2020/2/17

相模原重度障害者大量虐殺テロ事件―文章3つ  カルト・宗教・犯罪

こんにちは。
本日の「相模原障害者多数虐殺テロ事件」の裁判は、本日、植松聖被告に対して論告求刑などありました。検察は、死刑を求刑しました。美帆さん母の最後の心情陳述があり、参加弁護士も意見を述べました。

1、美帆さん母の心情陳述―これはNHKの下記に写真入りでもう出てますね。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200217/k10012288871000.html
2、検察の論告・求刑
3、疎外者参加弁護士の意見陳述(29人程のうち13人連名のもの、うち加えてのもの1つ、当職他2つ、一職員被害者参加弁護士のもの)です。

1と、3のうち当職のものをアップします。また当職と「美帆さん母」の連名の「論告・求刑の日にあたって」をアップします。やたら長くなりますが、メディアでは切り取ってしまうので、必要ではあろうと。。
―論告求刑や、他の被害者参加弁護士の意見も広く正確に知られた方がいいのになあ、とホント思います。メディアはさわりを伝える、全文はネットにて、が情報流通には最も正しいのだろうと思える。

ここはPDFは添付できないので、ワード添付します。下記をクリックすれば出ます。 
・連名の論告・求刑の日にあたって  amm20200217.docx 
・滝本意見陳述 qminmj.docx
・美帆さん母の心情陳述 sq202002017.docx

     ****************
     論告・求刑の日にあたって
 2020年2月17日
                 美    帆    の    母
                 美帆遺族参加弁護士滝本太郎
各   位

 法廷では、国や社会に向けたことなどは自由に言えないものなので、論告・求刑の今日、考えていることを、連名にて、述べさせてください。本日の法廷冒頭の母としての心情の陳述は、直ちにワープロ打ちしたものを配布し、同参加弁護士の意見陳述は、本書とともに配布します。
         記
1 初公判の1月8日に向け、美帆の名と4枚の写真とメッセージを公表することは勇気が必要でしたし、説明付き写真の公開は、美帆が自分の手から離れていってしまう感じもして不安でした。
 ですが、あと8枚の説明付き写真もあり、何より美帆は私たちの心の中にいます。

 美帆が生きていたことを広く知ってもらうことができました。どの被害者にも一人ひとりの人生と命があったんだ、と実感してもらえるきっかけにもなったようにも思います。また、裁判所が、報道と上申書を受けて、表記としてですが「美帆」として下さったことは嬉しかったです。

2 誤解されるといけないので付言すると、私どもは、他の被害者・遺族の多くが名前など公表 することに同意するもしないも自由、それぞれの考えであり、なんら批判する気持ちなどありません。ご留意ください。

3 事件は、「相模原重度障害者大量虐殺テロ事件」なのだと思います。政府に対して、重度知的障害者について、被告人の言う「安楽死」政策をとって欲しい、そのためにまず自分がやって社会と国に訴えたというのですから、テロ事件です。残虐に43人を殺傷したのですから、虐殺です。
 メディアにあっては、この事件がテロだと分る表記を、ご検討ください。

4 日本国政府は、事件当時「事件を徹底的に究明し、再発防止・安全確保に全力を尽くさなければなりません。」「様々な観点から、必要な対策を早急に検討し、出来るところから速やかに実行に移していくよう指示いたします。内閣一丸となって対応してまいります。」としました。

 政府は、措置入院後のフォローアップといった問題には取り組みましたが、この裁判でその問題だけではないことが、明確になりました。被告人は、そもそも平成28年2月の手紙で、日本国政府に、被告人の言う「安楽死」を求め、まずは自分が殺すことの「決断」を問うたのです。

 したがって、日本国政府は、今こそ重度知的障害者も決して殺されてはならない、被告人の言うような「安楽死」はあり得ないと明言し、生産性・コスト意識ばかりを言う被告人の考えをしっかりと否定した声明を出してほしいです。

 首相も現地に行って、国民に強くアピールしてほしいです。そして、裁判でさらに様々なことが明らかになったこの機会に国会に特別委員を設置して、それ以外の諸資料と各所からの意見聴取を経て、しっかりとした報告書を作って欲しいです。

 これらのことをしないと、類似する人が、国は黙認したと捉える可能性があります。テロ事件で犯人が訴えている内容に対しては、たとえ当たり前のことであっても、改めて、国の責任者がしっかり応答してください。

5 社会の多くの人が、これを機会に議論していってほしいです。
 被告人は、法廷で、障害者との「共生社会」を目指すという政策に関して、重度知的障害者については無理だと分かって、逆に被告人の言う「安楽死」政策をとる結果となればいい、などと未だ言っています。このままでは、障害者を迫害する考えが広く深く広がり、類似の大小の事件、嫌がらせなどの事件が起こるのでは、と心配です。

 たしかに「共生社会=これまで必ずしも十分に社会参加できるような環境になかった障害者等が、積極的に参加・貢献していくことができる社会を」と言っても、重度知的障害者については、いったい何を言っているのか、と思われてしまうかもしれません。

 人の命・人権は、長く男も女も高齢者も子どももまして障害者、重度障害者などは長く尊重されてきませんでした。「命や人権の尊重」は、古今東西の常識ではなかったのです。それを、少しずつ保障するようになってきた歴史が、人間社会の発展なのだと思います。そして、障害者とその家族にはそれぞれ事情があり、もとより重度の場合の「自立」は困難を極めますから、「施設」を無くすることはできないでしょう。

 ですから、それも含めた「共生社会」の実現に目指すこと、その中で「人間とは何か」「まともな社会とは何か」を考えていくこと、それによって「障害者も幸せな社会が健常者も幸せな社会なのだ」ということが理解されていく、それが「共生社会」なのだと思います。

6 国や社会で議論する際、注意して欲しいのは、総論ばかり、建前ばかりの議論やそれらをまとめるだけでは、決して広く強い説得力は持てないことにご留意ください。

 被告人は、小学生・中学生時代から知的障害児との交流があったが、障害者はいらないと早期の内に考え、教育実習での施設での経験などの上、たまたまやまゆり園での仕事に就いた中で、被告人の言う「安楽死」を求める気持ちとなり、更に自ら殺害する気になり、本当に実行したのでした。その間、学校や施設などで十分には適切な指導がされなかったと思われ、残念でなりません。

 人は、極めて重い障害、わけても重度の知的障害者や重複障害者と出会ったとき、誰しも強い衝撃を受けると思います。「人が生きている意味」「人とは何か」を問うことになることは当たり前で、そのこと自体は良いことだと思われます。ただ、家族や自らがそのような障害をもつ可能性があるとの現実感がなく、また人間観を確立できていない場合には、180度、間違った方向になることもあるのだと考えます。現実の重さと、命についての本音での議論を踏まえていかなければ、説得力を持てません。

 ですから、関係者は、施設外を視察する、具体的に支援・介護をしている人から十分聴取する、自ら支援を経験してみるなどしつつ、内容と説得力のある議論を重ねてほしいと切望します。
  どうぞよろしくお願い申し上げます。       以 上
      ************
平成29年(わ)第112号
被告人  植  松   聖
        意 見 陳 述 書
                    令和元年2月17日
横浜地方裁判所第2刑事部  御中
        美帆さん遺族2名参加弁護士 滝 本 太 郎

          記
1 被告人は、極悪非道の罪を犯した。社会に大きく衝撃を与え、そして日本国に対する甚大なテロ行為を犯した。本件は「相模原重度障害者大量虐殺テロ事件」です。

 被告人は、美帆さん外計43人の重度障害者を包丁で刺し、うち19名の命を奪った。そのために職員らを拘束し傷つけた。被告人は、遺族・家族らは勿論、多くの職員らを、精神的に圧倒的な苦しみと痛みを与えた。美帆さんら刺された一人ひとりは、いったいどれほどの痛みと悔しさ不安を感じたか。

 被告人は、関係者や、類似する立場の人に対し、強い恐怖と不安を与えた。今も多くの人が、街中でこのように自分や自分の家族らを刺されるのではないか、迫害されるのではないかと怯えている。被告人は、文字通りの重度障害者に対する極悪非道の虐殺事件をおこし、日本全体を震撼させた。

 被告人の犯行は、まさに「テロリズム行為」である。被告人は、重複障害者で社会的活動が極めて困難な場合、本人が希望もしない「安楽死」、すなわち被告人の言う「安楽死」政策をとって欲しいと政府に求めた。そして、そのためにまず自分が、決して安楽死ではないけれども多数を殺傷して、社会と国に訴えたというのだから、テロリズムである。被告人は、質問で問われると「よいテロはあるのか」なぞと答えたが、テロリズムはそれを計画・実行する者としては全て「良いこと」せいぜい「仕方がないこと」であり、むしろテロであることを裏付ける。

 特定秘密の保護に関する法律第12条2項にはテロリズムの定義がある。「政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊するための活動」です。被告人の行為は、ここに定義するテロリズムそのものです。この裁判ではこれを直視しなければなりません。

2 この裁判手続きと法廷は、被告人として、このテロリズム行為の延長として、被告人の考えを喧伝する場として利用された。裁判所はこれに対し、しっかりとした量刑と、しっかりとした判決理由をもって回答しなければならない。

 被告人は、事件の5か月余り前、日本国政府に対して被告人の犯行の「ご決断」を求めた。そして、逮捕後も新聞社や月刊誌などを通じて自分の考えを宣伝し、この法廷でも述べた。
およそ、人の命・人権は、長い間、男も女も高齢者も子どももまして障害者、重度障害者などは長く尊重されてこなかった、今も国によってはそのままです。すなわち「命や人権の尊重」は、古今東西の常識ではなかった。それを、少しずつ保障するようになってきた歴史が、人間社会の発展でした。

 今、障害者との「共生社会」すなわち「これまで必ずしも十分に社会参加できるような環境になかった障害者等が、積極的に参加・貢献していくことができる社会を」と言われますが、これも人間社会の進歩です。もとより、障害者とその家族にはそれぞれ事情があり、重度の場合の「自立」は困難を極めますから、「施設」を無くすることはできず、それも含めた共生する社会の実現を目指して「障害者も幸せな社会が健常者も幸せな社会なのだ」ということが理解されていく、それが「共生社会」として求められていると思われます。

 しかるに被告人は、この法廷で、「共生社会」を目指すというこの政策につき、重度知的障害者については無理だと分かって、逆に被告人の言う「安楽死」政策をとる結果となればいい、などと言った。

  判決では、被告人のした「相模原重度障害者大量虐殺テロ事件」と、被告人のこれら考え・主張に対し、しっかりとした量刑と判決理由を示さなければならないと確信します。

3 被告人が相模原重度障害者大量虐殺テロ事件を起こした動機は、被告人が今言っている「心失者」は不要だという考えを、喧伝して実現していきたいからだけでは、決してないと思われます。

 すなわち、動機ないし事件の要因としては、むしろ
 第1に、知的障害者に対しもともと相応の悪意・侮蔑感を持ってきたがそれがやまゆり園での職に就いて増幅されたこと、
 第2に、生産性・コストばかりを重視する社会情勢の中で「役に立たない自分」と考えていたところ、これを「挽回」したかったこと、
 第3に、失礼ながら自己愛性人格障害の影響もあるでしょう、大人になってきて目立てなくなってきた中で、歪んだ自己実現を図ったものと思われます。


 被告人は、やまゆり園で仕事に就く前から一定程度の、知的障害者に対する悪意ないし侮蔑感を持っていた。被告人は知的障害者との交流もある義務教育の過程を経たが、その子ども集団の中でのトラブルにつき適切な指導が実現しないまま成長した。被告人は、当公判廷で、小学生の時「障害者はいらない」と作文に書いたが、いつもはコメントをくれる先生がそれも書かずに返してきた、問題行動をした障害者を殴ったなどと供述した。書証から分かる内容その他から見ても、被告人がこれらの点につき嘘を述べているとは思えない。被告人は大学の教育実習の中で施設での宿泊研修などもしたが、悪意ないし侮蔑感を増幅させただけであった。
 被告人が、やまゆり園に就職したのは、決して福祉を志したからでもなかった。

 そして、やまゆり園において早期に不良職員だと分かったが結局、有効な指導はなされなかった。被告人は、やまゆり園でその言うとおりに、実に驚いたでしょう。人は、極めて重い障害、わけても重度の知的障害者や重複障害者と出会ったとき、誰しも強い衝撃を受けると思います。

 被告人が漫画に描いたセリフ「命は尊いと唱えるだけでは思考が停止している」はまさにその通りであり、「人によって必要なおむつを下した時の、お尻など拭いてあげた時の、大人のあのウンチの臭い」に象徴されます。
「人とは何か」「人は何のために生きるのか」を問うことになることは当たり前で、そのこと自体は良いことだと思われます。

 しかし、被告人は「格好よくいたい」「目立ちたい」「日々を楽しみたい」と生きてきただけで、それまで人間観を確立してきませんでした。ナチスヒトラーが障害者にしたこと、それも強く批判されていることも知りませんでした。

 まして、被告人は、家族が障害を受容する過程も知りませんでした。
 すなわち、家族は「ショックを受け」、次にそんなことはない、直る筈だと「否認」し、次になぜ我が子がこうなるんだ、誰のせいなんだなどと「怒り・絶望」し、どこかで、諦めの意味もありましょうそれも一つの人生なんだ、このままで可愛い我が子だ、苦労もあるが幸せをくれている、自分も成長したと「再起・適応」していく受容過程を経る、時には受容されないまま「奇跡の回復」などにすがると言われますが、被告人はこれを知りませんでした。

 被告人が通例の一職員となるためには、この家族の受容過程を参考にしつつ、重度障害者を受容できるようになることが必須でしたが、それができないままでした。
当初「かわいい」と思ったとあるが、決して「受容」ではなく、人として見ずにいただけかと思われる。被告人の、重度の知的障害者らに対する悪意・侮蔑感は、増すばかりだった。

 そして、被告人は、犯行の5か月余り前の政府への手紙を作成するまでには、重度知的障害者を自ら殺すことを決意した。より明確かつ具体的にはその後の措置入院時だとも言えましょうが、そもそも政府に求めたのは、被告人の言う「安楽死」への政策変更ではなく、自ら多数の障害者を殺すことの許可なのですから、手紙を作成する前には、自らの実行を決断していたのです。

 本件は、被告人の悪意・侮蔑感が長年にわたり醸成され、やまゆり園にあって矯正されないままに増幅させて、犯されたものでした。

 第2に、生産性・コストばかりを重視する社会情勢により、被告人は「役に立たない自分」と考えていたところ、これを「挽回」したかった動機もあることも明白です。

 被告人は、近時の少なくない国の権力者が生産性・コストのみを重視し、時には法も無視・軽視して自己の考えや政策を貫き強さを示そうとする政治風潮、そしてこれに影響された弱肉強食を是とする社会風潮に踊らされ、「あまり役に立たなかった自分」と捉えてきた自分を「役に立つ自分」にしよう、それは受け入られるはずだとの思いのもと、極めて歪んだ自己実現として、本件犯行に及んだ。

今、被告人のように「役に立たない自分」だと捉えてしまう若者が少なくないと思われる。それは、当時26歳と若い被告人にはなんら責任がなく、政治権力や社会各所の権力者・有力者はもちろん、多くの大人の責任です。

 問題はそれを「挽回する方法」として、本件犯罪をしたことです。それは、当公判廷の被害者参加人、参加弁護士らの質問と回答にて相当に判明したとおり、被告人があまりに粗雑な思考しかせず、検討しつくさないままであったからという外ありません。

 被告人が「心失者」なる概念を考え出したのは、逮捕後の精神鑑定を経る過程であり、事件前ではありません。植物人間状態の人はどう考えるべきか、重度の認知症状態の高齢者はどう考えるべきか、などのごくごく一部も事件前の政府宛の手紙などに記載がなく、考察された様子がありません。あるのは、重複障害者への悪意・侮蔑・排除の思考だけです。

 被告人は今、自分の考えが正しいと言い続けるために、法廷では、自らの言葉が通じない所では自らが身ぶり手ぶりで意思疎通をとるほかないことを認めつつ、重度障害者の相当割合がしている身振り手振り、写真で示すといった意思疎通とはまったく違う、という外ありませんでした。

 そして、被告人は、父母や自分もその直後に脳内出血したり、交通事故により重度の知的障害者になることもあることも、とんと考えていませんでした。否、今も現実感をもってとらえていないでしょう。

 被告人が、いろいろな問いに対する回答を考えたのは、事件後の3年半、多くの学者、メディア人らと会話などする中で考え始めたという外なく、まさに後知恵でした。
 そして、その後知恵も、つまるところ、重度知的障害者にとどまらず、「もっともっと多数の人間を殺せ」というのものとなり、「その世界には誰がいるのか」という帰結となってしまうものであり、まさに論理が破綻しました。

 被告人は、自分を「役に立たない」と捉えてしまい「挽回」しようとしたが、このあまりに粗雑な思考しかしなかったことは、改めて強く非難しなければなりません。

 第3に、被告人は、失礼ながら自己愛性人格障害の影響もあるでしょう、大人になってきて目立てなくなってきた中で、「目立ちたい」として、歪んだ自己実現として本件犯行に至ったと思われます。

 被告人は、着飾り、金髪に染めた自らの写真を事件直前に20枚も撮り、うち1枚をフェイスブックとツイッターあて、事件直後に送信を終了させました。日本語で「世界が平和になりますように。」英語でビューテフルジャパンと記載してある。これのみにて、被告人が、「目立ちたい」という動機も十分にあって、本件犯行をしたことは明白です。

 被告人は、これらの行為は、被告人の考えを広く受け入れてもらうためだとするが、実に酷いことに事件を利用して被告人の考えを広めたいというそれだけであれば、髪を染める、着飾る、写真を20枚も撮る必要はなく、事件の衝撃それだけで十分なものであり、説得力がありません。

被告人は、静岡県立大学短期大学部の佐々木隆志教授が、平成30年5月、2度目に学生を連れて来たとき、学生から直截に「なぜこんな事件を起こしたのか」と質問され、「目立ちたかったからですよ」と答えたと見られます。このことにつき、被告人は当公判廷で当該教授は嘘ばかり言っているなどとしたが、およそ大学教授がかかる記述をするにつき、偽りを書けば学者生命にかかわること勿論であって、被告人の供述こそが信用できないと考えられます。被告人は、あるいは冗談半分かもしれないが、「目立ちたかったからですよ」と一度は述べているのです。
(上記抹消線部分は、被告人が被告人質問で当該記事につき、このように言って否定したが、その被告人の言うことが信頼できないので書いたものです。しかし、弁護人からこの行に入る直前、証拠に基づかないものだとする異議が出て、陳述できず削除して陳述という扱いになりました。たしかに、証拠たる書証は被告側も同意しなければ出せず、立場が参加弁護士であってより困難なので、佐々木教授の文章自体を、参加弁護士として証拠に出すことはできなかった。佐々木教授がその立場と名前を書けて記載していて信頼性があるものであり、後に確実に面会でそう言ったと確認しているけれど。)

 被告人は、もともと目立つことが好きであり、そのためにこそ、先に述べた粗雑な思考の結論と、醸成されてきた重度知的障害者への悪意・侮蔑感もあいまって、本件犯行を起こした、という外ありません。

 以上からして、被告人は、知的障害者に対しもともと低劣な悪意・侮蔑感を持っていたがやまゆり園での職に就いて増幅させたこと、生産性・コストばかりを重視する社会情勢の中で「役に立たない自分」と考えこれを挽回したかったこと、そして目立ちたいという歪んだ自己実現のために、被告人が作った思想に化体させるという自己合理化を図って、相模原重度障害者大量虐殺テロ事件を起こしたものです。

 これらは、本件の量刑判断と判決理由に十分に反映していただきたい。

5 被告人には、反省が見られないこと。
 被告人は、65分間にわたり43人を殺傷、職員を逮捕監禁致傷するという異様な行動をした。これが大麻精神病によるとは到底思えません。今も大麻精神病のままであるなぞは、被告人なりにしっかりと法廷では対応していること明白であり、文字通り破綻しています。

 被告人は、失礼ながら人格障害者ではありましょう。「本人に苦労・苦痛がないから」としてこれを否定した医師もいたが、「本人の著しい苦痛」のみならず、「社会的、職業的、または他の重要な領域における機能の障害を引き起こしている」場合も、人格障害の一要件を満たすところ、被告人のやまゆり園での勤務態度、政府への手紙を見るに機能障害を起こしていること明白であり、論ずるまでもない。そして、人格障害は性格の偏りであって、被告人の責任には影響しない。

 被告人は、洗脳やマインド・コントロールといった、他からの何らかの心理操作を受けたものでもないから、責任を認定するために必要な期待可能性も、一切減少していない。

 被告人のごとき、悪意と侮蔑感、被告人としての「挽回」、目立ちたいという動機・要因をもとに、自らの考えに化体して実行する確信犯として、かかる事件があることは、実は不可思議ではありません。

 人はとても素晴らしい存在であると同時に、精神異常の影響でなすものでなくとも、実におぞましいこともできる存在です。それを直視しなければなりません。

 自らが異質だと考えた人間を嫌悪・侮蔑し、何らかの理屈をつけて多数を殺害する犯罪は、関東大震災の後、この横浜の地を含めて少なくない民間人らが多数の朝鮮人などを殺した事件を見るまでもなく、時に起こってきたのです。


 その被告人は、今日までのところ、まったく反省していません。

 初公判でお詫びの言葉を言おうとも、被告人質問にあって、「刺した人にもお詫びする」のごとく言うが、「犠牲者か」との問いに対しては、言い淀むばかりでした。つまりは、考えを変えておらず、もちろん43人を殺傷したことを良いことと捉えていることは間違いない。そしてその考えを正しいとして喧伝しているのだから、まったく反省とはなっていません。

 美帆さんの母が言うとおり、遺族は1mmもお詫びをされたとは感じない。たとえば、自動車のスピードを出し過ぎての交通死亡事故被告事件であれば、反省は「スピードを出さなければよかった」であり、同時に「急いではいけなかった」「ルールも守らなければいけなかった」となるのであり、「必要があるときはスピードを出しても良い」と言い続ける被告人であれば、反省を認める余地はないのが当たり前です。

 かかる被告人の、口先でだす欺瞞的な「反省の言葉」は被害者らの怒りを増すばかりです。この言葉が、被告人が他の者と相談して定めたのであっても、被告人自身の責任です。被告人の反規範的人格態度と反省のなさを、ますます示すだけである。

 およそ、「反省」というのは、
まず事実の重さを知り、次に底知れぬ悔悟をするという段階の上で、「してしまう」ものです。しかし、被告人は、第1段階であるはずの、自らがした事実の重さを知ろうとしていない。

 被告人は、当公判廷で、入居者が重い障害を持った経緯につき「区別していません」と言う。被告人は、利用者の誰がどういう経緯だったのか気にしてない。
 重度障害者には、生まれた時から障害があると分かる場合もあるが、成長過程で分かる場合もある、健常児だったが成長過程で脳炎やその他の病気・事故で重い障害を持つこともある。それらを被告人は、分かっていなかった。

 被告人は、逮捕された後の3年半、43人わけても殺されてしまった19人につき供述調書など調べる機会があったはずであり、また当公判廷で朗読されたが、しかし最初に殺した美帆さんについてさえ、その入所までの経緯を知らない。
 12枚の説明付き写真を見たとのことだが、その重さをしっかり感じた様子もない。まったく43人と遺族・家族をばかにした態度であり、人の「命」を粗末に考えているままである。

 被告人は、逮捕後3年半にわたり多くの人と面談するなどし、その中で「心失者」なる概念を作り、自らのした行為の自己合理化を図ろうとするばかりである。
 被告人は今、「心」と「感情」とは大きく異なる、重度知的障害者には「感情」はあっても「心」はないとか、高性能ロボットと人間には本質的な違いはないと思うなどと、更に粗雑な、そして自分が奇跡的に今ここにある人間であることの意味をも没却する論理に入る外なかった。


 その原因は、自分がしたことが取り返しのつかないものであればあるほど「間違っていた」としたくないから、ではあろうとは思う。

 しかし、被告人もまた100%、いつか必ずや死ぬ。
 被告人は死んだ後は「無」だという。
 であれば尚更に、自分がしたことをどう捉えるか、その考えが正しいのか、まずは事実をこの裁判記録を含めて色んな調書などで確認しつつ、自分が死ぬまで考えていって欲しい。

 被告人の責任は、たとえようもなく重い。

6 あなたは、その右手、その手で美帆さんを殺した。
 おかあさんは、二度と美帆さんに会えない。
 一職員が言った「伝えたいことがあるんだよ」、そして被告人が覚えていたその職員の「心があるんだよ」の言葉が、唯一の救いだと思える。
 被告人が、初公判で食いちぎろうとした右手の小指、その小指はそもそも美帆さんを初めて刺した瞬間に傷ついたことを忘れてほしくない。
 被告人には死刑を求める。
 被告人にある命もまた奇跡的にここにある以上、とても大切な「価値あるもの」である。
 そして、だからこそ、被告人には、その貴重な命を刑罰として失ってもらわなければならない。

            以 上
   ****************
私は美帆の母親です。 

美帆は12月の冬晴れの日に誕生しました。1つ上に兄がいて待ちに待った女の子でした。幼いころはとても音に敏感でした。大きな音初めての場所、人がたくさんの場所が苦手でした。人に挨拶されただけで泣き叫ぶ子でした。3歳半で自閉症と診断されたあとは、とにかく勉強しました。本を読んだり、講演会に通い、少しでも美帆のことを理解しようとしました。他の親御さん達と障害のある方や、その親の気持ちを伝えようと思い、学校や地域で語ったこともありました。睨まれたり、怒られたりするのが恐かったから理解してくれる人を増やそうと思いました。美帆が私の人生の全てでした。

多くの良い先生や、友達、支援してくれた職員さん、ガイドヘルパーさん、ボランティアさんに恵まれました。皆、やさしく接してくれたので、とても人が好きで人懐っこい子に育ちました。とても音楽が好きでいきものがかり、ドラマの主題歌や童謡、クラッシック、アニメ等ジャンルは問わず、いろいろな曲を聴いてノリノリで踊っていました。乗物に乗っていると御機嫌でよくドライブしたり、電車やバスに乗りました。小さい時はブランコが大好きでした。プール、ジェットコースター、プラネタリウム、水族館、パレード、らーめん博物館、公園等、本当に大好きでいろんな場所に家族やガイドヘルパーさん、ボランティアさんと出かけていました。
 
成長するにつれ美帆は落ち着いてきました。一方で、9歳から大きなてんかん発作があり、小学校5年生ぐらいから多い時は週1、少ない時も月1回ぐらい発作がありました。
家庭の事情で中学2年生の時から児童寮で生活していました。毎月会いに行くのが楽しみでした。仕事も娘のためと思うとがんばれました。多い時には4つの仕事をかけもちでしていました。

 娘に障害のこと、自閉症のこと、てんかんのこと、いろいろ教えてもらいました。私の娘であり先生でもあります。優しい気持ちで人と接することができるようになりました。待つことの大切さや、人に対しての思いやりが持てるようになりました。人の良い所(長所)を見つけることが上手になりました。人を褒めることが上手になりました。

 人懐っこくて言葉はありませんが、すーっと人の横(そば)に来て挨拶をして前から知り合いのように接していました。笑顔がとても素敵で、まわりを癒してくれました。ひまわりのような笑顔でした。美帆は毎日を一生懸命生きていました。

 「お母さんのことを思うといたたまれません」と言われて、むかつきました。考えも変えず、1mmも謝罪された気がしません。痛みのない方法で殺せば良かったということなんでしょうか。冗談じゃないです。
 美帆にはもう、どんな方法でも会えないんです。

 当日は7時30分頃「美帆が被害にあっている」との連絡をもらい9時〜10時の間頃やまゆり園に着きました。名簿の×を見た時から、もう何が何だかわからなくなり、頭も真っ白でした。何回も夢じゃないかと思い、ほっぺたをつねってみたのですが、夢か現実か、自分が誰なのか、どうしてここにいるのかもわからなくてなっていました。

 だいぶ時間が経ってから美帆に会えました。顔しか見せてもらえませんでした。ストレッチャーに乗せられていて「美帆ちゃん、美帆ちゃん」と何度呼んでも答えてくれなくて、自分で体温調節をするのが苦手で汗をあまりかかない子だったのでいつも暖かい子が、その時は、すごく冷たくて、冷たくて、そんなこと一度もなかったのにすごく冷たくて一生忘れることのできな
い冷たさでした。会ったのは数分だと思います。

 プリント等配っていましたが、何を手にしているのだろう、皆、何を言っているのだろうと不思議でした。私は頭痛がひどくて「診療所の先生が園に来ているから具合の悪い人は言って下さい」と園長先生に言われて診てもらったら「血圧がすごく高いので頭痛はなおらないけど点滴するので診療所に来られるようなら来て下さい」と言われ警察の車に乗せて頂き点滴を受けました。警察と園と遺族の話しで、名前を出すか出さないかでとても揉めていたのを覚えています。私は言葉がでなくて一言も発することができませんでした。

 葬儀は、地元の斎場で音楽葬でしました。マスコミが多く来ていたようですが、弁護士会から来て頂いている弁護士や警察が協力して入れないようにしてもらえました。美帆の好きな童謡やいきものがかりなどの音楽を流し、参列者には娘の顔も見てもらいました。美帆のアルバムや額に入った写真を見てもらいました。着物を着せて見送りました。のべ、200人位の人が見送ってくれました。

 事件後、家はめちゃくちゃになりました。社交的で老人会や自治会の活動に積極的に参加していた祖母が家に引きこもってしまい、一歩も外に出なくなりました。人と話をするのが好きだったのに誰とも話さなくなりました。料理や庭の手入れをするのが好きでしたが全くしなくなりました。笑顔が消え、表情がなくなりました。兄は具合が悪くなり休み、休み、仕事をしていましたが入院することになり仕事を辞めました。私は食事をしても味がわからなくなり、9sやせました。心療内科に通い薬を飲むようになりました。身体が痛くて寝る時に骨が当たって痛くて眠れませんでした。1人で外出するのが怖くなり、外に出られなくなりました。がんばって外に出ると心臓の動悸がすごく、ドキドキしてブルブル全身が震えてしまうことがよくありました。今でもこの発作で震えてしまうことがあります。私の人生はこれで終わりだと思いました。自分の命より大切な人を失ったのだから。美帆がいなくなったショックで私達家族は、それまで当たり前にしていたことが何一つできなくなりました。

私達家族、美帆を愛してくれた周りの人達は皆、あなたに殺されたのです。
未来を全て奪われたのです。美帆を返して下さい。
他人が勝手に奪っていい命など1つもないということを伝えます。
あなたはそんなこともわからないで生きてきたのですか。
御両親から教えてもらえなかったのですか。
周りの誰からも教えてもらえなかったのですか。
何て、かわいそうな人なんでしょう。
何て、不幸な環境にいたのでしょう。
本当にかわいそうな人。

 私は娘がいて、とても幸せでした。決して不幸ではなかったです。「不幸を作る」とか勝手に言わないでほしいです。私の娘はたまたま障害を持って生まれてきただけです。
何も悪くありません。
 あなたの言葉をかりれば、あなたが不幸を作る人で、生産性のない生きている価値のない人間です。

あなたこそが税金を無駄に使っています。あなたはいらない人間なのだから。
あなたがいなくなれば、あなたに使っている税金を本当に困っている人にまわせます。
あなたが今、なぜ生きているのかわかりません。
私の娘はいないのに、こんなひどいことをした人がなぜ生きているのかわかりません。
何であなたは一日三食ごはんを食べているのですか。
具合が悪くなれば治療も受けられる。
私の娘はもうこの世にいなくて何もできないのに。
あなたが憎くて、憎くて、たまらない。八ッ裂きにしてやりたい。
極刑でも軽いと思う。
どんな刑があなたに与えられても私は、あなたを絶対に許さない。許しません。
私の一番大事で大切な娘、美帆を返して下さい。
美帆はこの世にいなくて、好きなことは何もできません。私達家族とあうこともできません。失われた時間はもう二度と取りもどせません。

でも、あなたは、こうして生きています。ずるいです。おかしいです。
19人の命を奪ったのに。美帆は、一方的に未来を奪われて19年の短い生涯を終えました。だからあなたに未来はいらないです。
私は、あなたに極刑を望みます。
一生、外に出ることなく人生を終えて下さい。
 
  2020年2月17日
            美帆の母  ********


(原文はすべて手書き、母の氏名入り)
10



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ