2014/11/4

共に死刑を考える国際シンポジウム  カルト・宗教・犯罪

正確には
「共に死刑を考える国際シンポジウム
いのちなきところ正義なし2014」
という集まりで、3回目のようです。

それにしても、なんで廃止論者ばかりで開催するのかしら、と。
私、日弁連の集まりだったか一度、呼ばれたことがあるけれど、その限りだったなあ。
ああ「いのちなきところ」って表現をよくできるなあ。命を失わせた事件での死刑論議なのだけれどなあ。

■ 共に死刑を考える国際シンポジウム
http://www.christiantoday.co.jp/articles/14395/20141026/no-justice-without-life-community-of-santegidio-jusitce-and-human-rights.htm
http://www.christiantoday.co.jp/articles/14417/20141028/death-penalty-statement.htm
http://www.christiantoday.co.jp/articles/14446/20141103/no-justice-without-life-3.htm
追加−宣言は下記
http://www.christiantoday.co.jp/articles/14417/20141028/death-penalty-statement.htm

私、死刑制度存続について悩むのは、2つの点のみです。「冤罪の危険性」と「死刑執行人の苦悩」

麻原法廷でも、本人を目の前に「死刑を望む」としっかり言ってきました。
下記の所の資料、24.25.25の2.30あたりです。
http://www.cnet-sc.ne.jp/canarium/5.html

死刑制度については、下記にも書きました。参考までに。
http://sky.ap.teacup.com/applet/takitaro/20080419/archive


・つまり、確実に「有実」に、自分の反社会的性格の故に極悪非道の行為をしている場合もあるのだ、と。
・で、冤罪は確かにあり得る、と。−日本では死刑確定再審無罪が4つあり、今また袴田さん事件につき、再審無罪も近いと、その重さに悩みます。
・そして死刑執行人の苦悩は、やはり払拭しきれるものではない、と。
そのあたりの悩み、です。


しかし、今回のシンポでの宗教者とかの発言は、どうにも私、馴染めないです。

1−つまりは、それぞれの自らの宗教信条への同調を求めるものだから。

2−『べき論』で述べているばかりで、人間が途方もなく素晴らしいことも、途方もなくおぞましいこともするものだということを、実は見ていないのではないかな、と思うから。
−「死刑の理由」という文庫本−まあ判決文の量刑部分の集約です−があるのだけれど、それが『現実にある』実態です。皆、読んでいるのかなあ。

3−『応報で良いはずがない』みたいなこと、いったいいつまで言うのか、と思う。
 刑罰は被告人のしたことに対応して決まっていきます。法定刑さえも窃盗よりも強盗の方が、更に強盗致傷の方が重い。当たり前のことです。応報が刑罰の重要な本質だからです。そうでないならば、その法定刑設定自体を批判しなければならないはず。
 「強盗」や「強姦」の犯人よりも、「殺人」の犯人の方がはるかにまともな人だ、ということは実際にあるものです。例えば、オウムの麻原以外の12人なぞ(8人をサリンで死なせた林康男の一審判決にあるように)多くの強盗・強姦犯人とかよりもはるかに『良い人』です。刑罰の本質が応報でないならば、死刑や無期懲役という法定刑が殺人罪にはあるが、強盗罪や強姦罪ではありえないことも批判しなければならない筈なのだ、と。

 こんな発言は、むしろ日本での死刑廃止を遠ざけるのではないかなあ、と思う。
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