2020/3/3

学校の閉鎖について。  憲法・社会・官僚・人権


新型コロナ外につき、安倍政権は少数検査のままじゃないかとか、1か月遅れの対応だとの批判、もとより安倍首相のほんと能力不足、真剣さ不足、検事長検察官の退官年齢での法治主義崩壊、桜見の会などの国政私物化などは、強く批判しても、

学校閉鎖を批判するのは間違っていると思う。症状出ずとも子を通じて広がり、日本で広がる蓋然性がある。子の母数は各集団としてみれば、圧倒的に大きいのだから。

学校閉鎖につき教育畑や親らの一部から批判があるのは、自ら検討せず指示待ちの癖があるからでは、とさえ思える。諸手続きなど大変だが対応するほかない。子が可哀想だが、罹患したり、知らずに親やジジババに感染させるよりまし。

学童、保育園や満員電車問題で政権を批判するのも妥当でない。どれも可能ならば使わずとし、余裕をもてるように工夫する他ないのだから。乗る人は知っていようが、通学客がおらず電車も空いてきた効果もでてますね。

★学校と異なって、日本の主な経済活動を止めれば、社会も国も崩壊してしまうのだから。今回のことは、どの政権でも費用対効果をとらえつつ選択するだろう、苦渋の対応だと。(他の問題から目をそらせるパフォーマンス要素も感じるから弱ったものですが)

日本では、もともとインフル直接で毎年2-3000人、間接肺炎で1万人以上死亡。とはいえ、死亡率2%前後、高齢者らはやたら高いことは無視できない。100万人死亡に値しようと。スペイン風邪の時は人口5000万人で45万人死亡だったか。

今の時代、全国民が抗体を持つまで待つほかない、という訳にはいかない。世界にそう言えるわけもない。緩やかな感染拡大に何とかしてとどめて、対症療法を病院ででき得る数にとどめつつ、より効く薬の開発を待つしかないのだと。
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