例会とは
「例会出席の意義」ということで、ロータリーの源流を主宰されておられる2680地区田中毅PDGでは次のように解説されておられますので下記にご紹介いたします。
新会員に例会出席が重要と考えさせられるのも、例会運営の主催者(コーヂネーター)側の会長のリーダーシップが重要となろう。充実した例会運営や卓話内容次第ということだと言える。
以下は、ロータリーの源流の「例会出席の意義」です。
[一人一業種]と[例会出席]は、ロータリー運動を成立させるための必要条件です。
ロータリー・ライフにおける親睦の第一歩は、先ず、毎週必ず例会に出席することから始まります。
入会前のインフォメーションで
@ホームクラブに半期30%以上出席
Aメークアップを含めて半期50%以上出席
B連続四回欠席してはならないという出席規定を聞いていたとしても、その条件はひとまずご破算にもどして、@ホームクラブに毎週必ず出席する Aどうしてもホームクラブに出席できないときは、必ずメークアップをすると再入力し直す必要があります。
この規約は、会員身分を保証するための最低条件に過ぎず、ロータリー運動が望んでいる会員像は、毎例会、欠かさずホーム・クラブに出席してくるロータリアンの姿だからです。
ちなみに、連続四回欠席すると自動的に会員身分を失うという規定は、1905年 3月23日、ロータリーが発足してから僅か三回目の例会で決められたと言われています。
メークアップ制度ができたのは、ずっと後の1922年であり、高速交通機関がない時代に、アメリカ全土に僅かに点在する他クラブでメークアップすることは、物理的に不可能であり、出席はホーム・クラブ出席を意味していたに違いありません。
原始ロータリーにおける例会出席は、友情の証でもありました。四回も続けて休むような人から友情を期待することはできないという理由から、連続休会、即、退会という結論がでたのに違いありません。現在のロータリーでも、例会出席が友情の証であることには変りはありませんが、その理由だけで、例会出席の意義を説明するには聊か無理があります。
先ず、もしも、例会を休んだとしたら、どのような弊害が生じるかを考えてみたいと思います。例会にはその地域の凡ゆる職業の横断面を代表する会員が出席していますから、あなたが休むことによって、他の会員は、あなたの職業に関する情報が得られなくなると同時に、あなたもあなた以外のあらゆる業種の情報が得られなくなることになります。
その意味では、例会出席は特権であると同時に、極めて重要な義務でもあり、仕事に支障をきたさない範囲で出席するという理屈は通りません。むしろ安心して例会に出席できるように環境を整備すべきであり、ロ−タリアンにはそのように配慮できる裁量権があるはずです。義務として例会に出席して、そこで生じた仕事のタイムロスを憂うのではなく、特権として出席した例会で得られるものの方が、あなたやあなたの会社やあなたの業界にとって遥かに大きいということを自覚しなければなりません。
万一、真面目に事業を営み、ロータリー運動を推進しているロータリアンが、事業の不振のために破産するような事態があるとすれば、それはロータリー運動そのものが否定されることを意味します。
ロータリアンの事業の安定化を図る方策は、物質的互恵から精神的互恵を経て、職業奉仕の実践に移行し現在に至っています。奉仕哲学を探究しつつ、永年のロータリー活動を通じて蓄積された膨大な情報こそ、ロータリアンの事業を発展させ、企業経営を健全化に導く貴重な情報とも言えましょう。
ロータリー哲学を構築する理論と情報と教育的効果を、夢々疑ってはなりません。不況の時にこそ、ロータリー運動の真価が表われ、真のロータリアンと単なるロータリークラブの会員との差が証明されるのです。かつて、零細企業主だったロータリアンが、一様にその事業を隆盛に導いたのは、決して物質的相互扶助の効果ばかりではなかったし、1929年からの大恐慌に際して、シカゴ・クラブのロータリアンが自らの企業を守り抜いたことも、これを実証しているのです。
ここで述べる情報とは、定款や細則や、また単なる業界のニュ−スやトピックスだけを指すものではありません。ロータリアンは例会を通じて、ロ−タリ−が提唱するモットー、四つのテストや各種の理事会や大会決議を始め、歴代のRI会長が提唱するテ−マの精神を理解し、ロ−タリアン個々が実践している職場や業界の職業奉仕の事例を参考にして、奉仕の心を高めるための努力をしているはずです。その結果得られた結論と、結論を導きだすために努力した過程のすべてが、貴重なロータリー情報なのです。
情報を交換する努力は双方向から行われるべきものであり、受け取る側も与える側と同等の努力を払わなければなりません。
国際的なロータリーの会合に参加すると、会場の入口には決まったように、
Enter to learn と Go forth to serve の看板が来訪者を迎えてくれます
。[入りて学び、出でて奉仕せよ]この言葉はロータリーの全ての集会に参加するときには、その集会を通じてロータリアンとしての心を磨くという目的意識を持って参加し、集会を終えてコミュニティに戻れば、集会で磨いた奉仕の心を実践に移さなければならないことを意味しています。
ロータリーの正式な会合は例会であり、クラブ協議会、IM、地区協議会、国際協議会などがこれに次ぐ重要な会合です。
例会の目的は、職業上の発想の交換を通じて、分かち合いの精神による事業の永続性を学び、友情を深め、自己改善を計ることにあり、その結果として奉仕の心が育まれてくるのです。自己改善は終生続けられなければなりませんからロータリアンには定年はないし、ロータリー運動には終結もありません。これが例会出席がロータリー・ライフの前提となる所以なのです。米山梅吉は「ロータリーの例会は人生の道場」と語っています。
お互いが切磋琢磨して自己研鑚に励む貴重な修練の場でなければなりませんから、例会運営に当る者は、事業に従事すべき貴重な時間を割いて例会に参加する会員に、それに値するメリットを与える義務があります。限られた時間の中で、如何に有益な情報を効果的に提供するかを真剣に考えて、実行しなければなりません。会長の時間、議事、各種の報告、卓話、そのひとつひとつがロータリー運動の質を高め、参加者の心に深い感銘を与える内容であってこそ、始めて、例会出席の意義が満たされるのです。
例会の場を通じて、ロ−タリーの理念を学び、自己改善を積んだからこそ、下請業者や従業員や顧客の犠牲の下に不当な利潤を追求したり、後ろめたい気持で濡れ手に粟の暴利を貪るよりも、企業モラルの高揚をめざしながら、信頼に基づいた継続的な取引の中から適正な利潤を得ることが、事業を成功に導く道であることに気付いたのです。
例会で学んだ奉仕の理念を、自分の職場に持帰ると共に、自分が属する業界に広め、地域社会全体の職業モラルを高めることが職業奉仕だと考えれば、あなたが例会を休むことが、あなたはもちろんのこと会員全員に、さらに、地域社会のすべてに、大きな損失を与えることになるのです。業界の会合には代理をたてることが許されたとしても、ロータリーの例会には、自分自身が出席しなければならない理由はここにあります。その前提からさらに深く考えれば、例会出席はホームクラブの例会に出席することが要求されていることも、容易に想像がつくはずです。ロータリアンが目指さなくてはならないのは、ホームクラブ100%出席なのです。
新入会員の殆どは、ロ−タリ−ライフに関して数々の疑問や不安を持つています。ロ−タリ−を真面目に考える人ほど、その度合いも強いはずです。入会前は、ロ−タリ−に対してどんな先入観を持っていても自由です。たとえ、間違った解釈であったとしても、それは、地域社会に対するロータリーの広報の怠慢として、その責はクラブが負うべきでしょう。しかし、一旦、ロ−タリークラブの会員になった以上は、正しくロ−タリ−を理解してもらわなければなりません。
会員として推薦される人は、みな、裁量権を持つ世の有為な職業人であり、ロータリーの精神を理解し、行動する能力を秘めているはずです。会員になった喜びを噛みしめている入会当初こそ、ロータリーの思想を素直に吸収できる絶好のチャンスかも知れません。
入会後何年かが過ぎているのに、万一、間違った理解や自己流の解釈に陶酔している会員がいたとしたら、それを正しい方向に軌道修正を促す努力も大切です。勉強しようと思いつつ、いつしかその探究心も薄れて、ただ漫然と月日だけが過ぎ去っていくものです。そんな会員に限って、奉仕の理想を説く人の言葉が疎ましく、自分の行き様に疑問を抱くこともありません。
「ロータリーは楽しいよ。できる限り例会には出ているし、友人も沢山できた。クラブの行事だってちゃんと参加しているのに、何処が悪いの。」
ロータリーの本質を正しく理解しないまま、例会を昼食会と錯覚し、ロータリーの二義的な現象をロータリー・ライフと思い込んで、いたずらに在籍年数を重ね、段々とお釈迦になっていくロータリークラブの会員の如何に多いことでしょうか。ちなみにガイ・ガンディカーは、ロータリーの精神を真に理解している者をロータリアンと呼び、そうでない者をロータリークラブの会員と区別して呼んでいます。
ロータリアンは例会を通じて、自己改善されなければなりません。例会を通じて学ぶべきことは、ロータリーにおける奉仕の心であって、必ずしも、定款や細則の条文を諳んじることではありません。定款を憶えるとも大切ですが、規約の中にロータリーがあるのではなくて、規約が制定されるに至った背景と過程の中に、ロータリーの哲学を燻蒸させる思考、すなわち、ロータリーの奉仕の心が潜んでいることを忘れてはなりません。ロータリアンには、定年も卒業もありません。ロータリー運動を機会に始められた、人生の真理の探究は、より高い次元へ向って、その内容の質を高めながら、終生続けられなければならないのです。
ガイ・ガンディカーは真のロータリアンを[常に電流の流れている電線]live wire にたとえています。
電流が流れたり止ったりする電線は、何の役にもたちません。常に電流が流れる電線であるがゆえ、価値があるのです。毎週一回の例会に出れない人が、その職業の代表者としてロータリークラブの会員になったとしたら、その業界に与える損失は計りしれないものとなるでしょう。ロータリークラブはそのような無資格者を、直ちに排除して、同一職業分類の下で新たな適格者を入会させる努力をしなければなりません。
もし定期的に出席する確信がなければ、職業分類を代表しない方がよい。ロータリークラブは、常に電流が流れている電線のようなものである。電流が時おり流れる電線は、さして貴重なものではない。出席しない会員や出席状態の悪い会員に対する罷免の措置は、事業における決断のように、断行されなければならない。
If there is no affirmative assurance of regular attendance, the classification had best be unrepresented. Rotary is a live-wire club・・a wire cannot be considered very much alive if the current only passes through it occasionally. The rule dropping members for non or irregular attendance should be enforced with characteristic business firmness. [A Talking Knowledge of Rotary]
定款によって、ロータリーの正式な会合は例会と定められ、例会出席は会員の義務になっています。このことは、例会が奉仕の心を形成する唯一の場であることを示し、更に、毎週の例会にすべての会員が参加して、共に奉仕の心の形成するという目的に向って切磋琢磨する根源に、ロータリアンの友情、即ちロータリーの親睦を置いているからです。
さらに細則によって、その他のあらゆるロータリーの会合として地区大会、IM、地域大会、国際大会などがあげられ、すべての会員の出席が奨励されています。時間的、距離的、経済的な制約もあるので、地域大会や国際大会はともかくとして、地区大会やIMには全員が出席すべきでしょう。
地区大会やIMがマンネリ化して魅力に乏しいという声をよく聞きます。これらの会合がオフィシャルな会合と定められ、すべての会員の参加が奨励されている以上、単なるセレモニーや退屈な内容から脱却して、文字通り全員参加の喜びを肌で感じとれるものにする、主宰者側の意識改革と努力も必要でだと思います。
注意したいことは、例会以外のクラブの内部的行事は、ここで述べるロータリーの正式な会合とは呼ばないことです。親睦会やクラブ活動などのリクリエーションや、Fireside meeting や委員会などがこれに該当し、これらの会合への出席は自由であり決して強制であってはなりません。しかし、親睦会で皆と打ち解け合って友情を深めることも、 Fireside meeting で討論を重ねて真理の探究をすることも大切なことであり、可能な限り出席すべきでしょう。
極めて重要な仕事と例会が重なった場合は、当然、仕事が優先されます。どう考えても、急患を断ってロ−タリ−の例会にでることが、医師の倫理にかなうとは思えないからです。不幸にして健康を害した時も同様です。ストレッチャ−に乗せられて例会に出席することが、特に賞賛に値する事例とは思えません。特別な事態が起こった時は常識が優先します。そのために、メ−クアップという制度があるのです。
入会まもない頃は、出席の重要性が充分理解できないこともあって、ついついメークアップを怠ることが多いようです。周りが顔見知りのホームクラブと違って、知らない人ばかりの他クラブの例会に参加することへの気遅れもあるでしょうし、メークアップの方法が解らない人もいるでしょう。新入会員を数組に分けて、メークアップならぬメーク・フレンドとして、近隣クラブを訪問することも効果的な方法です。
あらかじめ、出張などで例会欠席が判っている場合には、事前にメークアップを済ます習慣をつけておく方がよいと思います。欠席した後で、あわててメークアップの場所を探すよりも、前後4週間に選択の幅を広げる方が融通性がつき易いことはいうまでもありません。
100 %出席は全ロ−タリアンの目標です。事業も安定し健康に恵まれているからこそ達成できる目標でもあります。ロータリアンは長生きする人が多いといわれています。出席義務を果たすために健康に留意し、自己管理を怠らないことにその原因があるとすれば、万金に価いする profitsとも言えましょう。メ−クアップを有効に活用して、ぜひとも、その目標に向って努力していきたいものです。
メークアップ制度ができたのは、RIの発足に伴ってロータリーの定款や細則が抜本的に改正された1922年のことですが、最近とみに、メークアップの定義が拡大され、その対象となる会合の枠が広がる傾向が目立ちます。1995年の規定審議会において、メークアップの有効期間が前後2週間に拡大され、更に2001年の規定審議会では、ほとんどの会合への参加が、クラブ理事会の裁量でメークアップとして認めらけるように変更されました。さらに2004年にはインターネットによるメークアップが認められるようになりました。例会は奉仕の心を形成するために自己研鑚をする場ですから、奉仕の実践の場である、社会奉仕活動、国際奉仕活動やロータリー財団の活動に実際に携わる場合を例会出席のメークアップとみなしたり、ましてはインターネットによるアクセスをメークアップとみなす規定には、大きな矛盾を感じます。単なる昼食会で無為な時間を過ごすよりも、ボランティア活動に汗を流すほうが大切という理論のすり替えに、ロータリー運動の未来に大きな不安を感じます。
例会出席の重要性を喚起するために、1922年のダラス大会で、クラブ規模別の[出席競争規定]が採用されましたが、その後改正され、現在は地区内で[出席競争]が行われ、その結果が、ガバナー月信に発表されることになっています。
<地区出席競争>
各地区ガバナーは、その地区内のクラブ間の出席競争を実施し、かつ、クラブからガバナーに提出される月例の出席報告に基づき、マンスリー・レターにこの出席の競争の結果を発表することを要望されている。
Each governor is requested to conduct an attendance contest among the clubs in his district and, on the basis of monthly attendance reports filed with the governor by the clubs in his district to publish the result of such contest in his monthly letter.[ District Attendance Contests ] (1967年RI理事会)
遠隔地に旅行して、やっと尋ね当てた例会場で、当然開かれているはずの例会が、たまたま休会になっていたということがあります。例会の曜日と時間と場所は、[オフィシャル・ダイレクトリー]によって世界中のロータリアンに公開されている約束事であり、近隣のクラブに連絡をしたということで、来訪ロータリアンの例会出席の特権を奪った責任が免れられるものではありません。
特別の事情があった場合にのみ、例会の曜日と時間と場所の変更が許されるのであって、[親睦会]が特別の事情に当らないことは、言うまでもありません。安易に各種行事のために例会日を変更する風潮は戒めなければなりません。その観点から記念行事を兼ねてバスや船で例会を催すことも、事実上、他のクラブからの来訪者が参加できないので、避けるべきです。
この原則から考えても、理事会の裁量で年四回までの休会を認めるという定款の改正は、ロータリアンの例会参加の権利を制限するという、ロータリー運動の本質にかかわる悪しき決定とも言えましょう。
たまたま行った他クラブの例会が、たまたま休会になっていた場合には、メークアップしたものと認められます。この規定を悪用して、休会のクラブを選んで行き、メークアップ・カードをもらってくる会員がいると聞きました。その発想に情けなさを感じるのは私だけでしょうか。
例会は会員と来訪者共々に親睦を図る場であり、情報の交換によって奉仕の心を磨く場でもあります。従って、例会では事の白黒をつけたり、議論を闘わすことはなじまず、二つの例外を除いて、全ての事柄の審議は理事会に委ねられています。
例外の一つは役員人事を決める[定時総会]であり、他の一つは[提訴が審議される例会]です。更にこの[提訴が審議される例会]には、他クラブの会員の例会参加が許されていません。
世界中のどのクラブの例会にも出席できるとする例会出席の特権と、他クラブの会員の例会参加を認めないとするこの規定との間に、いささかの矛盾を感じないでもありません。
会長を始め、幹事や委員会の報告が済んで、いよいよ卓話の時間に入るその瞬間、メークアップに来た来訪者が一斉に席を立つ異様な光景に、唖然とする人も多いと思います。この傾向は、大都市の大クラブに多く見られ、中には、司会者が「今からクラブ・フォーラムを行いますから、お客さまはお帰りいただいても結構です。」と、アナウンスするクラブさえあります。
ロータリーは60%ルールを採用していますから、例会時間を60分とすればその60%、即ち36分間例会に参加すれば、出席したものとみなされます。更に2001年の改正で、60%参加しなくても、適切な理由があれば、理事会が出席と認めることが可能となりました。確かに 1時 6分まで席を暖めておれば出席は成立するのでしょうが、今まで述べてきた例会出席の真の意義を考えるとき、この[食い逃げ]現象は、ロータリアンとして恥ずべき行動といわざるを得ません。
特殊事情のある会員を救済する便法として60%ルールがあるわけですから、ホームクラブならいざ知らず、わざわざ早退しなければならない特殊事情のある日を選んで、メークアップをする必要性はないはずです。毎日のように、どこかのクラブが例会を開いているのですから。
メークアップをするときには、必ず最後まで例会に参加して、知己を広め友情を深めると同時に、他のクラブの例会運営や卓話を通じて、新しい知識を吸収することを心掛けたいものです。
クラブ例会で退席しようとする来訪者を制止することは、言うに易く行うに難しいことです。受付に「例会時間100%参加にご協力ください」という立看板をだしているクラブもあるし、SAAの権限で、開会と同時に例会場の扉を閉門したり、来訪者の紹介の最後に「ぜひ最後までご参加ください」などのコメントを付け加えるとか、なるべく前の席に誘導するとか、テーブル・マスターをおくことなども有効な方法ですが、訪問者がついつい退席することを忘れるような、楽しく真面目な例会運営を心掛けることが大切です。
例会プログラムのメインは卓話です。
ロータリー運動の歴史的な流れから見ても、会員同士の精神的互恵として職業上の知識や情報を提供する職業奉仕活動の一つと位置付けられ、その見地から、会員自身が自分の職業に因んだ卓話をすることが原則とされています。職業上の経験談が、他の会員の職業奉仕観に有意義なアドバイスを与えることが卓話の効用であり、話の上手下手などは論外です。実践に基づいた真実の話は、人の心に強いインパクトを与えます。国際理解を深めるために、海外旅行で感じとった体験談を語ることも、ロータリーの卓話としてふさわしい内容といえます。
世界理解月間とか米山月間などの特別月間行事に、留学生などの関係者や、その活動に造詣深い地区委員などを呼び、更に理解を深めることは意義あることです。 話が上手という理由のみで、軽々しく外部から講師を呼んで、ロータリーと関係の薄い話をしたり、卓話の時間をアトラクション化することは慎みたいことです。
一生懸命仕事をして、例会時間に遅れまいと息せききって来る人もいるに違いありません。平均年齢の若いクラブは、責任ある地位で現実に働いている会員が大部分ですから、むしろ毎週そういう状態で参加する人の方が多いかもしれません。例会に背広とネクタイを着用しなければならないという規定は存在しません。職種によっては、作業服を着て仕事をしている場合だってあるはずです。現場からユニフォ−ムを着て、おおいばりで例会に来ることは、一向に差し支えないことです。但しエンブレムだけは忘れないようにしたいものです。
一時間という限られた時間内に、すべてのプログラムを無理やり詰め込もうとする例会運営にも、大きな問題があります。卓話が30分、会長、幹事、委員会報告等のオフィシャルな時間が20分と仮定すると、せっかく一週間ぶりに出会った友人と情報の交換をしたり、奉仕の心を語り合ったり、友情を深めたりする時間は、食事をしながら、たった10分しかないということになります。日本の例会では私語が多いといわれる原因も、この辺にあるのかも知れません。
例会時間を一時間と限定する規定はどこにもありません。クラブ細則で定められているのは、例会の場所と曜日と開始時間だけであって、例会時間に関する取り決めはなく、いずれのクラブも単なる慣例として、一時間例会を行っているに過ぎないのです。一時間では、友情溢れ、かつ奉仕の心を深めるには短かすぎると判断すれば、例会時間を一時間半とか二時間に変更することは可能ですし、特別なプログラムのために例会時間を延長することも自由であり、これら全ての権限はSAAに属します。
アメリカでは一時間半が普通ですし、ヨーロッパや東南アジアでは二時間、三時間の例会も多く、きっちり一時間で終わる日本の例会の方が特別なのかも知れません。
A Talking Knowledge of Rotary に、例会を昼食会や夕食会に組合わせて開催することが書かれていますが、現在の規約にはその取り決めはありません。能率よく集まるために共に食事をするという歴史的事実から慣習化したものであり、食事抜きの例会は外国ではさほど珍しいものではないようです。アメリカでは数ドルから15ドルの範囲で幾種類かのメニューが用意されていて、各自がめいめいに、好みの食劵を購入する例会も見受けられ、食事費込みで会費を徴収することが普通になっている日本のロータリークラブの運営方式が、例外といえるのかも知れません。
ロータリーの源流より

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