2015/11/21

「障害の存在意義など」―教育委員発言から  日常のこと

ようやく辞任。酷いもんでした。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151120-00050072-yom-soci
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茨城県教育委員長谷川智恵子氏「妊娠初期に(障害の有無が)もっとわかるようにできないか。4か月以降になるとおろせない」などと発言した問題で、長谷川氏が橋本昌知事に電話で辞任する意向を伝えた
19日、発言を撤回するとともに謝罪のコメント。東京・銀座の日動画廊副社長。今年4月から教育委員
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この人の発言は、つまり妊婦らに胎児の障害の有無の検査を強く求め、かつ障害があるとみられる場合はその中絶を強く求めているものです。胎児であってもその命の重さを考えない、親の気持ち、痛みを知らない、かつ極めて差別的なものであり、教育委員にはふさわしくないことは実に明白です。

この人、当事者らのつらさを知らないのだろうな、と思う。既にダウン症などについて受精卵診断、胎児診断が容易にできるようになってきていて、その出産率が実に下がってきていることのつらさ、重さを知らないのかも、と思う。乙武さんが、「私も生まれてこなかったほうが良かったのですかね?」と問うた重さを知らないのだろうな、と思う。

この人、18日に発言を撤回していろいろ弁明したが、その中で「***また、生まれてきた子どもたちの命は全て大切なものであると考えております。」などと言っている。なんなのか、今回の発言は、胎児・受精卵についての発言であり、つまりは分かっていないようです。

橋本知事は、当初「障害の有無が事前に分かり中絶したい人が中絶できる機会を増やしたらどうかという意味だと思う。悪いことではない」だと。そして、これにつき「不快感や苦痛を与えたことを真摯(しんし)に反省したい」とし、陳謝とのこと。知事からして弱ったものだ。

検査をするかどうか、中絶するかどうかは親の決めることで回りがとやかく言うことではない。そんな優生思想は、今後ともある程度は避けられないものではあるだろうけれど、胎児本人と親ら周囲に対してひどい人権侵害、痛みを与える「差別ではある」ことをどこまでも自覚しなければならない。

そして
1―妊娠中には分からない障害も今後とも多くあり、出産時、出産後、死ぬまでの生きていく中で、体、精神、知的の各面で障害をもつことも実に多い、
2―例えば統合失調症患者から強くアピール力がある絵が描かれたり、愛を忘れない宗教が興されたり、アスペルガーなり高機能自閉症者の中に特異な能力があったりし直接的にも有益なことがあること、
3―「障害のない正常」な人によってこそ、手酷い政治・経済が行われ、戦争までおこされてきたこと
を忘れてはなるまい。


人類は、身体障害、知的、情緒障害、精神障害などを含めて人類として存続してきた。昔の社会でも、決して排斥とか間引きばかりされてきたのではなく、伝統社会の中に包摂してきたものでもある。私は、なぜ人にはさまざまな「障害」があるのかと思うに、
1―ヒト科ヒトというものを種として他の個体に優しくしていき、維持していくため、
2―ヒトとはなんだろうか、社会をどうしていくべきかを自ら考えつくし成長させていくため、
3―なんらかの異常事態には、ヒトとして多様性を維持して、ヒト科ヒトを維持していくため
ではないかなあ、なんて思う。

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