PRIDEネタをもう一発。
“ポーランドの柔道王”
パウエル・ナツラは、初参戦でありながらいきなり
ミノタウロとの一騎討ち。破格の扱いですな。まあ、確かに実績は物凄いものがある。
★1996年アトランタ五輪男子柔道95kg以下級 金メダル
★世界選手権 1995年(幕張)&1997年(パリ) 金メダル
★ヨーロッパ選手権 1994〜1996年 3連覇
ほんの一部を取り上げただけでもこんな具合。また、94年から97年頃の約4年間においては
312戦無敗という記録を打ち立てている。これは公式に記録されている数字であり、確認しようのない⋯⋯というか事実ではない“400戦無敗”などとはワケが違う。
とは言うものの、これはあくまで過去の記録。もうすぐ35歳というのも気になるところ。多くを期待するのはやめておこう(笑)
さて、ヰズミがナツラに注目している理由は、以上のような輝かしい柔道歴にある⋯⋯のではない。
ヾ(゚∇゚*) .。o○( ほなどこにあんねや!
1992年11月28日、ナツラは
嘉納杯95kg級で優勝を果たした。もちろん柔道の大会である。そして⋯⋯2週間後の12月12日、両国国技館で行なわれた「
第1回世界相撲選手権大会」に、ナツラ(ナスツラ)はポーランドチームの一員として参加したのであります!
つまり、
エマニュエル・ヤーブロウ(ヨルボーグ)や
ハビリ・ビクタシェフ(カビル・ビクタチェフ)と文字通り同じ土俵に立った男が、PRIDEのマットに立つということなんですよぉ! まぁ、ポーランドチームは、ビクタシェフ擁するロシアチームに敗れて上位進出を果たせなかったわけですが。
あ、そうそう。「トム・クルーズ似」と評されるナツラですが、当時は薄い口髭のせいもあって「アンディ・フグ似」だったことも付け加えておきましょう。