山中のアヒル  エッセー

山中のアヒル(九月二十五日)

昨日の夕方、隣町のダムまで出かけた。

長袖シャツ一枚には夕風が冷たく、この季節、出かけるときの服装はあなどれないと肝にめいじた。

ダム湖に沿って走っていると、上手の方から何か白いものが流れてくるのが見えた。

鳥のようだ。

白鳥? まさか、まだ早すぎる。

しかし、怪我でもして去年保護された白鳥ということも考えられる。

ダムのなかほどで車を降り、近くを散策することにした。

するとまもなく、さっきの白い鳥が湖を下ってくるのが見えた。

最初に鳥を見かけたところから1kmくらい下流であることを考えれば、かなりの速さだ。

鳥は湖の中に顔を出している石のところまで来ると、急にリラックスしたように羽を広げたり、羽づくろいをし始めた。

石の小島の面積は二uくらいで、島の近くにはダムが造られた時に沈んだらしい枯れ木が立っているが、草などはない裸の島だ。

双眼鏡で覗いてみると、鳥はアヒルであった。

くちばしが黄色い。

人の声が聞こえたと思い、双眼鏡をはずすと、アヒルに向かって釣りのボートが近づいていた。

ボートの上の三人がなにやら騒いでいる。

山中のダム湖の真中にアヒルがいる珍しさに声をあげているのだろう。

あたりが暮れなずんでも、アヒルは島から帰らない。

月が輝きをましてきても、アヒルは帰ろうとしないどころか、石の小島の上に上がり、うずくまったり、立ち上がってはまたうずくまったりを繰り返している。

そのうち、アヒルはとうとう白い大きな卵のように丸くなってしまった。

石の上で夜を過ごすつもりらしい。

冷たい風の吹き渡る湖の上で夜をしのぐということは、アヒルは飼われているわけではなさそうだった。

きっと、誰かが捨てていったのだろう。

以前、知人が「アヒルを山に捨ててきた」というのを聞いて、唖然としたことがある。

それにくらべれば、あのアヒルは水辺に捨てられたのだから、まだしもとは思う。

こんなに大きな湖を、誰にも気兼ねなく、自分の湖として使えるのだから、、、。

それにしても、人間世界から見れば、これはルール違反というものだ。

あのアヒルは、でも賢い。

最初は、「なにも、こんな寒いところで夜をこさなくても」と、思った。

だが、よくよく考えれば、あの石の小島は、吹きさらしの湖上とはいえ、キツネやイタチに襲われる心配のない、ぐっすり眠れる場所なのだろう。

それにしても、真冬はダイアモンドダストが見られることもある寒い山中だ。

アヒルはこの後どうなるのだろう。
   
昨夜から、我が家は毛布を使い始めた。



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サンショウウオ  エッセー

サンショウウオ

 
先日、クロサンショウウオの卵をみつけた。

その時、「サンショウウオだから、山椒の匂いがするんだろうな」、と思った。

だが、畑正憲氏の『天然記念物の動物たち』を読んでみると、サンショウウオの匂いは山椒の匂いではないらしい。

天然記念物の話だから、畑氏が書いているのはオオサンショウウオのことである。

でも、サンショウウオの仲間なのだから、おそらく匂いは同じか似ているのではないかと見当をつけた。

畑氏は山椒の臭いがするかと思って、サンショウウオを抱きかかえて匂いをかいだが、匂いは何もしなかった。

夜になって、風呂を使おうとして、ポロシャツを頭の上に引き上げた。

その時になって、サンショウウオのものらしい匂いに初めて気がつくのである。

サンショウウオの匂いのもとは、背中の皮脂腺から噴き出す粘液である。

その粘液はすぐには匂いをたてず、空気に触れて、酸化、分解が進んで初めて匂うらしい。

畑氏は、その匂いが何に似ているかを表現しようとして、苦慮している。

しかし、かぐわしい香りだと言っている。

早朝や夜半、庭に立つと、ふとかぐわしい香りをかぐことがある。

花の香りに似ていながら、花ではなく、木々の緑か、木そのものから発散されていると分かる、甘く、澄んだ香りである。

もしかしたら、樹液の香りなのだろうか? 

セクシュアルな香りでもある。

夜露が降りてからの時間帯であることが多い。

畑氏の文章から想像した匂いは、夜の木立のあの匂いであった。

クロサンショウウオの卵をみつけた、あの場所に通えば、いつかはその匂いを知ることができるだろう。

『天然記念物の動物たち』によると、オオサンショウウオの産卵期は、八月から九月となっている。

《上流へ上流へとはいのぼり、清流の石の下などに、ほぼ六〇〇ほど卵を産む。ヒキガエルのように、寒天質の紐にくるまれた卵を》と書かれている。

クロサンショウウオとオオサンショウウオでは、産卵の時期も、卵をおおう皮膜もまるで違うらしい。

この続きは、いつかまたお知らせできるかと思う。



魚たちの空  植物

魚たちの空

 
雨降りか、、、。

今朝は、まるでこれから夜になってゆくかのように暗い。

食事も、なんだか、何を食べてもおいしくない。

心がときめかない。

木々はもうすっかり落葉の準備に入ったようで、モクレンなどは早、葉の半分くらいが落ち、裸の枝を見せている。

木の間からのぞく空が真っ青だったらどんなにいいだろう。

少なくとも、来週月曜日までは、こんな天気が続くらしい。

重なり合う木々の間から、空を眺めていて、ふと思い出したことがある。

魚たちが見ている空のことである。

魚たちは水の中とはいえ、地表に一番近いところに棲んでいながら、ほかの動物にくらべ、空に一番近いところで生きている生物でもあると言えないだろうか。

ほかに、地面を這うアリやヘビや小動物がいるけれども、地表に近く、しかも空を眺めて暮らす時間が一番長いのは魚であるような気がする。

魚といっても、川の魚、それもイワナやヤマメや渓流に棲む魚のことである。

イワナやヤマメは、流れの上に落ちてくる虫や、水面近くを飛ぶ虫を食べて生きているから、水面の変化にはとても敏感だ。

水面の変化を見逃さないために、彼らはいつも水面を見上げている。

水面の明るさをその底で支えているのは、空である。

釣りは、まず、朝まずめ、夕まずめがねらい時だ。

何年か前のある夏の日、友人の釣りについて行った。

一日中あちこちの川を渡り歩き、その日の最後、仕上げとばかりに、友人は川原に下りていった。

あたりはもう顔の表情さえ読めないくらいに暗い。

高く生い茂った夏草におおわれた川原や水面はなお暗い。

「ルアーがいくら光ると言っても、こんなに暗いんじゃ、魚にはもう見えないんじゃないの?」橋の上から声をかけた。

すると、意外な答えが返ってきた。

「魚の上の空はまだ明るいから、そこを泳ぐ黒い影は返って目立つんだ」

それこそ、目からうろこであった。

仰向いて空を仰ぐと、たしかに空にはまだ残光の照り返しがあって、ほのかに明るい。

あたりが闇に閉ざされ、暗くなっても、魚たちはまだ明るい空を見上げているに違いなかった。

魚たちは、いつも空に描かれる絵を見て暮らしているのだ。

空の中で起きる出来事が、彼らのニュースなのだ。

橋の上の人影が首をかしげたり、仰向いたりしているのも、魚たちはくっきりと捉えているにちがいなかった。

美しく晴れ上がると、人は空を仰いで深呼吸をしたりするが、ほかの多くの時間、人は自分の目の高さの範囲で行動し、空のことなど忘れてしまう。

空を飛ぶ鳥でさえ、その多くの時間は、目的地である地表の一点、つまり地上を見すえたり、地表を動く獲物を探すために下を向いている方が長いような気がする。

しかし、こんなふうに一箇月も曇りや雨が続くと、返って空を仰ぐ回数が多くなる。

今朝のように、こんなに暗い空でも、魚たちの目になってみると、空は意外に明るいのだ。

魚眼にして見る灰白色の空の中には、電線が何本もシルエットになって走り、その上で同じくシルエットのスズメが三羽、しょざいなげに羽づくろいしている。



幸運  エッセー

幸運

五時起床。庭の草取りをした。ネコの額にもかかわらず、草取りにはなかなか追いつかない。

今の時期はまだいいが、梅雨に入ると草はぐんぐん伸びて、梅雨明けにはもう自然にまかせようとあきらめるしかなくなってしまう。

道路をはさんだ向かいの家は、年中、草一本見当たらないほどきれいにしているから、対照的である。

向かいの老夫婦とは、よく植物の話をする仲である。

年に二回くらいはこんな会話がさしはさまれる。

「草取りをしてあげようかと思うんだけど、留守の間によそ様の庭に入りこむのもなんだしねえ」

「そんなご心配はいりませんから、ぜひお願いします」

だが、まだ一度も、留守の間に庭の草がなくなっていたことはない。

それでも、草取りをするたび、つくづく我が幸運が思われる。

三年前の秋まで、草取りはできない相談だった。

十数年前、数百枚におよぶ原稿の清書を、朝から晩まで真面目に続けたのがたたって、首の頚椎を傷めてしまったのだ。

草取りは五分も続けられなかったし、本を読むのはベッドに横になってから、調理もなるべく下をむかないようにしてやっていた。

痛いのではなく、首のその部分が窒息しかかっているようになり、実際、呼吸ができなくなるような苦しさなのだ。

我が頭も支えられなくなったかと思えばため息も出たが、日常全般がそれで滞ってしまうわけでもないので、首とは折り合って生活していた。

三年前の秋、隣県の丸森町に釣りに行った帰り、きれいな林道をみつけた。

入り口は広く、まるで掃除でもしたように、こざっぱりとした秋のたたずまいで、誰かが入ってくるのを待っているような風情の林道だった。

地図の看板があって、見れば相馬市に抜けられる。

「入ってみよう」ということになった。運転は友人がやっていた。

この林道、入り口はきれいに整備されていたが、進むほどに怪しげな様相をていしてきた。

道幅はあるのだが、路面は雨水に深く削られ、やがて両側の伸び放題の枝がかぶさり、長い間使われていない道であることが分かってきた。

あげくは、車をおりて、道をふさいでいる倒木を起こさねばならなかった。

その頃はとうに車を回れ右させる場所もなく、やぶれかぶれで前進あるのみ。

「下りにはいっているから、峠は越した」などと、慰めあいながら、右に左に大きく揺られながら進んでいたその時、ひときわ大きな上下の揺れがきた。

長さ五メートルもあるトラックが、風船のようにはずんだ。

シートベルトで、縛りつけていたにもかかわらず、帽子が天井にふれたのが分かった。

その瞬間、首がすっぽ抜けた。

その瞬間、長年滞っていた何かが、スムーズに流れ始めたのが分かった。

「首がなおったのではあるまいか?」

半信半疑ではあったが、直後から、早、体が、快晴の気持ちのいい日よりの下にいるのが分かった。

林道をようやく抜け出て車を止め、枝のひっかき傷や折れたアンテナなどの点検をしている友人を見ながら、笑いが止まらなかった。

十年以上も苦しんだ首の不具合は、思いがけなくもあの一瞬で回復し、『こぶとりじいさん』の話など思いながら、今朝も草取りを楽しんでいる。

あの林道のあの場所にはお礼参りをせねばならないのだろうが、なぜか二度と行く気がしないのである。


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黒豆  エッセー

黒豆


この頃、目の調子がとてもいい。視界がじつにすっきりしている。

地図を開いても、メガネなしで見える。

太陽のまぶしい下にいても、目を細めたり、眉間を寄せたりしないでいられる。

ある日の午後、何気なく外を眺めていたら、数十m先にある柿の木の若葉が、ずいぶんくっきりと見えていることに気づいた。

もともと視力はいい方で、今も両眼とも一・五である。

だが、老眼が早かった。老眼症状だと気づいた時はびっくりした。

三十五歳と六ヵ月の夕方であった。

老眼なんて、六十歳くらいの人がなるものだと思っていたのである。

気がつかないでいたが、老眼とは近くのものが見えにくいだけでなく、ずっと遠くのものも何となくぼやけて見えるもののようだ。

なんと言ったらよいか、涙が過剰に分泌されているような感じである。

涙は眼球の表面をおおうものだから、あの涙の膜がいらぬレンズの役を果たしているような具合に、物が少しふやけて見える感じである。

涙の量が増えたとは考えずに、頬の筋肉が衰えて、目じりが下がり、それで涙の循環が悪くなっているのだろうくらいに考えていた。

そういう症状がすっかり消えた。

涙の分泌量は、頬の衰えとは関係がないようである。

これは、最近、黒豆を食べているからだとしか考えようがない。

ある時、母が「黒豆、黒豆」と言うので、保存がきくように酢黒豆を作ってあげた。

その時、ついでに自分の分も作った。
酢黒豆の他に、コーヒーのように挽いたものも作ってみた。

一日のうちのいつ食べるとは決めていないが、一日、一度か二度は食べている。

黒豆は、これまで、正月の時に作って、数日程度しか食べない食材であったから、この二ヵ月くらいで、すでに以前の何倍かは食べている計算になる。

つい最近、お昼のテレビでも、「黒豆コーヒー」なるものを紹介していた。

作り方は、「焙煎した黒豆をコーヒーミルで挽き、お湯をさして、コーヒーのように飲む」という説明だった。

きな粉状ではないから、豆の小さなかけらができる。

かけらといっても、煎った豆だからすごく堅い。

それがお湯を吸うことで、瞬時にやわらかくなるのだ。

コーヒーといわれれば、コーヒーの感じがする。

すごくやぼったい感じのコーヒーである。

この飲み方があまり好みでない人は、砂糖か蜂蜜などの甘味を加えたヨーグルトに混ぜて食べるといいかもしれない。

こちらは、ほとんどコーヒーヨーグルトのようになる。

お湯の時のように、豆はすぐにはやわらかにはならないから、歯の悪い人は前もって作っておく。

ヨーグルトが苦手な人でも、豆の苦味と焙煎の香りがあいまって、食べやすくなると思う。

黒豆の焙煎については先日も書いたが、その時見逃した人のためにもう一度。

酢黒豆の場合は、160度のオーブンで15分程度。

クロマメコーヒーの場合は、180度で15分程度。
こちらは炭焼きコーヒーのように苦味ばしるから、どちらも160度でいいんじゃないかと思っている。

途中、二回くらい箸などで豆をころがし、上下を返すと、さらに均一な焙煎ができる。

起き抜けから視界すっきりの爽快さは、心にも良い影響を及ぼしているようだ。



朝顔と七夕  エッセー

朝顔と七夕


七月六日。

東京入谷の朝顔市が始まった。

浴衣姿や素足に下駄、そして片手に朝顔の鉢などをイメージするが、現実はどうだろうか。

入谷の朝顔市は明治の中ごろから始められたらしい。

最近ではあまり聞かなくなったが、朝顔といったら以前は一夏に一度か二度は千代女の句
「朝顔につるべとられてもらい水」を聞いたような気がする。

国語の時間にも習ったが、それ以前に、親たちの年代がすでにこの句を知っていて、朝顔が咲けば、その前で子供たちにこの句を聞かせていたように思う。

母の庭には毎年、濃いピンクの小ぶりの朝顔が咲く。マルバアサガオだと思う。

前年におちた種から芽吹くので、どこに顔を出すかは分からないが、どこに出てきても良いことにしているようだ。

たいていはツツジやレンギョウなどにからみついている。

朝顔は晩秋になってもまだ咲きつづけて、庭の整理のときに、「もう、一緒に刈り込んでしまおうかな」と、毎年思う。

そんなとき、こちらの心中を見透かしたかのように、必ず母の声が飛んでくる。

「朝顔は残しておいてね」

そうして朝顔は、何度も何度も霜にあたって、ついに枯れるそのときまで咲きつづけるのである。

朝顔の種を一度だけ蒔いたことがある。

曽野綾子の小説『天上の青』を読んだ翌年のことだ。

「ヘヴンリー・ブルー」という青い朝顔を育てている波多雪子のもとに、ある朝、通りがかりの男が声をかけてくる。

「きれいな青だなあ」

その後に起こる殺人のすべてが、この瞬間から始まってゆくのだ。

これを読んでいたときは、戸締りをしても恐ろしくて、ネコが立てる物音にも息を詰めていた。

そんなに恐ろしい思いをしたのに、翌春、わざわざ種をさがしてまで播いてみたのは、やっぱりその朝顔の「天上の青」を見てみたかったからだ。

朝顔は、最初は漢方薬として奈良時代の終わりごろに、中国、朝鮮から伝えられた。

種を「牽牛子(けんごし)と呼んでいたが、だんだんに朝顔そのものをさすようになった。

観賞用の花になったのは安土桃山時代あたりからで、江戸時代になると品種改良が進み、色がふえ、形も大きくなった。

そのころ、朝に咲く美しい花ということで、「朝容花(あさのかたちばな)」という意味の朝顔に変化した。

中国の七夕伝説では、織姫星のことを朝顔姫と呼んでいるそうだ。

朝顔の花は織女星で、朝顔の種は彦星ということになる。

母が好んだ色が鮮やかで、花期の長い小ぶりのマルバアサガオは、観賞用として江戸時代に渡来したとなっている。

子供のころ、七夕の朝は母と畑に出かけ、里芋の葉の上に水銀のような玉を結んでいる露を集めたものだ。

その銀の露で墨をすり、短冊に願い事を書き、笹の葉に下げるのである。

里芋の上の露は葉の成分を吸っているのか、洋服につくとシミになってとれなくなる。

ほんのちょっと葉が傾いただけでも露は葉の上をころがってしまうので、無作法に歩いて露をこぼさないようずいぶん気を使ったものである。

七夕とか天の川はいかにも夏のものの感じがするが、旧暦だったころとは季節がずれているので秋の季語である。

また、万葉集には朝顔を詠んだものが百三十首以上もあるそうだ。

中国の七夕伝説では、天の川の東に住んでいる織姫が、川向こうの牽牛に会いに行く形をとっているが、日本では牽牛が織姫に会いに行く形である。

これは、万葉時代の日本の結婚の形が通い婚で、男が女のもとに通っていたことによるとのことである。

七夕といえば仙台が有名であるが、青森の「ねぶた」、秋田の「竿灯祭り」なども七夕の祭りである。


     参考文献 『語源博物館』ほるぷ出版

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タグ: 朝顔 アサガオ 七夕

甘柿渋柿  エッセー

甘柿渋柿

 
生家の庭には大きな柿の木が二本あった。

どちらも富山柿である。

一本は屋敷内への入り口に。この木は血を這うような形をとってから立ち上がっているので登りやすく、子供のころはよく上り下りをして遊んだものだ。

もう一本は庭の奥のほうに。こちらには登れる子供は少なかった。高さは十数メートル、地面から直立しているのだ。

今は埋めてしまったが、この登れない柿の木のそばには井戸があり、風呂場もあった。

柿の木と井戸の間に縦横高さが三十センチくらいの大きな砥石があり、魚売りが来るとその大きな砥石で包丁を研いでは魚をさばいていた。

二本の柿の木は毎年たくさんの実をつけた。

富山柿は渋柿であるから、干し柿にするしかない。

だが今年はちょっと変化がある。

井戸端の渋柿である富山柿に、二年前、叔父が甘柿である次郎柿を接いだのだ。

接がれた次郎柿は、おそらく樹齢百年以上の磐石の根を誇る富山柿の根元から、ヒコバエのような枝を立て、今年になって三十個ほどの実をつけたのである。

食べてみると、本当に甘柿になっている。

こんなに簡単に甘柿ができることに驚いてしまった。

根元には甘柿をつけ、上の方には渋柿をつけている。

もしかしたらこの先ずっと甘柿を食べられるかもしれないと思うと、嬉しくなってくる。

しかし渋柿の大切さを忘れるわけにはいかない。

渋柿はかつて飢饉への備えとしては、すごく優秀な植物であったと思うのだ。

当たり外れの年があるとしても、手入れもせずにある程度の実は必ずつける。

干し柿にすれば保存がきくし、甘味の少なかった時代に喜ばれもしただろう。

だが、保存技術が発達し、世界中からの輸入が可能になり、食べるものが年中あふれているこの時代には、渋柿はあまりおよびがかからなくなってしまった。

田舎ではほとんど見向きもされなくなって、むしろ都会に住む人たちに喜ばれているような感がある。

それだって、ひと昔前のようには食べなくなっているだろう。

だがもしもテロや戦争、火山の噴火や大地震などの天災で、再び食糧に困る時代がやってこないとは言い切れない。

昨日のテレビでは、二〇〇二年から二〇〇五年までの間に、東海地震が起きると発表されていた。

現在のアフガニスタンのように、冬の寒さのうえにひもじさが重なる悲惨を考えれば、干し柿があったほうがどんなにいいかしれない。

車を走らせていると、この時期目立つのは枝もたわわに色づいた柿の実である。

見るからに秋らしい、美しい風景である。

飢饉への備えであったことを裏づけるかのように、山間部に入るほど柿の木が多い。

時折は廃屋の庭に、また、すっかり山に戻ってしまった開墾跡地に、樹木に囲まれて明るい実をともしている。

なかにはその昔、柿渋を採った豆柿もある。

柿渋など、今では個人で作る人などもういないだろうが、それでも切り倒されずに残っているのを見るのは、なんとなくほっとさせるものがある。

去年だったか一昨年だったか、会津に行った時に材になった柿の木を初めて見た。

材の中心部あたりが墨を流したように黒く、見るからに力強い材であった。

また、ここから一山、二山越えたあたりに「パーシモンカントリークラブ」というゴルフ場がある。

どうしてパーシモン(柿)なのだろうと思っていたが、今でこそゴルフクラブはカーボンやチタンが主流になったが、そもそもがパター用のクラブは柿の木で作られていたのだそうだ。

ほかには、余談になるかもしれないが、「シュガーパーシモン」というロックグループがある。

我が町と隣町に住む人たちで組んでいるユニットで、なかなかの力量を持っている。

「シュガーパーシモン」が、「砂糖のように甘い柿」を意味するのかどうかは分からない。

辞書で調べたところ、英語では「甘柿」「渋柿」という区別はなかったのだ。

おそらく、メンバーの誰かが佐藤で、誰かが大柿とかいう姓なのかもしれない。

干し柿が甘くなるのは、水溶性であったタンニンが乾燥によって閉じ込められ、渋さを感じなくなるからなのだそうだ。

冬の体調を整えるのにはもってこいの食べ物であるが、食べすぎると舌では感じなかったタンニンが腸のなかで戻って便秘をひきおこしたりもするから、一日一個くらいがよいだろう。
                   
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タグ: 甘柿 渋柿

雨男  エッセー

雨 男

晴れ女、晴れ男という言葉がある。

その逆の言葉もある。そう言われても仕方がない人っているよね。

昨日午後、ひそかに「雨男」と思っている友人から電話が入った。

「釣りにいかないか」

空を見ると、まあまあ。雨は降りそうにない。

出かける先は、当市の西端にある溜池。

車で十五分くらいの所だ。

到着して車を下りようとドアに手をかけたら、フロントガラスに雨が落ちてきた。

長靴にはきかえているうちに、もっとちゃんとした雨になってきた。

念のため、レインコートも羽織る。

溜池はここ二週間のよい天気で干上がっていた。

水辺がかなり遠退いている。

五十mくらいの距離を歩いているうち、本格的な雨になってきた。

水辺に立って十分もしたころだ。

突然、雷が鳴り始めた。まったく信じられない成り行きだ。

雷が鳴りそうな気配など、全然なかったのにだ。

この人とどこかに出かけると、必ず雨と雷がやってくる。

必ずではないのだけれど、必ずと言ってしまいたくなるくらいに、雨や雷に見舞われるのだ。

今まで何ともなかった空が、突然暗くなり、雨、そして雷がくるのだ。

この人が車を下りた途端に、どしゃぶり、凄い雷ということが何度もある。彼が車に戻ると、雨が小降りになり、雷がおとなしくなる。

我々はそんな時は車の中で顔を見合わせて苦笑しつつ待つが、彼は仕方ないとあきらめるのか、どしゃ降りの中一人で釣りを決行したりする。

摩訶不思議な男である。

昨日は雨コートを羽織っていたものの、たった二十分くらいの間に、びしょぬれになってしまった。

だが、昨日はおもしろい体験をした。

溜池が干上がりかけていたものだから、自分の一歩づつの足跡を見ることができたのだ。

溜池に堆積した泥が、丁度いいくらいの軟らかさで、まるで型を取る時のような、きれいな足跡がついた。

こんな経験は現代ではなかなかできなくなっている。

泥の上に貼りついている黒く変質した葉っぱに、泥を重ね、閉じこめた。

一億年くらいたったら、もしかしたらきれいな化石になっているやもしれぬ。

そんな化石を発見したとして、発見者は、その化石に人為が加わっていることなど、想像もしないだろうな。

あるいは、現在発掘された化石の中にも、遠い遠い昔、誰かが戯れに泥をかぶせたものがあるかもしれぬ。

道路の上から眺めたとき、干上がった溜池の底にある木は潅木のように見えた。

だが、それは数十年の昔、この溜池の底に沈んだ木々のてっぺんの部分であった。

泥がすでに数メートルも堆積して、今は木々の頭のところまで埋めてしまっているのだった。

どんな巨大なダムでも、数十年から百年未満で埋まってしまうという理論を、この目で見たのだった。

ダムは自然の変化を堰きとめようとするものだが、メンテナンスをしてさえ、決して大自然の力を堰きとめることなどできないのだ。

それなのに、おおがかりに環境を壊し、生態系を壊し、巨額の費用を要するダムは、今も建設され続けている。

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タグ: 雨男




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