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2018/9/23

文部科学省選定作品(時節柄悪の組織に選定された感ある)  映画
 オタクは趣味で忙しいので暇な時などないと言いますが、この三連休は私にとってそんな感じでした。
 22日の資料性博覧会、24日のひらパーのウルトラマンステージ、これを消化しつつ『若おかみは小学生!』の映画も観て更に寝る時間を作るにはどうすればいいか……(この、人によってはものすごくしょうもないことを思案している感じ)

 そんなわけで資料性博覧会からの若おかみ鑑賞を強行することで日曜日に昼寝する時間を作ったわけですが。

 で、本日は『若おかみは小学生!』の感想を。

 なぜ人は『○○は小学生』というタイトルを聞くと卑猥な発想をするのか。それは多分、数十年前のアニメ『ママは小学4年生』のタイトルの響きのヤバさに他の類似タイトルも引っ張られてるんだと思いますが、それはさておき。


 今回の映画、一つ物議を醸したことがあって、映画の宣伝として「大人が見ても感動する」「大人の鑑賞に堪える」というワードが多用されていて、特に先行して放送されているテレビ版について「テレビ版は朝ドラ、映画は大人の鑑賞に堪えるものを目指した」という言い方に「まるでテレビ版や原作が大人の鑑賞に堪えないみたいじゃないか」と反発を招いたわけですね。

(テレビ版の「朝ドラを目指す」という意図はこの作品がNHK朝ドラ好きなうちの母親に大評判だったので成功だったんじゃないかと思います。今日放送の最終回が30分枠で喜んでたのに本編前半15だけな件について怒ってました/笑)


 私は「大人の鑑賞に堪える」っていうのはその言葉が持つ意味合いは薄くなっていて、もはや面白いものを表現するときに語彙が足りない人が使う慣用句みたいなもんに過ぎないと思っているのでそこまで気にしませんが、まあ「言い方!」とは思いますね。

 ただ、実際見ていただくと適切であったかどうかはともかく「大人の鑑賞に堪える作品」を目指すことでどんなものを作りたかったかは分かる作品になっているかと思います。

 では下記に感想を。
 今回は続きを読むとガチでネタバレがあるので注意せよ。


「大人の鑑賞に堪える」……そんなこと言うだけあって勿論作画のクオリティは半端ない。

 確かにこの手の児童小説のアニメ映画化と聞いて我々が想像するレベルを数段階越えてきている。原作は当たり前だがテレビ版と同じなので、テレビ版と同じシチュエーションは沢山あるのだが、それと比較すると演出過剰と思えるぐらい濃い描写が続くので、なんか変な笑いがでてくる。一旦テレビのことは忘れて観たほうがいい。

 いや、ほんとすげぇよ。テレビ版のエンディングに流れてるシーンの一つ(ウリ坊が涙流しながら天高く飛ぶ奴)について、感動的なクライマックスに使う気合いの入ったシーンなんだなと予想してたら序盤も序盤の「おっこがウリ坊に返した言葉を周囲に勘違いされて若おかみになるところ」だったり。


 大人の鑑賞に堪えるもんだからお話も当然、ノンマルトの使者や怪獣使いと少年もビックリな危険球を投げる。

 本作のクライマックスで明かされる真実……それは「宿敵の正体が神だった」という衝撃的なものだ。

 ……ごめん、ちょっと嘘ついた(笑)。

 ほんとは花の屋を訪れた家族の父親が事故の影響で食事制限ある人で、おっこは彼の為に「病気の人でも食べられるこってり料理」を考えるのだけど、実は彼こそが交通事故でおっこの両親を死なせてしまった本人で……というもの。まさに親の仇が神。

 この展開は観客によってはヘビー過ぎるんじゃないかなとちょっと思うんですけどね。

 両親といえば、本作はテレビ版ではあまり強調されなかった「おっこの両親に対する想い」がかなり強調されている。おそらくここは(先ほどのお客の件も含めて)原作(未読)にもない部分で、映画版特有のテーマなんだろうと思うのだけど。

 作劇的に興味深いのは、おっこが両親の死に対する受け入れられないことを、ウリ坊や美陽といったユーレイが見えることと結びつけていること。

 おっこが死を受け入れずに両親と戯れている夢を見続けている間はユーレイが見え、若おかみとして成長していくことで見えなくなっていき、最後に両親の死を受け入れることで別れの時が来る。

 数巻に渡って展開した原作小説や連続ドラマであるテレビアニメ版から想像するに元々両親とウリ坊たちにそんな関係性などなかったのだろうし、そこに不快感を覚える人もいるかも知れないが、この構造によって本作は一本の映画として芯が通ったように思う。


 では本日はそんなところで。
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