについて「流石欧米はモラルを大切にする」と評価するのか「所詮米国は単純な勧善懲悪から抜け切れていない」とするかは悩ましいところだろう。私自身、判断しかねる。
 まあ、実のところ、欧米には「変身ヒーロー物やロボットアニメを隠れ蓑にして自分の好きな話を作る慣習」が無かっただけのような気もするんだが(笑)。

 ともあれ、われらが仮面ライダーも、平成に入って「大人向け」の視点が入るにつれて、やはり日本の「ハードな展開」の典型になっていった。

 そしてキバ。

 もはやこの番組の世界には最初から、相対化すべき善悪も、否定すべきヒロイズムもない。そしてファンガイアなぞ、少なくとも“人類全体”にとっては脅威でもなんでもない。何故って最初からファンガイアの存在は織り込み済みなのだから。あの世界は「ファンガイアに喰われるリスク」が交通事故や病死と同レベルで存在するだけだ。

 さて、大した正義感も持たず、身内だけが大事で、「みんなのしあわせをまもりたいんです」なんて底の浅いことしか言えない若者が、変身して超能力や大量破壊兵器を駆使して「人間がファンガイアに喰われる“日常”」を破壊する理由って何だろう。目の前で人がファンガイアに喰われても表情一つ変えず、そしておそらくは交通事故や病死のニュースに心を痛めることもない人生を送っているのに?

 遂に渡が何を切っ掛けにして「キバ」になったのかは描かれることはなかった。本当に楽器と変身ベルトがキーキーうるさいからだけだったの?
 それなら楽器壊してベルトの電池を抜くのが「正解」だと思うよ。そうすべきなんだよ。目的もなく楽器とベルトに従って戦う人生なんて、与えられた運命に縛られているだけじゃないか。運命の鎖を解き放とうよ。
 何の大志も狂気もない奴が、変身ヒーローをやるって、実は昭和の王道ヒーローよりも、“リアル”じゃないのでは。そんな事を感じた一年間でした。


 尚、正義感と言っても、私はどこぞの俳優みたいに「ヒーロー物は教育番組」なんてことは言いたくないので、ヒーローの掲げる正義がまったく我々の共感を得られないもの…たとえば「ショッカーに代わって俺が世界を征服してやる」であっても構わないと思う。

 せめて戦うに値する対価を求めようよ。
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