
松山城
子規や漱石や秋山兄弟のいた街。司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」の第一部の冒頭に以下の文章がある。
まことに小さな国が,開化期をむかえようとしている。その列島のなかの一つの島が四国であり,四国は,讃岐,阿波,土佐,伊予にわかれている。伊予の首邑は,松山。城は,松山城という。城下の人口は士族をふくめて三万。その市街の中央に釜をふせたような丘があり,丘は赤松でおおわれ,その赤松の樹間がくれに高さ十丈の石垣が天にそびえ,さらに瀬戸内の天を背景に三層の天守閣がすわっっている。古来,この城は四国最大の城とされたが,あたりの風景が優雅なために,石垣も櫓もそのように厳くはみえない。(中略) 子規は明治28年,この故郷の町に帰り,「春や昔十五万石の城下かな」という句をつくった。(中略) 伊予松山の人情や風景ののびやかさをのびやかなままうたいあげている
松山城に登りて句を作って投稿しておきました。「城山で俳句作れる子規の街」

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