相馬駒焼  文化

相馬駒焼の勉強会に行ってきました。

駒焼は旧相馬藩の御留焼であったということになっていますが、その歴史もあまりはっきりしておりません。

「相馬駒焼陶来歴」によれば、初代は野々村仁清のもとで学んだとなっています。

初代は源吾右衛門という人だったそうですが、昔は何度か名前が変えられたりもしましたから、仁清の元を去る時に「清」の文字を与えられ、清右衛門、清治右衛門とか、このあたりはよくわかっておりません

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砂混じりの粘土を使ったことから砂焼とも呼ばれます。

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黄瀬戸風の淡い卵黄色の釉の酸化焼成(たまご手)。

青磁釉を使って還元焼成した青ひびの入ったものが知られています。

特徴といっては、馬の絵(駒絵)が描かれています。
しかし、絵の入っていない器もありです。

馬の絵の入った焼き物としては大堀焼もよく知られていますが、駒焼の場合は駒の絵を呉須による筆書きにしていた点が異なっています。

また駒焼にはほとんど必ず、「田代」「法橋」の二つの刻印が入っています。

「田代」は初代と言われる源呉右衛門という名が、現在では南相馬市鹿島区になる上海老村の在郷給人田代家の「田代家系図」に源呉右衛門というのがあるので、同一人物と見なされているとのことです。

「法橋」は「ほうきょう」または「ほっきょう」と読み、相馬では「ほっきょう」と発音することが多いような気がします。昔の僧位の一つです。

下の杯は14代作の「たまご手」ですが、このように茶呉須で描かれたものも多いようです。

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駒絵は左向き7種、右向き7種の計14種があり、デザインによって複数頭描かれたりします。

器の縁をややくぼませる形は馬蹄型と呼ばれます。

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こちらは青ひびの香炉。14代作。

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相馬駒焼は2011年、15代で途絶えています。

登り窯は大震災でかなり傷みがひどく、現在は相馬市で譲り受け、覆いの屋根をつくったりしているそうです。




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