減税日本の迷走がつづく。1つ目は、20日、9月定例会中にも関わらずに、河村市長は永田町へ市政記者までも引き連れてノコノコ出かけた。写真の方、ところでWHO?と思ってられる方も多いのではないかと思うが、民主党所属の水野智彦衆議院議員(比例南関東ブロック)である。水野氏が減税日本へ入党と今朝の産経新聞で報じられ、急遽記者会見と思いきや、結局、会見はドタキャンとなった。水野代議士は、国会で何をやった人なのか聞いたこともないが、もともと小沢グループで一旦は小沢氏に離党届を預けたが、土壇場になって撤回したという前科がある。水野氏によれば、民主党の離党も減税日本への入党もないと完全に否定した。全く河村市長からすれば、大恥を掻かされたわけであるが、焦りを隠せない様子だ。
次に名古屋市議会の教育子ども委員会では、保育所の待機児童の補正予算を審議しているが委員間討議ではチンプンカンプン。保育所の増設に伴い、今後、ランニングコストが毎年60億円かかることについて財源を問われ「他のものをちょっと我慢してもらう」とか「さらなる行財政改革を行なう」とか具体策はない。挙句の果ては、「保育所をつくりすぎてはいけない」と中日新聞に本末転倒とまで揶揄された。そして「河村市長に聞いて」という始末。そもそも河村市長は、市債は借金でないといって、待機児童対策を小中学校の空き教室でやるといっていたくらいなのだから、妙案などあるわけない。
そして何が起こったのか、突如、27日に行なわれる予定であった河合議員に対する辞職勧告決議案を取り下げるという。そして、今後、一切の議会運営に関わらなくても構わないと誓約書に団長・幹事長がサインしてしまった。何が起こったのか報道以上のことはよく分からないが、河合議員が辞職しない場合、減税日本が責任をもって、リコールするよう求められたことに対して、河村市長の強い意向でリコールはできないというのが理由らしい。
最近では、河村市長もどことなく元気がないが、政党化が思うように進まず、足元の減税議員にも足を引っ張られ、弱気になっているようだ。国政進出と意気込んでいたが、今や河村市長が国政へ行くかどうかとういう話題も名古屋だけのもので、永田町では泡末の扱いである。最近では「死ぬまで市長をやる」と弱気のようだ。しかし、減税議員には2期8年までという念書を書かせ、議員の稼業化は絶対ダメといいながら、三選どころか「死ぬまでやる」とは正気だろうか???迷走がつづく減税日本が、今やるべきは「政党化」よりも市政の「正常化」であるはずだ。
