2016/7/16

勝ち負けと正邪  日常のこと

参議院議員選挙−勝ち負けと正邪

負けたのだという自覚が弱い人が少なくないのだなあ、と気になる。3分の2を取られたのだから「負けは負け」自覚されたし、と思う。

そりゃ、小選挙区での野党共闘よくできました、それがなかった時を想像するに恐ろしい。東北では秋田以外はすべて野党共闘が勝ったなどすごい話です。自民党の票数とか比率も経ったのかしれないし、憲法問題の理解もそれなりに広がった。

だが、負けは負け。
「負け」としたくない論客や発言者のを見聞きしていると、「負け=正しくなかった」として「正しい者・方針=勝った」としたいみたいに感じられる。そんなことないって。「正しい者・方針も行いも負けるし、間違った者・方針も勝つことがある」んです。それだけの話。


・「負け」と認めることで、勿論シュンとするものでもなく、終わりではない。
・それを「正しいもの・方針」だから、それなりに「勝った」と思いたがるのは、マスターベーションでしかない。
・それは、反省を深くすること、工夫を改めてすることを阻害し、再び「負ける」危険性を招来する。


だから、「負けを負け」と認めないのは有害です。
どうか、素朴な疑問、単純な判断(ここでは3分の2)、素直な心を大切にすべし、と思う。

情報や主義主張での部分社会にいると、まして「正しい正しくない」の議論ばかりしてきた人とかだと、そんな悪弊がでてくる。外側では相手にされないだけなのに。
部分社会から抜け出すべし、と思う。だから、読売新聞を読みましょうと。


重要なのは「自分や貴方が正しいかどうかではなく、歴史がひどく廻りそうな時に止められるかどうか」なのだから。
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