2014/1/5

二ノ宮君覚えてる?-90.12.9-上九農園予定地跡地  カルト・宗教・犯罪

どもっ。正月でもあるので、まあ富士山の写真を。

と言っても、1990.12.9早朝の富士山です。笠雲の富士山


クリックすると元のサイズで表示します

この日、オウム真理教農園予定地とされていたところの一部に貼られたコンクリをはがしたものです。ここは、1989年にオウム真理教が購入したけれど、農地だったから「仮登記」のままであり、土地の返還請求に結局オウムが応じたものです。その直後の、工事中の写真です。

クリックすると元のサイズで表示します

1990.5月の27日あたりだったかなあ、私のカメラを警戒していた出家者らが奪い、フィルムを抜き取られた事件があった。

やたら広い所に、こんな看板がやたら立ち、銅銭がやたら張られて「高圧線注意」とか書いてあったね。電気も通していないのにそう書くという実にオウムらしいことをしていた。コンクリが違法に流され廃液も流れていた。

私は、外部からそんな様子を写真に撮ったものです。まあ一人で行ってそんな調査をしたのも直後に反省したが、陰から出てきて囲んでカメラを奪取する4人の出家者も凄いものでした。で、警戒責任者の二ノ宮君(当時の横浜支部長、大師)が駆けつけてきたと記憶する。カメラは返され、しかしフィルムを抜き取られたと。

フィルム返還・慰謝料請求訴訟を起こして、フィルムはようやく戻されたが、現像されていた。だから、その他の同月行ってた日弁連の陪審調査のうちフランス、イギリスの写真もオウム真理教が取得したものでして、弱ったものでした。

強盗・窃盗罪での告訴について富士吉田警察は動かず、酷いものでした。で、民事訴訟では遅延損害金含めて12万円あまりだったか、時間がかかったが、しっかりと私は確保したと。

オウム真理教が実に盛んなころに、オウム真理教自体から慰謝料含めて賠償を取ったのは、私だけ。それも麻原さんから恨まれた理由の一つでしょう。
ああ「宗教法人の使用者責任」ということで珍しい事案であり、判例にもなっています。横浜地裁平成5年6月30日判決、判例タイムズ841号186頁、高裁で確定した記憶。


で、私がこの場所にこだわり、このコンクリートを、土地の返還を請けた後に直ちに剥がしにかかったのは、コンクリが流されたのが、1989.11だったからです。すなわち、坂本事件の直後なんです。ひょっとしたらこの下に坂本3人が埋められているかもしれないと思ってね。
教団の住民への説明では、農園の一部に馬小屋を建てるのでそのコンクリだというものだったが、つまりは農園として耕作を始めたりする様子はとんとなく、実に不自然でもあったしね。


クリックすると元のサイズで表示します

剥がすために、重機などで20万円位かかったかな、地元の協力で安くしてもらえたけれどかなりかかった。まだ調査部会の予算は立てられていなかったし、私が出しましたよ、後に貰えたけれど。

クリックすると元のサイズで表示します

結局、坂本3人はここに埋められてはいませんでした。農園予定地全体はやたら広くてとても掘れるものではないから諦めたけれど、コンクリの下を皆で一所懸命掘りました。

坂本一家が、長野、新潟、富山と分かれた見つかったのは、1995年9月。寒かっただろうな。

で、私は前日に自動車で現地に行き、車中の寝袋の中で寝ました。寒かったよぉ。その早朝、日が昇る直前に写したのが最初の富士山写真です。私は怖いが祈るような気持ちだった。

二ノ宮君、麻原さんにいつまでこだわっているのかな。フィルム事件の日は、私として何人かの信者さんとの初めての「話し合い」であり、二ノ宮君も「空」のこととか話していたと思うんだ。

二ノ宮君、農園予定地のこと、思い出しましたか。
富士山はとても大きくて綺麗だったよね。
4



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ