なかなかまとまった時間がとれないので、生観戦はおろかビデオ観戦もままならない。そんな中、
NOAH &
Ozのメキシコ遠征の模様をやっと観た。
3,12 AZTECA BUDOKAN
○ディアボリカ ┓ ┏永島千佳世
ミス・ジャネット┛体固め┗カルロス天野×
シコシス ┓ ┏KENTA
イステリア ┃1−2┃石森太二
グラン・アパッチェ┛ ┗オリエンタル
おお、会場は
アステカ・ブドーカンか! 懐かしい⋯⋯いや、懐かしいと言っても、訪れたことがあるわけではない。つか、アメリカ大陸自体、上陸したことがない(笑)
1993年に放送されたテレビ番組中のメキシコ特集で、足の骨折により長期欠場中の
エステル・モレノ(当時、全女準レギュラー)が取り上げられた。
ロッシー、エステル、シンティア⋯⋯姉妹を筆頭に、モレノさんちはレスラー一家。自宅の中庭にリングを設営し、ジム兼試合場を造ってしまった。客席の上のほうに、何故かエステルの部屋があり、壁一面全女のポスターで埋め尽くされていた。
そして、この中庭会場にはモレノ一家と縁の深い日本の大会場・
日本武道館に因んで「
アステカ・ブドーカン」という名が付けられた。
またこの頃、エステルたちの弟がルチャ・ドールとしての一歩を踏み出そうとしていた。姉たちとは違い、マスクマンとして。
そのマスクを作ったのはエステル。足は上手く動かないが、その分腕によりをかけられた。マスクには、リングネームを日本のカタカナで入れた。
“
オリエンタル”と。
そうです。アステカ・ブドーカンは、モレノさんち⋯⋯オリエンタルんちだったんですねぇ。随分立派になってたみたいだけど、儲かってんのかな(笑)
そうそう、翌94年だったかな──だとすると、ヰズミが全くの素人のいちファンだった最後の年だわ──後楽園ホールのバルコニー席(“席”じゃないんだけどね)で、復帰したエステルの試合を観た。
試合を終え、丁度ヰズミの真下を通る退場路のエステルに声を掛けた。
「ビバ! モレノ!」
エステルは、フツーに手を振ってくれた。そこで更に一声、
「ビバ! アステカ・ブドーカン!」
エステルは「え?」という表情でこちらを見上げ、次の瞬間、満面の笑みとサムアップをくれたのだった。