2020/3/5

政策と権力への信頼感  歴史・定義・知識人の責任

 学校閉鎖への批判的意見を見るに、子から家族への感染が幾つか出てからの対応ならば、必ずや逆のことを言っただろうに、「なぜ閉鎖しなかったのかぁ」と批判するだろうに、と鼻白む。

 連想するのは、オウム捜査で微罪逮捕など続いたこと。ああ、1995.3.22-5.16の強制捜査は、3.20の地下鉄サリンがあってこそあの手法をそうは批判されなかったんだと確信する(捜査内容は目黒公証役場拉致事件での捜査です)。

 幾つかの事件で前年から大規模な強制捜査を、まずは麻原逮捕を、と私ども被害対策弁護団は要請してきたが、警察は世論の反発をも心配していた。

 例えば、私が把握した薬物使用、内部死亡について記者会見をしてもいいのではなぞと、1995.1末あたり言われもした。
 (それが、警察が地下鉄サリンをわざと見逃したのでは、と一部の人が言う疑惑に通じるが、いえ能力がなかっただけ、と断言します。ほんと柔軟性がない、蛸壺組織でしたもん)

 国民も、ドラスチックにすべき時は、しなければならないと理解すべきなのだと。
 まあ信頼できるリーダーならばより納得されやすいが、確かに信頼できない安倍政権だもんね。


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