戦後66年目となる終戦記念日を迎えた。今年も靖国神社へ超党派の国会議員53名が参拝をしたが、菅首相をはじめ閣僚全員が昨年に続いて参拝を見送った。民主党のマニフェストでは、米国のアーリントン墓地のような無宗派の国立追悼施設をつくるとされているが、日本の歴史観、日本人としてのアイデンティティーを無視した愚論だ。閣僚の参拝を見送ったことに石原都知事は「あいつら日本人じゃないんだ」と不快感を顕にした。
毎年、終戦記念日に靖国論争が起こるが、論点を整理したい。
@政教分離に関する問題では、靖国神社を公的慰霊施設として位置づける運動や内閣総理大臣・国会議員・知事など公職にある者が参拝し、それに付随して玉串の奉納等の祭祀の支出が、憲法20条の政教分離の原則に抵触するのではという憲法学上の重要な争点となるが、そもそも公的・私的参拝と区別するものでもなく、信条の問題であり、英霊に対して日本人として堂々と参拝すべき問題と考える(もちろん信仰の自由もあるので、行く行かないは自由)。
A歴史認識・植民地支配に関する問題については、特に中国や韓国などアジア諸国から強い反発があるが、これは内政干渉であり、基本的には国際法上、戦争責任については解決済の問題。過去の戦争については、不戦の誓いをし、毅然とした姿勢で未来に対して友好関係を築いていくことが必要。
BA級戦犯の合祀について、戦勝国(GHQ)が敗戦国を裁くということ自体、裁判(極東軍事裁判)の正当性が疑問視されるが、特にいわゆる「十五年戦争」の軍人・軍属戦死者を国家としてどう慰霊すべきかという問題。無宗派の国立追悼施設を整備するというが、A級戦犯の問題をきっちりしなければ根本的な解決にはならない。
(写真は、昨年8月、靖国神社参拝)
