2020/1/8

初公判−2つを見て  カルト・宗教・犯罪

 植松聖被告は2020.1.8初公判で、事件を認め、弁護人認否後、つけ加えたいとしてまた真ん中に。で「皆様に深くお詫び申しげます」と述べた直後、左手首を噛むか舌を噛もうとしたか(なんか裁判所の報道あて説明では右手小指をかみちぎろうとした?)で何人にも押さえられ、退廷命令。抵抗しつつ4分程で外に。

 「麻原彰晃」は1996.4.24初公判で、オウム流四無量心の実践を述べ、裁判長から「それでその実践をしたんですか」と聞かれれば「ウッ」となり、弁護士が介入し黙秘権行使。その10.18からは弟子の証言を妨害し始め、1997.4.24の更新時の罪状認否でエンタープライズ上の認否つまりは責任逃れ、やがて不規則則発言ばかりとなった。

 しょもな。両方の初公判を見ることとなってしまった。
 もちろん事件は異なるが、制度上は集中して進める裁判員裁判になった点が大きく異なる。どうなるのか。
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2020/1/8

美帆さん説明付写真のこと、初公判感想等  

相模原連続殺傷事件につき、各メディア様らに。問い合わせ多く、ここに記載することにてご容赦を。いずれも今朝書いた前記事同様にご利用されて結構です。

1、本日の裁判につき「美帆さん」の母の感想
―報道と代理人からの直接報告を聞いて―
「とても裁判に臨む態度ではないと思いました。残念です。この先の裁判がどうなるのか、心配です。」
←代理人弁護士あて、メディアらに伝えてよいとした言葉

2、名前の経緯について
「フルネイムか匿名かとされた。お母さんは名前の「美帆」さんを希望したが、裁判所が認めないとのことだった。」
←代理人弁護士によると。

3、説明付き写真4枚の経緯について
 今朝公開した、美帆さんの4枚の説明付き写真は、下記の経緯で作成された12枚のうちの4枚です。初公判終了後の今、参考までに説明申し上げます。←代理人弁護士によると。
   *************
 美帆さん遺族は、昨年11月16日、4枚の写真と同様にこれを含めて成長過程に従った12枚の写真と説明を「写真添付報告書」として作成して提出し、検察側は直ちにこの証拠請求をしました。
 しかし、弁護側が争点ではないとして同意せず、裁判所も説得しなかったとのことで、12月13日、今回の裁判には証拠として出ないこととなりました。
 遺族らは「裁判員や被告人に見てもらい、美帆のこと、美帆が一生懸命生きていたことを知ってほしかったのに、とても残念です。」とのことでした。

   **************
その「写真添付報告書」の表紙は下記のとおりです。(姓と母の氏名は削除してあります。)
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2020/1/8

19歳、女性、美帆さん  

各 位                弁護士滝本太郎

 下記は、本日これから初公判の、被告人植松聖に対する殺人等被告事件に関し、一被害者である「甲A」さん遺族代理人としてアップするものです。(PDFでのアップはできませんでした。)

 まず、どなた様におかれても、同遺族を探すとかその周辺を含め接触・連絡は一切されないようここに求めます。


 同遺族として、その住所・氏名を出さなかったのは、いわゆるメディアスクラムが恐しかったこと、何より世の中には怖い人がいることを実感し、とても心配だったからです。同遺族は、葬儀に知り合い等々極めて多数が参列していたことでも分かる通り、障害のことを知られたくないから匿名にしたのではありません。

 それでも知らない人などが訪れるなどしては困ります。誤解なきようお願いします。

 同遺族はまた、この裁判では、決して被告人の責任能力の有無程度とか量刑を定めれば足りるものだとは考えていません。被告人の考えそのものを、社会も国においても論ずる契機とし、克服して欲しいと強く念願しています。

 そのため、「甲A」には名前も人生もあるのだと示す必要があり、なによりご遺族として美帆さんが生きていた証を残したく、この写真と説明書を公開します。


1、以後、甲Aさんにつき「美帆さん、19歳、女性」と記載されて結構です。.

2、新聞社、雑誌社などどのメディアにおかれても、自筆部分ともどもご自由にご利用ください。ただし、当職のブログは偶々利用するだけですので、出典は書かないで下さい。単に「遺族提供」で結構です。

3、メディアに出る以上、インターネット上も公表されることは分かっていますが、どなたさまもコラージュ化する、侮辱めいたことを記載するなどは厳にしないよう求めます。万一のことがあれば、厳正な法的処分をいたします。

4、それ以外は今、提供できる情報はなく、なにかを答えることはできません。提供可能な情報があれば、今後は逐次、横浜司法記者会の幹事社あてに連絡申し上げます。

5、最後に、小さな媒体であってもこれらを呈示して報じた場合、是非とも2部を当事務所あてにお送り下されたく、お願い申し上げます。

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手記テキスト
 大好きだった娘に会えなくなって3年が経ちました。時間が経つほどに会いたい思いは強くなるばかりです。会いたくて会いたくて仕方ありません。本当に笑顔が素敵でかわいくてしかたがない自慢の娘でした。アンパンマン、トーマス、ミッフィー、ピング−等のキャラクターが大好きでした。音楽も好きでよく“いきものがかり”を聞いていました。特に“じょいふる”が好きでポッキーのCMで流れるとリビングの決まった場所で、ノリノリで踊っていたのが今でも目に浮かびます。電車が好きで電車の絵本を持ってきては指さして「名前を言って」という要求をしていました。よく指さしていたのは、特急スペーシアと京浜東北線でした。ジブリのビデオを見るのも好きでした。特にお気に入りは魔女の宅急便と天空の城ラピュタ、他のビデオも並べて順番に見ていました。

 自閉症の人は社会性がないといいますが、娘はきちんと外と家の区別をしていて、大きな音が苦手でしたが、学校ではお姉さん顔をしてがんばっていたようでした。外では大人のお姉さん風でしたが、家では甘ったれの末娘でした。児童寮に入っていた時、一時帰宅すると最初のうちは「帰らない、家にいる」と帰るのを拒否していました。写真を見せて「寮に帰るよ」と声かけすると、一応車に乗り、寮の駐車場に着くものの車からは出てきません。「帰らない」と強く態度で表していました。パニックを起こして大変だったけれど、うれしい気持ちもありました。2年くらいは続いていましたがそれ以降は、自分は寮で生活するということがわかってきたようで、リュックをしょって泣かずに帰っていくようになりました。親としては、淋しい気持ちもありましたが、お姉さんになったなあといつも思っていました。

 月1くらいで会いにいき、コンビニでおやつと飲み物を買い、一緒にお庭で食べるのですが、食べおわると部屋にもどることがわかっていて、食べている間中、「歌をうたって」のお願いをされ、よくアンパンマンの“勇気りんりん”と、ちびまる子ちゃんのうた、犬のおまわりさん等、うたっていました。私の歌をBGMにしておやつをおいしそうに食べていました。自分の部屋にもどる時も「またね」と手を振ると自分の腰のあたりでバイバイと手を振ってくれていました。泣きもせず、後おいもせず、部屋にもどっていく後ろ姿を見ているとずいぶん大人になったなと思っていました。

 美帆はこうして私がいなくなっても寮でこんなふうに生きていくんだなと思っていました。人と仲よくなるのが上手で、人に頼ることも上手でしたので職員さんたちに見守られながら生きていくのだと思っていました。言葉はありませんでしたが、人の心をつかむのが上手で何気にすーっと人の横に近づいていって、前から知り合いのように接していました。皆が美帆にやさしく接してくれたので人が大好きでした。人にくっついていると安心しているようでした。

 美帆は一生懸命生きていました。その証を残したいと思います。恐い人が他にもいるといけないので住所や姓は出せませんが、美帆の名を覚えていてほしいです。どうして今、名前を公表したかというと裁判の時に「甲さん」「乙さん」と呼ばれるのは嫌だったからです。話しを聞いた時にとても違和感を持ちました。とても「甲さん」「乙さん」と呼ばれることには納得いきませんでした。ちゃんと美帆という名前があるのに。どこに出しても恥ずかしくない自慢の娘でした。家の娘は甲でも乙でもなく美帆です。

 この裁判では犯人の量刑を決めるだけでなく、社会全体でもこのような悲しい事件が2度とおこらない世の中にするにはどうしたらいいか議論して考えて頂きたいと思います。障害者やその家族が不安なく落ち着いて生活できる国になってほしいと願っています。障害者が安心して暮らせる社会こそが、健常者も幸せな社会だと思います。
      2020年1月8日  
                19歳女性 美帆の母

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