
大内文化の最高傑作といわれる。室町時代、嘉吉2年(1442年)頃の建立。屋外にある五重塔としては日本で10番目に古く、京都の醍醐寺・奈良の法隆寺のものとならび日本三名塔の一つに数えられることもある。
山口市について
大内氏滅亡後、毛利氏の支配のもとで山口奉行が置かれたため、山口は防長二国における政治的中心地となった。関ヶ原の戦いののち、防長二国に減封された毛利輝元が萩に居城(萩城)を構えたため、山口の政治的中心性は一旦消滅することとなった。
江戸時代の間、萩と三田尻(現在の防府市中心部)を結ぶ萩往還の中継地として栄えた。 幕末になると、長州藩は藩庁を萩から山口へ移すことになり、山口はふたたび防長二国の政治的中心地となった

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