2018/8/10

文藝春秋9月号  カルト・宗教・犯罪

http://bunshun.jp/articles/-/8461
http://bunshun.jp/articles/-/8560
8月10日店頭に並んだ、月刊「文藝春秋」2018年9月号に私のインタビュー記事が出ています。142〜151ページです。

 「私とオウム真理教の30年闘争
―四女と麻原彰晃の遺体を見送って
―散骨、家族間対立、後継団体
・・事件は終わっていない」


です。このことにつき今、話せる範囲のことは話していつもりです。どうぞ、参考までに、ご一読ください。

 下記に、留意点と、一部訂正したい所を記載します。これ、私の1つの記憶違いによる間違いと、短い時間で確認修正したのが直接の原因で、改めて読むとニュアンスが違ってたりで、私の問題です。すいませんです。

1−表題は記者さんらが決めたものです、趣旨はその通りです。「四女と」の後に「、」が欲しかった気はするけれど。

2−143ページ下段、球磨川の所です。散骨する場所につき、私は、執行される前までは「球磨川がいい」と思っていたのですが、拘置所との面談の中で、四女から「球磨川が聖地になってしまう、迷惑かもしれない」という言われ、「広い太平洋の誰にも分からない場所に散骨するしかない」という結論に至ったが正確です。

3−145ページ下段、初面談後、本人から「話がしたい」と連絡があった、というのは間違いでした。本人は、私が被害者の一人でもあることにつき、テレビ制作会社紹介での初面談でも気にしていました。「会っていいのか」とずいぶん気にしていました。
 収録後、とある法的問題の話もあり、聞いていた連絡先に、私から「何とかできるかも」と電話をかけたのが付き合いの初めだったのでした。私の完全な記憶違い、すいません。

4−同所の「監視する気はなかったし」というのは、それはその通りなのですがきつい表現でした。せいぜい「監護」とすべきでした。もちろん気にはしていたけれど、そもそも実の子でも20歳近く、まして20歳過ぎてからは「監護」なんてできない、更に別に住んでいればできないのは当たり前で、その意味なんです。

5−146ページ上段の「最初は未熟な部分も多々ありました。社会常識が不十分で、夢想も無理もしてしまう。自分への関心が第一ではありました。」は誤解を招きますね。四女さんあてに三女さんから裁判が起こされているところ、この記載を利用されたくないものです。
 すなわち、そもそも「自分自身の利害や自分への関心」に集中していないからこそ、(オウム事件を見つめず、脱会者名目のお付きの人がいるなどの)欺瞞に満ちた麻原家を飛び出したんですから。「自分への関心が第一」というのは、強い決意で麻原家を脱した中で、自分はさらに何をすればいいか、生きていていいのかという、つまり自責傾向にばかりなっていた、という意味なんです。

6−147ページ下段「松本サリン事件も起きていた。私は末期症状だと考え、」のではなく、、「松本サリン事件も起きていた。(当時、教祖のサリン説法を知ってはいたけれど、私は近すぎたからでしょうこれは結びつかなかった。でも、末期症状というほかない考え、」)です。

7−150ページ下段、故井上の判決のところは、最高裁では書面審理ですから証人に出てません、また「結局、死刑判決を覆せなかった。」ではなく、「結局、高裁では死刑判決になってしまった。」です。

上記のとおり、付言します。
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2018/8/7

10人の遺骨がない。  カルト・宗教・犯罪

少なくとも、10人の遺骨がない。   2018.8.13更新
 なお、このうち刑事裁判になったのは、2番の田口君事件、5番の落田君事件、7番の富田君事件、10番の假谷氏事件の4つです。また薬物イニシエーションと付随した温熱で死亡した人は、下記の6番と8番を含めて10人かと思われます。まだ書けないです。

死亡の順序で書くと、
1−MT君、1988年9月22日死去、
在家で修行に来てた、享年25歳、リンチ水死
2−田口修二君、1989年2月10日死去、
出家者、享年21歳、首折りリンチ
3−吉田英子さん、1990年か1991年
出家者、享年27−28歳、上祐もいる場所で、教祖が首を折るか(故新実の伝聞)、某死刑囚の薬物注射か(上祐の話)
4−ОN君、1993年6月6日死去 
出家者、享年25歳、逆さ吊り死
5−落田耕太郎君、1994年1月30日未明死去、
元出家者、享年29歳、絞殺リンチ
6−NHさん、1994年6月死去
出家者、享年57歳、47度温熱死亡、唯一の出家者に知らせ瞑想
7−富田俊男さん1994年7月上旬死去
出家者、享年27歳、虐殺リンチ殺人
8−S某君、1994年7月11日前頃死去
準出家者、享年22歳、LSD副作用または温熱死亡
9−中村徹君、1994年7月15日死去、
出家者、享年34歳、50度温熱刑傷害致死
10−仮谷清志氏、1995年3月1日午前11時過頃、
元在家信徒の兄、享年69歳、監禁薬物致死


1−(20180813 ご指摘がありNHさん=ベールカンダキャーさんが抜けてしまっていました。すいません、9人に1人追加修正します)
2−(20180810 ご指摘がありOさんが抜けてしまっていたことに気がつきました。すいません、8人に1人追加修正します)
3−http://sky.ap.teacup.com/takitaro/2320.html#comment
 20180717ブログに、上祐が現場にいた故吉田英子さんのことを書いてあります。参考までに。「週刊新潮」2018年7月26日号の記事を書いた記者さんよく調査していて偉かったです。
 上祐さんが現場にいた殺人事件ですが、彼女は「特総」所属だったんだね、なるほど、オウム側は「特総」なんて部局はないんだ!と強く1990年あたり強く言ってたね。その理由がようやく分かった想いです。

4−S君を加えます。友人の準出家者の証言を、書籍「オウムをやめた私たち」から、下記に転載します。
 この人は享年22歳男性です、1993年10月に入信、1994年6月23日に大学の寮を出てしまい、同年6年25日、6月27日そして7月3日と親御さんが行き何とか会えて話せるが駄目で、7月15日付出家扱いと言う形になった模様です。
 治療省だった人の記憶では7月11日の数日前の死亡だったとのことです。その証言と一致しています。それが、平成6年11月20日付の元治療省の人の録取書であり、一部匿名化して、末尾に添付します。まさに初公開です
 私は、治療省だった人、親御さん、そして沢木君の順に聞いたものでした。1998年、沢木君から話を聞いて親御さんにあった貰いました。沢木君、偉かったです。その8月、お父さんは心筋梗塞で亡くなりました。S君本人の臍の緒を一緒に焼いたとのことでした。
 以上、プライベートに過ぎましょうが、匿名にて、オウム集団がしたことを示すために、今となって書きました。


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2018/8/7

雨宮処凛さん・文化人ら  カルト・宗教・犯罪

 一部文化人とか、オウムの裏にはナニナニがとか陰謀論を言う方には、言いたくなってしまう。
 「オウム真理教を甘く見なさんなよ、『真理』のためにはいくらでも嘘をつくし、他を利用するんですよ。すでに実に有名な教団ですもん、1万人に1人が入れば1万人、お金もしっかり集まるんですよ」と。


下記は、雨宮処凛さんの20180801ビッグイシュー記事。
初心かつ論理性が無さすぎ。影響力ある立場故、少しは考えてほしい。
「真相は永遠に闇の中」とは、新聞記事さえも、ろくに読んでこなかった自白。
「真相を語らせよう」って、責任逃ればかり言い、動機とか話さなかったのは本人。
憲法上の黙秘権も無視して、オウム同様に自白剤でも使えってか。
そして、麻原に動機を聞きたいとしながら「真相究明の会」とネーミングした
それは、オウム集団らが「すべてでっち上げ」「弟子の暴走だ」と、勧誘時の集団名を明かす時の言葉のために、実に役に立つネーミングです。
自分もまた、オウム集団に利用されたということが、まだ分からないのかな。
感覚はとても素敵なのに、人脈からの影響を受けすぎ、だと。


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2018/8/7

傍聴券事件とのこと  カルト・宗教・犯罪

原告麻原三女さん、被告私の、
さいたま地裁での損害賠償請求裁判
8月8日15:30は、
傍聴券事件になりました。
「三女派」表現についての裁判です。
弁論ですので短時間です。
http://www.courts.go.jp/app/botyokoufu_jp/list?id=39

20180808追記 上記の弁論期日には、被告本人の私は、諸般の事情から欠席しました。
 それでも警備が結構あったでしょうか、裁判所と各位に手間暇をかけさせてしまい、申し訳ない想いです。
 次回弁論は、10月14日水曜日の午後4時30分から、原告からの主張の陳述予定、と聞知しています。
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2018/8/6

8月25日公開講座「オウムのすべて」  カルト・宗教・犯罪

  日本脱カルト協会主催の、標題の集まりがあります。8月25日と近い所なのですが、どうぞお集まりください。
  これを企画していたところ、7月、教祖のみならず13人全員の死刑執行という事態になったところです。
  ですが、オウム問題は終わっておらず、カルト問題も終わっていません。どうぞ、広くお知らせ下さいませ。


PDFは右をクリックしてください。 m20180825.pdf
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JSCPR公開講座「オウムのすべて」
―事件をふりかえって そしてこれから―

日時:2018年8月25日(土)
12:15開場(12:35から青沼さんの新アニメ上映)
12:45開始〜17:30終了
場所:立正大学品川キャンパス 9号館 B1F
予約不要 資料代1000円(学生無料)


―立正大学品川キャンパスの正門から階段を半分まで上り、左手1号館に沿って左に回りこんで、9号館の入口です。
場所は、東京都品川区大崎4-2-16・JR山手線「大崎駅」北改札西口 徒歩7分、・同 「五反田駅」西口 徒歩7分、・東急池上線 「大崎広小路駅」 徒歩3分
http://www.ris.ac.jp/access/shinagawa/

◆ 西田公昭  : 拘置所での面談をふりかえって 
 1960年生、立正大学教授。オウム事件や統一協会などの多数の裁判で、鑑定人など。当会代表理事、日本グループ・ダイナミックス学会々長、「マインド・コントロールとは何か」「信じるこころの科学」等。

◆ 青沼陽一郎 : 麻原法廷とは
 1968年生、ジャーナリスト。様々な分野で精力的な活動。著書に「オウム裁判傍笑記」「池袋通り魔との往復書簡」「帰還せず残留日本兵60年目の証言」等、ブログは「是々非々にて候。」

◆ 降幡賢一 : 法廷で何がわかったか   
   1945年生、元朝日新聞記者。日本エッセイスト・クラブ理事。オウム裁判を傍聴し続け、「オウム法廷」13冊として結実。その他に「オウム裁判と日本人」

◆ 脱会者証言 : カナリヤの会々員が、初めて公に話します。

○ 沢木晃:1991年入信、準出家者、97年脱会、手記「君が消えた夏」
○ 渡辺恵美子:1992年入信、94年5月出家、10月脱走・脱会、故新実逮捕の監禁被害者、諸情報を事前提供しこれが強制捜査につながる。手記「暑い日」
○ 山中次郎:1988年入信、89年出家、95年逮捕、99年脱会、サリンプラント製造、松本サリン噴霧車改造作業にて受刑、手記「東京拘置所の寒い日」

◆ 上記6人でのパネルディスカッションとその他にも 
○ 高橋シズヱ(地下鉄サリン事件被害者の会 代表世話人):被害者・遺族からの声
○ 滝本太郎(JSCPR理事)  : オウムの現状、被害とは
○ 山口貴士(JSCPR事務局長): 今、すべきこと

主催 日本脱カルト協会
http://www.jscpr.org/
〒242-0021 神奈川県大和市中央2-1-15
パークロード大和ビル5階 大和法律事務所気付
FAX046-263-0375 info@jscpr.org
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2018/8/6


https://www.facebook.com/100016067015065/videos/220147795197453/UzpfSTEwMDAwNjIyMDQ3OTUxOToyMDg4NzI5NTU0Njc3NzA3/
この再現も入れた証言映像知らなかった。投下して43秒後の爆発なんだ。

もう何年前になるかな、その3日後からの数日間、広島に兵隊として遺体の片付けに入った人の話を直接聞いた。どうにもこうにも酷かった、辛かった、暑かったと。その後、部隊の同僚らは多く死んでしまった。皆がんだったと。聞いたのは病院の隣のファミレス。その人もその2週間後ぐらいだったか、がんで亡くなった。タバコのせいかもしれないが。

 昨年だったか、長崎原爆は、他市からだがキノコ雲を見、その後の救援・避難者を見た人から話を聞き、録音もした。

 世の中、狭いものです。

 原水爆は絶対悪。生物化学兵器、対人地雷が既に全面禁止なのに、原水爆が全面禁止になっていないって、おかしいっしょ、と。

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2018/8/4

繰り言ですね  カルト・宗教・犯罪

   どの課題でも、自分がこの立場だったら、こちらの立場だったら、この立場だったらどう考えたか、どう判断したかを捉えないと、人の判断を変える力にはならないと。
  そのうえで、オウム事件は麻原一人の死刑、死刑執行が必要、かつ十分だと、最初の死刑判決が出る前の、法廷証言でもメディアでも、誰に対しても申してきたが、涙。 
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