雨男  エッセー

雨 男

晴れ女、晴れ男という言葉がある。

その逆の言葉もある。そう言われても仕方がない人っているよね。

昨日午後、ひそかに「雨男」と思っている友人から電話が入った。

「釣りにいかないか」

空を見ると、まあまあ。雨は降りそうにない。

出かける先は、当市の西端にある溜池。

車で十五分くらいの所だ。

到着して車を下りようとドアに手をかけたら、フロントガラスに雨が落ちてきた。

長靴にはきかえているうちに、もっとちゃんとした雨になってきた。

念のため、レインコートも羽織る。

溜池はここ二週間のよい天気で干上がっていた。

水辺がかなり遠退いている。

五十mくらいの距離を歩いているうち、本格的な雨になってきた。

水辺に立って十分もしたころだ。

突然、雷が鳴り始めた。まったく信じられない成り行きだ。

雷が鳴りそうな気配など、全然なかったのにだ。

この人とどこかに出かけると、必ず雨と雷がやってくる。

必ずではないのだけれど、必ずと言ってしまいたくなるくらいに、雨や雷に見舞われるのだ。

今まで何ともなかった空が、突然暗くなり、雨、そして雷がくるのだ。

この人が車を下りた途端に、どしゃぶり、凄い雷ということが何度もある。彼が車に戻ると、雨が小降りになり、雷がおとなしくなる。

我々はそんな時は車の中で顔を見合わせて苦笑しつつ待つが、彼は仕方ないとあきらめるのか、どしゃ降りの中一人で釣りを決行したりする。

摩訶不思議な男である。

昨日は雨コートを羽織っていたものの、たった二十分くらいの間に、びしょぬれになってしまった。

だが、昨日はおもしろい体験をした。

溜池が干上がりかけていたものだから、自分の一歩づつの足跡を見ることができたのだ。

溜池に堆積した泥が、丁度いいくらいの軟らかさで、まるで型を取る時のような、きれいな足跡がついた。

こんな経験は現代ではなかなかできなくなっている。

泥の上に貼りついている黒く変質した葉っぱに、泥を重ね、閉じこめた。

一億年くらいたったら、もしかしたらきれいな化石になっているやもしれぬ。

そんな化石を発見したとして、発見者は、その化石に人為が加わっていることなど、想像もしないだろうな。

あるいは、現在発掘された化石の中にも、遠い遠い昔、誰かが戯れに泥をかぶせたものがあるかもしれぬ。

道路の上から眺めたとき、干上がった溜池の底にある木は潅木のように見えた。

だが、それは数十年の昔、この溜池の底に沈んだ木々のてっぺんの部分であった。

泥がすでに数メートルも堆積して、今は木々の頭のところまで埋めてしまっているのだった。

どんな巨大なダムでも、数十年から百年未満で埋まってしまうという理論を、この目で見たのだった。

ダムは自然の変化を堰きとめようとするものだが、メンテナンスをしてさえ、決して大自然の力を堰きとめることなどできないのだ。

それなのに、おおがかりに環境を壊し、生態系を壊し、巨額の費用を要するダムは、今も建設され続けている。

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