2012/8/4

松阪牛がやってきた!!  バイク海外ツーリング

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やってきたのは八尾市の我が家。

持ってきたのは新婚の石田ゆうすけ&エビちゃん似のかわゆい奥様(^^


6月に結婚式に行ったときに「遊びに行きます〜」と言うのを話半分の社交辞令くらいに聞いていたのですが、「今度大阪で講演があるので、そのときに松阪牛持って行きますぅ〜。すき焼きしましょう(^^」とお誘いが。

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石田ゆうすけ夫妻。「歓迎」の横断幕は投也書です。

まつさかぎうと聞いて思わず「まつかさとかげ」とちゃうやろなぁと、オーストラリアのアウトバックを走った人にしかわからないであろう突っ込みを入れてしまいました(^^;

せっかくだから、こないだ十数年ぶりに再会した自転車世界一周途中の磯田よしゆきも誘って、松阪牛・佐賀黒毛和牛入り乱れての大すき焼きパーティを敢行しました(^^

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う〜ん、とっても高そう、おいしそうでした(^^

夕方6時に待ち合わせしてゆうすけ夫妻を車で拾ってパーティ会場(うち)に入ると、よしゆきはすでに到着しており我が家のシャワーを浴びてました(^^;
このクソ暑い炎天下に、酒とメロンをひっさげて住之江から1時間半かけて自転車で来たとか・・・そりゃ汗だくになるわいな(^^;

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そしていよいよちべたいビールで乾杯し、宴会に突入!

とりあえずはみんなを紹介し、ちべたいビールで乾杯!

そのアトはいよいよすき焼き・・・ではなく、まずはお約束の「格付け」大会です。8人の腹を満たすだけの松阪牛では数万円コースなので、うちでお値打ちの佐賀黒毛和牛を2キロ用意しました。これは「佐賀牛」とは呼べないまでも霜降り十分のお値打ちのお肉で、佐賀からのお取り寄せです。

グラム2000円vsグラム500円。
この差がわからんやつは松阪牛を口にする値打ちなしぢゃ!とばかりに男5人で塩焼きにしたのを一口ずつ食べ比べてみます。

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格付けでは全員一致で左手が挙がりましたが・・・

ムムム・・・うーん・・・確かに微妙に味が違うがどちらもうまいではないですか。最年長ホストとしてはこれを外す訳にはいかず、悩み抜いて決定。ゆうすけは「僕はこれでもグルメ作家ですからねぇ」とのたまって自信たっぷりのご様子。


そして全員そろって運命のジャッジは・・・
なんと投也も含めて全員一致で左手が挙がり、ホッと一息でした(^^

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松阪牛と佐賀黒毛和牛が入り乱れて驚喜のすき焼きです。











嫁がゆうすけの奥さんと「やったぁ〜」とか喜んでいるので、「エッ」思って聞いてみるとなんと全員一致で外したらしいです(^^;

私らが「美味い」と判断したのはグラム500円の佐賀牛とは呼べないお値打ち佐賀黒毛和牛でした(^^;
味と値段は必ずしも比例しない、と言うことがよくわかりました。

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調子が悪くなった投也のabuをホイホイとばらして修理する器用なよしゆき。

ま、そんな前振りもあって以降のすき焼き宴会は大盛り上がり。ゆうすけとの懐かしい話や、よしゆきの旅の話、スライドショーなどで盛り上がり、ビールからワインに、ワインから日本酒にエスカレートしまして、私も通風爆弾を忘れて久しぶりにしこたま飲みました(^^

ゆうすけは今後も執筆活動を、よしゆきはもう少し金を貯めて旅の続きに出るとのこと。いつの日かの再開を誓って午後11時にお開きとなりました。

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いやぁ、楽しかったし美味かった(^^
最後はみんなで記念撮影をして再会を誓ってお開きです。



いやぁ、しかし楽しかった(^^
旅人と居ると、やっぱり旅人だった頃の自分を思い出しますわ。あの頃は本当にいろんな事があって、多少のことがあっても動じない「強さ」みたいな物を持ってて、それと同時に遠い日本を思うセンチでナイーブな部分もあるかわいいやつやったなぁと(^^;

今ではすっかり普通の「河内のおっさん」ですが、あの頃の気持ちを忘れたらあかんなぁと改めて思いましたわ。もし神様が時間とお金をくれたら・・・南米とアフリカを、今度は原付でのんびり回ってみたいです。


さてさて、最近また右足の指がピリピリしてる感じがしますのでちょっと節制し始めます。なんせ私、痛いのは嫌いですねん(^^;


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2009/3/15

神様に会ったオクラホマ2  バイク海外ツーリング

〜神様に会ったオクラホマ 第2章〜

 いつもと違ってすこぶる快調に目覚め、すこぶる快調に用を足し、すこぶる快調に朝食を取り、すこぶる快調に支度して、神のしもべたるオッサンにもう一度礼を言ってキャンプ場を発ち、すぐにフリーウェイに乗る。

 今日はいやというほど逆風が強い。こんな日は5速で全開にしても時速80km/hしか出ずにイライラしてしまい、危険を省みず大型トラックの真後ろ10mくらいの「スリップストリーム」に入り込んでしまうのだ。トラックがもし急ブレーキでもかけようもんなら・・・かなり危ない。

 トラックに急ブレーキをかけられることもなく3時間でロートンの街に到着。たいして大きな町でもなく、こじんまりした静かな町だ。月曜日だというのに人も車も少ない。聞くと今日は何かの祝日らしい。とりあえず町の中心に向かうとそこにセブンイレブンのコンビニ兼ガソリンスタンドがあった。情報を仕入れるべく立ち寄る。ガスを入れ町の地図を買い、レジに向かうとはすっぱな感じのおねえちゃんが不機嫌そうな顔でやる気なさそうに仕事をしている。

 「なんで祝日なのにあたいが仕事しなくちゃなんないのよ〜」

 と心の中が簡単に読めてしまう感じだ。こんなねぇちゃんにバースのことを聞こうか聞くまいか迷いながらも、客がすくのをまって意を決して聞いてみると相変わらずのムスッとした顔で意外と親切にしてくれた。
 
 「ランディ・バース?ええ、知ってるわよ。ここでは有名人よ。この町にいるけど住所までは知らないわ。ちょっと待って。」

 と言って電話帳をひき何やらどこかに電話をかけてくれている。おもむろに受話器を渡され何がなんだかわからないまま電話に出てみるとなんとバースの実のお兄さんだった。事情を話すと、彼は今仕事でダラスに行っていて、明日戻るので訪ねてごらんと、いともあっさり住所と電話番号を教えてくれた。なんという幸運だろう!相変わらずにこりともしないお姉ちゃんに礼を言ってセブンイレブンを後にする。だんだんとバースに近づいていくのがわかり、気分も晴れやかになっていく。

 明日会いに行くにしても時間はまだ午前11時。とりあえずマックで優雅な気分でブランチを取り、暇に任せて兄さんが教えてくれた住所を頼りにバースの家まで行ってみる。果たして住所の家はすぐに見つかった。が、なんだか建て売りっぽいこじんまりした家である。これがバースの家かぁ、などと浸っているとなにやら家の中で人の気配がする。意を決してチャイムを鳴らし出てきたおばさんに聞いてみるとなんと、全く違う家だった(^^;
 
 おいおい、兄さんよ、頼んまっせぇ・・・と思いながらもまだ電話番号がある。急に心配になって近くの公衆電話から電話をかけてみる。すると男が出た。「バースか!!」とドキドキしながら話すとバースではなかったのだが、バースの家には間違いはない。バースに会いたいんだと告げると別の男が出た。なんとそれがランディバース、その人だった。一通りの事情を説明して会いたいと言うと、彼は

 「おまえ、今朝セブンイレブンのガソリンスタンドにいたろ?」と言う。
 「何で知ってるの?」
 「俺はおまえの横でジュース飲んでたよ」

 ガビーンだ!レジがすくのを待って店内をウロウロしてた時だ。大阪から来たのかぁとか思っていたらしい(バイクにはOSAKA, JAPANと書いてある)。一声かけてくれていたら・・・。とにかく会えないか?と尋ねると、
 
 「今どこにいるんだ?忙しくて手が放せないけどそこで待ってろ。あとで電話するから」

 と言うので、場所と公衆電話の番号を告げて受話器をおいた。いよいよバースに会えるんだ、とうとうここまで来たんだとドキドキしながら電話が鳴るのをしばらく待っていると背後で声がした。

 「HEY,GUY!(よお、あんちゃん)」

 そして車から降りてきたのは紛れもなくランディ・ウィリアム・バース、その人であった。手を差し伸べながらこっちに歩いてくるのを見たときにはもう涙があふれて言葉が出ない。

 「Unbelievable・・・(信じられないよ・・・)」と言うのがやっとの俺の肩を抱いて、
 「おいおい、何泣いてんだよ。とにかく家に来いよ」と荷物を持ってくれた。

 その後バースの家に行き、ドリンクをもらってヒト心地ついたあといろいろな話をする。今はもうすっかり野球から離れたと。水頭症だった息子のザクリーも今ではすっかり元気になったが定期検診を受けているらしい。いろいろな話の中で話題が阪神のことになると彼の顔から笑顔が消え寂しそうになるのが印象的だった。リンダ婦人と娘にも会う。家は大きなプール付きでさすがにでかい。

 「のど乾いてないか?」とか「腹減ってないか?」「暑けりゃプールで泳いでもいいんだぜ」とかいろいろと気遣ってくれるのが感激モノなのだが、なかなか「泊まっていけよ」とは言ってくれない。はっきり言ってバースの家に泊まりたかったのだ!
時間は過ぎていき、だんだん沈黙の時間が多くなってきたのでここは一発、誘ってみる。

 「なぁ、ランディ。俺さぁ、今晩この町に泊まって明日オイル交換して先に進みたいんだけど、この辺にどっか安い宿かいいキャンプ場ないかなぁ?」

と聞いてみると、

 「なーんだ、だったら家に泊まっていけよ。今晩はおまえのためにバーベキューパー  ティでもしようじゃないか!!」

 ・・・・・と言う言葉を期待していたのだが、

 「ん?キャンプ場か?おー、いいところがあるぞ。ここには野生のバイソンがいてな  ぁ。あーそうだそうだ、確かパンフレットが・・・」

 と言われてしまってはシャイな自分としては「フンフン」と頷くしかなかった・・・(T_T)

 ファームにある家を売り出し中とかでひっきりなしに電話がかかってきて忙しそうだったので、写真をたくさん撮り、固い握手をして再会を誓い、夕方4時に彼の家を後にする。彼が教えてくれたキャンプ場にはホントに道ばたに普通にバイソンがいて、それがまた牛より一回りも大きく大迫力だったのだが、やっぱりバースの家に泊まりたかったなぁと星空を見上げながら相変わらずのラーメンライスをすすったのである。

〜おしまい〜

追記:この話には顛末記があって、せっかくたくさん撮ったバースの写真の入ったフィルムをサンフランシスコ郊外のキャンプ場に忘れてきてしまってました。それどころか、その後のグランドキャニオン、モニュメントバレー、ユタの写真もなく、非常に辛い思いをしました。これにはキャンプ場での「アリ地獄事件」が絡んでます。この話はまた機会があれば・・・(^^

2009/2/24

神様に会ったオクラホマ  バイク海外ツーリング

 日曜日は釣りにも投げ練にも行けず、朝から晩まで用事で走り回ってました。基本的には釣行記ブログなので、行かなきゃ書かなければいいのです。が、週に一度しかないブログを空けるのもなんだかなぁ・・・と言うことで、久しぶりに旅行ネタです。

 当時、写真はプリントのみで、アップするにはスキャンしなければいけないので、とりあえず本文のみでご容赦を。追ってアップしていきます。

これもずーっと昔に書いておいたものです・・・。


〜神様に会ったオクラホマ 第1章〜

神様に会って来ました。

アメリカのオクラホマです。

もう記憶には新しくないけど、みんなが覚えている、誰もが忘れることのできない1985年のあの出来事・・・。

・・・打った〜、おおきい〜、はいるかはいるか?はいった〜、バースこれで今シーズン54本目のホームラン〜!!!
そう、僕たち阪神タイガースファンにとって忘れることができない神様、ランディ・バース・・・

 1992年8月末。ロサンゼルスを発ってはや2ヶ月、アラスカからカナダを経て、フロリダを回って今オクラホマに入ろうとしている。州境が近づくにつれてなんとなくドキドキ・ワクワクしているのが自分でもよくわかった。この旅の目的の一つ、バースに会うのだ。彼に関して今更くどくど説明することもあるまい。とにかく『すごい奴』であり、日本中を感動の渦に巻き込んだ『神様』なのである。熱烈な阪神ファンだった僕はここでどうしても『神様』に会いたかったのである。

 しか〜し、自分がその時に持っていた情報は「阪神退団後はオクラホマで農業をやっている」ということだけだった。しかし神様のこと、地元でも知らない者はいないほど有名で人気者であるはずだ。絶対に会えると確信に満ちあふれていたのだが・・・。

 会ったらどんなこと聞こうか、写真も撮ろう、などとウキウキしながら、退屈なフリーウェイをアーカンソー州からとうとうオクラホマ州に入る。アメリカではフリーウェイ等で州を越えると、必ずといっていいほどツーリストインフォメーションセンター(i)があり、地図とか観光マップだとかを無料で手に入れることができるのだ。北西部の州では焼きたてのクッキーと暖かいコーヒーが無料で、貧乏旅行者の僕としては大感激したことさえあったのだ。ここオクラホマ州もご多分に漏れずすぐにiがあったので迷わず寄ってみる。

「もしかしたらバースコーナーとかあって、資料の展示とかしてるかもなぁ・・・」などとバカな事を考えながら入ってみる。が、当然そんなものがあるわけもなく、地図等を手に入れてバース関係の案内がないか探してみる。しかし残念ながらそれ関係はどこにも見あたらず、大きなめがねをかけた案内のおばさんに聞いてみる。

  「ランディバースに会いにきたんですが、彼は今どこに住んでいるのですか?」

  「あぁ、彼ならどこそこに住んでいるわよ」

 という答えを期待していたのだが、

  「は?なになに、なんて言ったの?誰だって?」

 とのたまう。
 僕の英語の発音が悪かったのかなと謙虚に考え、もう一度ゆっくり大きな声で伝える。と、やはり同じ答えが帰ってくる。「田舎のiのパートのおばちゃんなんてこんなもんやろなぁ。バースも知らんとは・・・」とがっかりして先に進む。

 が、しか〜し、その後止まったガソリンスタンドで、コンビニで、インフォメーションで、キャンプ場で、休憩中に通りがかった人に、と延べ20〜30人に聞いたろうか。帰ってくるのは同じ答え・・・。ここで初めて自分の安易さに気づかされるのである。「これは下手すると会えないかも・・・」

 その夜は落ち込み気味で田舎のキャンプ場にテントを張る。所在がわからなかったらどうしよう、せめて住んでいる町の名前だけでもわかれば・・・。晩ごはんはこの旅の定番、ラーメンライス。ご飯を炊きあげ、むらしている間にラーメンを作る。手に入ったときには玉子や野菜も入れる。ペロリと平らげ楽しみの一つが終わった。アトの楽しみはNHKの海外向け短波放送「ラジオ日本」だ。日本を離れてまだ2ヶ月ちょい。大きな観光地以外で出会う日本人はほとんどなく、ラジオから流れてくるニュースや音楽にはいつも癒される。今年もタイガースは好調だ。カラダはそうでもないのだが、気持ちはどっぷり疲れて眠りにつく・・・。

 夜中に雨粒がテントを叩く音で目が覚める。雷も鳴っているようだ。明日は出発できないかなぁと夢うつつでいると、いきなりの耳をつんざく大音響と共にカラダに振動が走る。落雷だ。かなり近いらしく、ほかのキャンパーたちががやがや騒いでいる。テントから首だけだし、自分には実害がない事を確かめてから再び眠りにつく。明日はバースに会えるだろうか・・・。

 翌朝まだ小雨がぱらついていたものの、西の空は晴れていたので出発を決意する。とりあえずガソリンストーブで湯を沸かしコーヒーを入れ、2〜3枚のビスケットで簡単に朝食を済ます。そしていわゆる「朝の儀式」にトイレに行ってみてびっくり。3つ並んだ大便所にドアがない!しきりはあるのだがやっぱりドアがない!壊れていてとかではなく、もともとドアがない構造になっている。便器自体はきれいな洋式の水洗便所だ。「うわっ、どうしよう」と思うが、あふれ出そうとする熱いモノ(情熱じゃないよ)を止めることはできずに、人が通らない一番奥の便所を目指す。が、すでに先客がいる。

 「も・もーにん・・・^^;」と、お互いになんか気まずい・・・。仕方なく手前の(真ん中の)便器に腰を下ろすがなんか落ち着かない。と、奥の便所のオッサンが済ませてうつむき加減で僕の前を通って出てゆく・・・。と、まもなく別のオッサンが僕の前を通って奥の便器に腰を下ろす・・・。こりゃおちつかん!と、そそくさと用を足し、僕も便器を離れるが、やはり一番手前のオッサンをチラ見してしまい気まずく「もーにん・・・」。なんじゃ〜?ここの便所は!!!

 こんな便所にドアのない気まずいキャンプ場から脱出すべく、そそくさと支度して一路、西のオクラホマシティに向かう。道すがら止まる先々でバースの事を聞くのだが、名前だけでも知ってる人さえ皆無だ。何かいや〜な気持ちのままオクラホマシティに入り、真っ先にシティセンターのiに向かう・・・がここでも何も情報は得られなかった。

 そのあと州立大学の図書館に行ってみる。ここなら必ずなにか資料があるはずだ。とりあえずオクラホマ中のホワイトページ(電話帳)を片っ端から調べてみる。しかしRandy Bassの名前はどこにも見あたらない。表情に鬼気迫るものがあったのか、見事な白髪の司書のおばあちゃんが事情を聞いてくれた。そして「これはどうかしら?」と持ってきてくれたのが「アメリカ有名人年鑑」みたいな本だ。

 これっぽっちも期待せずに中を見てみると、なんとバースの事が載っている。アメリカでの野球歴、日本で阪神にいたこと、誕生日に出生地。出生地はロートンというここから約200kmほどの小さな町だ。出生地に戻っている可能性は非常に高い。もうこれは行くしかない、と司書のおばあちゃんに丁寧に礼を言って、その日は郊外のキャンプ場にテントを張る事にする。
 
 一応、キャンプ場のおっさんにも聞いてみるが、帰ってくる答えはやはり同じだ。

 「誰?それ?」・・・・・(T_T)

 かくかくしかじかと事情を話すと、いままでになく割と親身になって話を聞いてくれる。「とにかく彼は俺たちにとってスーパーヒーローなんや。神様なんや・・・。」
 すると、彼は意外な提案をしてくれた。

 「ロートンの番号案内に聞いてやろう」

と電話をしてくれる。「ホワイトページにも載ってなかったからあかんじゃろ」と期待もしないでいると案の定、「ランディ・ウイリアム・バースさんは『公人』なので番号のご案内はできません」ときた。ほら、やっぱりね、とがっくりしながらオッサンを見てみるとなぜか得意そうに微笑んでいる。

!!!そうか!!!

 番号を教えられないと言うことは、バースはそこに住んでいるということだ!!!なんということだ!!なんということなんだ!!!この時、思わず神のしもべに見えてしまったオッサンに興奮気味に礼を言ってテントを張り始める。

 住んでいる町さえわかればあとは絶対になんとかする自信はある。明日はいよいよバースに会えるのか・・・な?とワクワクドキドキしながら、その日は簡単にラーメンライスを食べ、早めにシャワーを浴びて眠りにつく。


〜第2章に続く〜

2008/5/31

「かちかち山物語」第1章  バイク海外ツーリング

今年は言わずと知れた2008年・・・

今から20年前の6月から12月の7ヶ月間、バイクでオーストラリア一周縦横断約37000kmの旅に行ってきました。いつか何らかの形で残したい・・・と思いつつ、忙しさにかまけて延ばし延ばしにしてきましたが、20周年の今年を機会に少しずつアップしようと思います。

別ブログで・・・と思いましたが、それも面倒くさく、興味のない方にはすみません(^^;
私の記録ですので読み飛ばしてください。

もう20年前のことで、当時の日記も抜け落ちてるページもあり、何からどう手をつけていいのかわからないまま、とりあえずずいぶん昔にエピソードの一つを物語風に書いたものをアップします。

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オーストラリア走破ルート。スタートもゴールもメルボルンでした。
きつかったのはケープヨーク旧道と大陸横断鉄道沿いの連続ダート3000km。
西の海岸沿いの退屈な直線もきつかった・・・


〜かちかち山物語 第1章〜

赤い砂とブッシュ(低い灌木)以外に何も見えない世界…。時折砂漠の道を横切る小さなトカゲとワラビー(小型のカンガルー)が、たんたんと退屈に流れてゆく時間を遮る闖入者だ。いや、闖入者はきっと僕の方かも知れない。

「奴らはどうして、こんな何もない砂漠の真ん中で生きていけるのだろう…」

容赦なく照りつける太陽に、全てのものが乾ききっている。

1988年8月10日午後、僕はオーストラリアのほぼ真ん中にあるシンプソン砂漠をかすめて走る砂漠のハイウェイを、赤い砂の尾を引きながら時速120km/hで走っていた。SUZUKI DR600は700kmのダートを走破するには充分すぎるくらいトルクフルだ。僕はバイクを「太郎」と名付けた。頭の中ではパリダカをイメージし、ハウンドドッグのフォルテシモを口ずさみながら・・・完全に自己陶酔に入っている。

僕はAlicesprings(アリススプリングス)と言う、それこそオーストラリアの中心に位置する小さな町に向かっていた。世界的に有名な[Wins Safari Rally’]のスタートを5日後に控えている。日本人の有名なラリーストたちも参加するこのラリーのスタートをどうしても見たく、会いたい友達も居て、焦るような気持ちでアリスに急いでいたのかも知れない。まだ400km以上もある・・・。

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3日かけて約800kmの悪路を走り抜けてたどり着いたオーストラリア最北端、ケープヨーク。
この直後にエンジントラブルです。


そんな、いろんな事を考えながら快調に走っていた僕は、突然首筋に不自然な熱さを感じた。
「きっとジャケットが太陽熱を吸収して、その照り返しで首が熱いのだろう…。」
くらいにしか思わなかったのだが、だんだん熱さが増してくる。しかも太陽が一片の雲に隠れたにもかかわらず、熱さが収まる気配がない。

さすがに「おかしいなぁ」と思い、走りながら後ろを振り返ってみると、そこには信じられない光景が・・・

火だ。炎だ。ファイヤーだ!!!

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ケープヨーク旧道。葉っぱ同士がこすれて自然発火による火災が発生してます。

なんと後ろに積んでいた荷物が勢い良くゴンゴン燃えているではないか!!!一体何が起こっているのか、冷静な判断が出来ないまま半ばパニック状態でバイクを止め降りてみると、火は既に背中のデイバッグにも移っていた。あわてふためいて消火。デイバッグの火はすぐに消えたものの、荷物は勢いを増しながら炎と黒煙をあげて燃え続けている。首から下げていた2Lの水筒の水をかけるが、なんの役にも立たない。

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出火直後の模様です。左の方ではまだ炎がくすぶってます。

「どうしよう、どうしよう」と気持ちばかりが焦っていて、フッと辺りの赤い砂が目に付いた。赤い砂を掴んではかけ、掴んではかけ、やっとの思いで消し終えたときには後ろに積んでいた荷物のほとんどを焼失してしまっていた。未だに何が起こったのかわからないで呆然と立ちつくす僕に、灼熱の太陽は容赦なく照りつけ、無数のハエが僕を現実に引き戻す…。

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なんにもない最北端の村からケアンズまで運んでくれたTROPICAL TRADER.
船上での仕事は・・・結構きつかったです。昼夜問わずの4時間おき交代のエンジンルームの監視が一番きつかった。外洋なのでかなり揺れました。


振り分け式サイドバッグを使っていたので、サイドカバー越しに太郎のサイレンサーと接触。気温の高さと湿度の低さ、そしてハイスピードでのクルージングが重なり、とうとう引火してしまったのである。長いダート走行のためにバックミラーはスカスカであさっての方向を向いており、デイバッグに火がつくまでわからなかったのだ。

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道はどこまでもひたすらまっすぐ。退屈で歌ばかりうたってました。
とにかく尻が痛い・・・(^^;


何という不運、何という迂闊さであろう。どんなに悔やんでも焼けた荷物は絶対に元には戻らない。寝袋、衣類、カメラバッグ、キャンプ用品、食料、工具、スペアパーツ・・・全部燃えてしまった。フロントに積んであったテントとウエストバッグの貴重品とデイバッグの細々したものだけが無事だったのは不幸中の幸いだろうか。

メルボルンを2ヶ月前にスタートしてこれで3回目のビッグトラブルだった。
1回目はツーリングスタート3日目の台風のような暴風雨の中、フリーウェイでフロントタイヤを滑らし、時速110km/hで転倒。濡れた路面を、反対車線を突っ切り200mほども滑り続け、太郎も僕も傷だらけになった。
2回目はケープヨークというオーストラリア大陸最北端アタックの際、約800kmの悪路を走り抜いてたどり着いたとたん、キックバックで中のギアが損傷。そのままキックアームがクラッチカバーに当たって穴を開けてしまい走行不能でスタック。

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ロードトレインといわれるだけあり、全長は50m以上。こんなのが砂漠の道を疾走するもんだから後ろにつくと砂埃で何も見えません。追い抜くときは10秒くらい何も見えないので対向車が来ていたらいちころです。
それでも後ろを走ってられません。


一番近いバイク屋まで1200km以上ある。何もない、原住民アボリジニの村で修理のしようもなく、結局ローカルな貨物船を捕まえて、船の上で働きながら1週間かけてケアンズまで帰ってきた。そしてこれが3回目の大きなトラブル。前2回のトラブルからの回復に多額の金を使ってしまっていたので、もう荷物を買い揃えたりするお金の余裕は全くない。なによりもこの現実の悲劇にどう対処したらいいのかさえわからない・・・。

そんなことが頭の中を駆けめぐったとき、やりきれなくてこらえきれなくて、大声を上げながら砂漠の真ん中で泣いてしまっていた。
「なんで俺にだけこんなトラブルが続くんや・・・」
狂ったようにひとしきり泣いたあと、今度は狂ったように大声で笑い出していた。何で笑っているのか、何がおかしいのか、何に対して笑っているのか自分でもよくわからない。ただ、「泣いてたってしゃーないがな」と思ったときに、きっと笑うよりほか無かったのだろう・・・

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ウィンズサファリラリー出場の当時チームダイワハウスの青柳さん。彼女はその後もパリダカなどで大活躍です。この給油所で別れた直後に事件は起きました。

とりあえず、工具やスペアパーツなど焼け残って使えそうなものは持って行きたい。しかし、それを入れるカバンもしばるロープもなかった。 僕は誰かがここを通ってくれるのを待とうと決心した。否、待つしかなかった。

砂漠の、ひたすらまっすぐの道の道端に腰を下ろす。太陽は容赦なく僕を乾かし続けるが、それを遮るような日陰は何もない。のどが渇いて仕方なかったが、2Lの水は太郎の消火に使い果たしてしまっていた。
 「水が飲みたい・・・つめたーーーーい水が・・・」
 「もう日本に帰ろう・・・。もう旅を続けられへんわ・・・。もう疲れてしもたわ・・・。」

全くどこから湧いてくるのか、たくさんのハエが僕の肌から塩分や水分を補おうと、目や口や肌にまとわりついてくる。もうそいつらを追い払う元気もなかった・・・

第2章に続く・・・





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