2014/1/12

大ニュース!!-ゴジラ・メガムリオン  大地震・原発・基地


わっ、わっ、わっ、大ニュースだ。

これは凄い、調査に多額の費用をかけていいのではなかろうか。日本は、深海、海底、そしてマントル研究について、世界一を維持して行きましょう。ここがあればやたら深く掘らなくても調査できるではないかあ。高低差4000mとのこと、凄い、大きい、広い、ゴジラだあ。

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マントル「のぞき窓」海底で発見、名はゴジラ
 日本の最南端・沖ノ鳥島(東京都小笠原村)の南東約700キロ・メートル
地下のマントルが露出した世界最大のドーム状の岩塊が存在
 マントルを見るための「のぞき窓」として、地球内部の仕組みの解明に役立つ
有用金属や宝石になる鉱物を含むため、新たな海底資源として注目
 岩塊は縦125キロ・メートル、幅55キロ・メートル、高さ(最深部との高低差)約4キロ・メートル。東京都の面積の3倍程度の大きさ
 「ゴジラ・メガムリオン(巨大な棒状の岩)」と命名
 海底の地殻は通常、溶岩が冷えて固まった玄武岩でできているが、ゴジラはマントルの成分であるかんらん岩などでできていた。
 約1000万〜500万年前の海底の変動で地殻の一部が引きずられる破れ、内部が露出した場所。いわば、「地球の皮がむけた状態」(海上保安庁・小原泰彦上席研究官)。ずれた痕跡とみられる断層も確認。
 ゴジラの名前は論文にも使用された。これまでに頭、首、尾などと呼ばれる14個の丘が確認
(2014年1月11日配信 読売新聞の抄本)
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2014/1/7

富沢町−富士清流精舎  カルト・宗教・犯罪

どうせだから次々とアップします。
まあ、この3日間アップした一部とて分かる人は、月に一回見に行っていた模様の神奈川県警坂本担当の人か、住民と出家者の一部の人なんだろう。


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こちらは、山梨県南巨摩郡といったから、富沢町の川沿いの土地の「富士清流精舎」の所です。1990.11.21。まだ建物も作る前の段階です。麻原さんの写真をまあ挑戦的に貼ってある。この後プレハブの建物が作られて、一時期多くの子どもらも居住しましたね。入口を覗くと靴がやたら一杯あった。

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そして後に石川県の岡村鉄工所の経営者がオウムにはまり、それに乗じて、教団がそこにあった機械など多くを搬入して、ここで小銃千丁を作るように進めていた。まあ小銃だとは後に分かったのだが。松本サリン事件でトラックをサリン噴霧の改造をしたのもここだったかも。

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こちらは川上から見た所。右側が川でして、親らはいろいろと心配したものです。小さな子どもらが川に落ちて死なないか、大雨の時に地盤ごと流されてしまわないか、と。ああ、この写真の上の方に写っている山の頂上に一時期望遠鏡をつけて、見てもいたです。教団は、川から勝手に水を大量にとっていて、それを一時期使っていた。ですが川の水を勝手に採取するのは「河川法違反」というものでしてね、それも教団は無視していた。まあ行政も動きも鈍かったのだけれど。

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で、この向かい側にも、住民が掲示板を出してくれ、また監視活動のプレハブができた。「オウム教信者のみなさんへ。町のどこの家でも保護ます。安心して保護を求めて下さい。富沢町民」と。
「坂本一家を探す会」の、3人の写真が写っている「ご協力をお願いします」の看板も置かせてくれました(これと同じ看板は山口県宇部の宮前一明が開いていた学習塾の前にも1991.11.14の前までに置かれていました。それが彼が監視されている気持ちを忘れなかった1つの要因かもしれない)。
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2014/1/6

第2上九−建設途中など  カルト・宗教・犯罪

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ついでに第2上九所の写真も一部出します。これは、1992.9.18の写真、村人の顔もピントが呆けて分からないだろうから、そのまま出して良いでしょう。なんかアップすると横の縮尺が小さくなってしまうなあ。

第2上九は建設中であり、左奥に、第6サティアンかなあ、見えます。ヴィクトリー棟とかは、もともとサッカー合宿練習場だったからもともと存在していますした。

で、ここの道路幅は、農道1.6メートルでしてオウムがトラックなどやたら大きな自動車で通り道路をやたら広げてしまっていた。それを1.6メートルにするために両側にサイロ用?コンクリートを置いている様子です。


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こちらは、この第2上九に至っていく道に、しっかりと1.6メートルと書き、大型車は入れないとしているものでした。オウム真理教は、そんな当り前のルールさえ守らなかった団体です。

その後、オウム真理教が、第2上九の建設にてこの農道さえ無視して建設・占有したりするので、甲府地方裁判所にて裁判となり、その裁判の途中1994.5.9、私へのサリン事件となったものでした。

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女性が自動車の空気吸入口あたりにサリンをまいたのだが、こんな恰好でして、甲府地裁の駐車場にてむしろ目立ったのではないかなかな、と思うんだが。それでも、直前に予防薬、直後に解毒剤が必要だったとのこと。
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2014/1/5

二ノ宮君覚えてる?-90.12.9-上九農園予定地跡地  カルト・宗教・犯罪

どもっ。正月でもあるので、まあ富士山の写真を。

と言っても、1990.12.9早朝の富士山です。笠雲の富士山


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この日、オウム真理教農園予定地とされていたところの一部に貼られたコンクリをはがしたものです。ここは、1989年にオウム真理教が購入したけれど、農地だったから「仮登記」のままであり、土地の返還請求に結局オウムが応じたものです。その直後の、工事中の写真です。

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1990.5月の27日あたりだったかなあ、私のカメラを警戒していた出家者らが奪い、フィルムを抜き取られた事件があった。

やたら広い所に、こんな看板がやたら立ち、銅銭がやたら張られて「高圧線注意」とか書いてあったね。電気も通していないのにそう書くという実にオウムらしいことをしていた。コンクリが違法に流され廃液も流れていた。

私は、外部からそんな様子を写真に撮ったものです。まあ一人で行ってそんな調査をしたのも直後に反省したが、陰から出てきて囲んでカメラを奪取する4人の出家者も凄いものでした。で、警戒責任者の二ノ宮君(当時の横浜支部長、大師)が駆けつけてきたと記憶する。カメラは返され、しかしフィルムを抜き取られたと。

フィルム返還・慰謝料請求訴訟を起こして、フィルムはようやく戻されたが、現像されていた。だから、その他の同月行ってた日弁連の陪審調査のうちフランス、イギリスの写真もオウム真理教が取得したものでして、弱ったものでした。

強盗・窃盗罪での告訴について富士吉田警察は動かず、酷いものでした。で、民事訴訟では遅延損害金含めて12万円あまりだったか、時間がかかったが、しっかりと私は確保したと。

オウム真理教が実に盛んなころに、オウム真理教自体から慰謝料含めて賠償を取ったのは、私だけ。それも麻原さんから恨まれた理由の一つでしょう。
ああ「宗教法人の使用者責任」ということで珍しい事案であり、判例にもなっています。横浜地裁平成5年6月30日判決、判例タイムズ841号186頁、高裁で確定した記憶。


で、私がこの場所にこだわり、このコンクリートを、土地の返還を請けた後に直ちに剥がしにかかったのは、コンクリが流されたのが、1989.11だったからです。すなわち、坂本事件の直後なんです。ひょっとしたらこの下に坂本3人が埋められているかもしれないと思ってね。
教団の住民への説明では、農園の一部に馬小屋を建てるのでそのコンクリだというものだったが、つまりは農園として耕作を始めたりする様子はとんとなく、実に不自然でもあったしね。


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剥がすために、重機などで20万円位かかったかな、地元の協力で安くしてもらえたけれどかなりかかった。まだ調査部会の予算は立てられていなかったし、私が出しましたよ、後に貰えたけれど。

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結局、坂本3人はここに埋められてはいませんでした。農園予定地全体はやたら広くてとても掘れるものではないから諦めたけれど、コンクリの下を皆で一所懸命掘りました。

坂本一家が、長野、新潟、富山と分かれた見つかったのは、1995年9月。寒かっただろうな。

で、私は前日に自動車で現地に行き、車中の寝袋の中で寝ました。寒かったよぉ。その早朝、日が昇る直前に写したのが最初の富士山写真です。私は怖いが祈るような気持ちだった。

二ノ宮君、麻原さんにいつまでこだわっているのかな。フィルム事件の日は、私として何人かの信者さんとの初めての「話し合い」であり、二ノ宮君も「空」のこととか話していたと思うんだ。

二ノ宮君、農園予定地のこと、思い出しましたか。
富士山はとても大きくて綺麗だったよね。
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2014/1/3

地震  日常のこと

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寒いですね。
昨年はいろいろあり、今年もいろいろあるんだろうなあ
なんて考えつつ、ノタリノタリと過ごしております。


うーん、地震が心配
先日、茨城県北部高萩での震度5弱があったが、小さな地震を含めて調べてみれば、年末年始、茨城県北部から始まり、茨城県南部、千葉県沖と、実に多数の地震が南部に移動しつつ、続いている。

そろそろかなぁ。とも。
まあ、すべては生きていればこそ、ですね。
警戒しつつも、人生を楽しみ、また仕事も頑張ろうっと。


ああ、12月に那智大社に行ってきました。

 しばらくぶりに御神籤をひいたら「末吉」でして、やったあ、です。いえね、何年前だったか、二子玉川にある神社でおみくじを引いたら「凶」でして、あらっと思ったまた引いたらまた「凶」でして。神社の人が焦っていた。で、その翌年、とある川崎の大きな神社で引いたら三度目の「凶」でして、更に京都のとある著名な神社でひいたら「大凶」でして。もう、笑うしかなかったです。「凶」なんて人生で初めて引いたのだが、それが4回続くという凄いことだったんです。
 いま思いだしても、ひええ、と思うものですが、本当の話なんだからこれが実に。その年、宝くじが当たらないかなあ、とむしろ期待したが高額のは当らなかったなあ。
で、実に久しぶりに引いたところ「末吉」素敵な話です。


冒頭写真は、南紀白浜のパンダ。アドベンチャーランドという所で入場料はやたら高いが楽しく、上野よりはるかに良いかと。閑話休題
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