2014/1/7

富沢町−富士清流精舎  カルト・宗教・犯罪

どうせだから次々とアップします。
まあ、この3日間アップした一部とて分かる人は、月に一回見に行っていた模様の神奈川県警坂本担当の人か、住民と出家者の一部の人なんだろう。


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こちらは、山梨県南巨摩郡といったから、富沢町の川沿いの土地の「富士清流精舎」の所です。1990.11.21。まだ建物も作る前の段階です。麻原さんの写真をまあ挑戦的に貼ってある。この後プレハブの建物が作られて、一時期多くの子どもらも居住しましたね。入口を覗くと靴がやたら一杯あった。

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そして後に石川県の岡村鉄工所の経営者がオウムにはまり、それに乗じて、教団がそこにあった機械など多くを搬入して、ここで小銃千丁を作るように進めていた。まあ小銃だとは後に分かったのだが。松本サリン事件でトラックをサリン噴霧の改造をしたのもここだったかも。

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こちらは川上から見た所。右側が川でして、親らはいろいろと心配したものです。小さな子どもらが川に落ちて死なないか、大雨の時に地盤ごと流されてしまわないか、と。ああ、この写真の上の方に写っている山の頂上に一時期望遠鏡をつけて、見てもいたです。教団は、川から勝手に水を大量にとっていて、それを一時期使っていた。ですが川の水を勝手に採取するのは「河川法違反」というものでしてね、それも教団は無視していた。まあ行政も動きも鈍かったのだけれど。

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で、この向かい側にも、住民が掲示板を出してくれ、また監視活動のプレハブができた。「オウム教信者のみなさんへ。町のどこの家でも保護ます。安心して保護を求めて下さい。富沢町民」と。
「坂本一家を探す会」の、3人の写真が写っている「ご協力をお願いします」の看板も置かせてくれました(これと同じ看板は山口県宇部の宮前一明が開いていた学習塾の前にも1991.11.14の前までに置かれていました。それが彼が監視されている気持ちを忘れなかった1つの要因かもしれない)。
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