2012/7/22

破壊的カルトの教祖論、限界論、治安の観点  カルト・宗教・犯罪

下記は、2012.4.30発行の「脱カルト協会会報−18号」に寄稿したものです。
ご参考までに。


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破壊的カルトの教祖論、限界論、治安の観点 
−−−−−−−−滝 本 太 郎

1 破壊的カルトの「代表」について。
 破壊的カルトの問題は、心理的には「集団における人間関係の病理現象」なのだろう、と感じます。人を肉体的、人格的、性的そして経済的に支配することに喜びをもってしまった代表と、自分で考え自分の人生に責任をもつということの辛さから逃れる、いわば「自由からの逃走」をしてしまったメンバーとが作っていく現象だと思われます。代表とメンバーとは「殿様と家臣の共振現象(浅見定雄)」を起こし、集団の異常性を増進させていくのだろう、と考えます。

 代表は多く人格障害者であり、中には統合失調症と診断される者もあろうと思われます。内部で財産の収奪、傷害事件などまで起こしていた女性代表がついに精神科入院し、数か月後には薬が効いたからか反省を深め、どうしてああなっていったかよく分からないなどと言いだした事例もあります。魅力的な患者さんもいるのです。課題は、正式な病名としてある「二人組精神病」が拡張したような事態だったのであり、それに巻き込まれていく人が少ないながらもいる、ということです。

 また、オウム真理教の麻原彰晃こと松本死刑囚は、反社会性・妄想性・自己愛性・演技性人格障害だったと言えるでしょう。幻聴や「世界没落体験」といった状況はないので統合失調症にはなっていないのですが、自己を肥大化させ演技をしていく中、社会への恨みを果たすべく反社会性の度合いを強め、感応した弟子からの情報とが妄想を高めていってしまった、というべきでしょう。

 この意味において、時に言われる「今ある宗教も宗派も、勃興時には熱烈に勧誘し、社会と軋轢を起こしているから、破壊的カルトだった」という論法は、決して正しくないことが示されます。たしかにすべての教祖は一般から比較すれば異様であったのでしょうし、中には人格障害なり統合失調症の人もいたでしょう。

 しかし、それぞれの時代背景と地域事情の中で、他者の一人ひとりを愛する方々であってのみそれなりに普遍性をもったのであり、時の権力と戦うことがあったとしても実質的に他者を害することをしてきたとは思えないのです。現在のような民主主義国家であれば選挙などを通じて「世直し」をしようとしたかもしれない方々が、教祖となっていったのではないか、と考えます。

 もちろん、宗教団体として成功した後に腐敗し、あるいは時代背景の中で権力と結びついて他者の人権を侵害したことも多々あるのですが、しかし教祖の問題でも勃興期の問題でもありません。

2 破壊的カルトの時間的・規模での限界
 この点は、上記以上に議論が熟していません。筆者独自の考えです。

 限界に関係する第1の要素は、代表の特質です。代表が当初から統合失調症であったような場合は、数十人以下の段階で限界がくると思われます。いったん崩壊して、また再興することがあっても、なにせ当初からトラブルが多くかつ代表も周囲も、悪い意味で合理的に対処できるはずもないからです。先に記載の、病であった女性代表が創った団体は2−30人止まりでした。

 反対に、代表の「隠された目的」が単に「経済的な利益を得たい」「名誉を得たい」というような場合は、合理的な計算ができる者を幹部に引き立てていきましょうし、巨大化していけば無理に金銭を収奪することも減り、金銭も名誉も得ることができていきます。代表が高齢化したり子どもへの平和的な権力移行を志向するなどするときは、より慎重になります。また、巨大化してきた団体の幹部メンバーらはその組織自体から得られる利益、経済的な基盤が大切となり、近づけば矛盾が多い代表を信じられなくなってきても、組織維持のために動いていく傾向が出てきます。そのような場合、破壊的カルトの度合いを次第に低めていく蓋然性があります。

 もとより、巨大化してきた団体であっても、「裸の王様」の教祖が演技性人格障害などの度合いを重くしていったり、独裁者の通例としての妄想傾向を嵩じていけば、大規模な分裂またはカタストロフと前後しての内外への事件が招来されましょう。

 第2の要素は、社会や行政、警察、マスメディアです。日本では「小集団の中の死亡事件」とくに「祈祷師・占い師が代表集団の傷害致死事件」といったものが毎年何件かは起こっていると思われます。すべてが報道されているものではなく、一般の刑事事件と思ったらその人間関係の有様が、カルト的だったということもあるからです。
 これら団体の関係者は、それ以前から子どもの虐待や金銭収奪などの関係で警察や行政機関に相談していることが多いです。それら機関が早期にまともな対応をとって来たか、マスメディアはそれら地域社会に警告を鳴らし続けてきたかが、問われるのです。

 第3の要素は、本山・本部や他の宗教団体の対応です。従前の教会や寺も指導者によってはカルト化することがあり、この場合本山などが毅然と対応することにより、当該団体の宗教的、時には財産的な基盤を崩すことができます。統一協会については日本基督教団やカトリック中央協議会がしっかりと批判したことにより、ようやく「説得」という脱会カウンセリングが広まってきました。日蓮正宗からは「顕正会」、浄土真宗からは「浄土真宗親鸞会」といった「議論ある団体」が出てきています。これらの場合、本山側がしっかりと宗教上の論争でも対応しそれを普及させてきたかどうか、もともと宗派が「風景」となっておらずエネルギーを維持してきたかどうか、が問われます。

 第4の要素は、家族や弁護士ら、そして裁判所の対応です。金銭の収奪などにつき家族らから相談を受けた弁護士がまともに対応したか、被害対策弁護団を組織したか、家族らは「被害者家族の会」といったものを作って諸々の活動を始めたかなども、大いに関係します。

 そして、裁判所がカルト問題を正しく認識して正しい判決をしてきたか、が問われます。違法性の判断は、多くは民事レベルから始まります。民事裁判において、裁判所がしっかり対応していない場合は、その集団を増長していくこととなるからです。
 「議論ある団体」は疑似医療を施したり、メンバーの子についてさえ輸血拒否などの現代医療の一部なりを拒否させることも多いものです。それによる損害賠償請求訴訟などにつき、民事裁判所が問題を直視して対応していかなければ、集団は増長していくばかりとなります。

3 最後に、筆者が関心を持っている「議論ある団体」のうち治安の観点から幾つかを述べます。

 「オウム真理教」の各派や、統一協会とその分派はもちろん注目されます。「アレフ」では麻原教祖の長男・次男が成人に近づいてきたことから、「正大師」である三女らの勧めでアレフ集団に公式に関与していくがどうかが、注目されます。子どもらは、母や姉お付きの信者らの影響下で成長し、時に精神的にも不安定です。松本死刑囚は無実だと思わされて育てられてきたのであり、信者を支配する喜び、そして外部に向けた行動が心配されます。反転して、自らの人生の桎梏となっているのは信者らであるから、内部での事件が発生する要因となるのではないか、も心配されます。「ひかりの輪」にあっては、資金難の影響がどう出るか、です。

 統一協会は、その教えの中に日本が韓国の僕(しもべ)になるべきとの設定もあるからこそ日本での金銭収奪が激しいものであり、日本の政治権力にどこまで浸透しているか、他の政治家はその危険性を熟知しているのか、地方政治ではどうか、が問われます。

 「ZX帝國=第四帝國=ザイン=古代帝国富士王朝」は、富士山麓での武装訓練など以前から注目され、後にグッズ販売と女性の卑猥な踊りによる集客といった道に入りました。が、その国家転覆に向けた思想は強烈であり、代表者の高齢化とあいまって何のはずみで行動を起こすか監視を怠れないと考えています。マッチとマッチ箱とガソリンがあればテロはおこせるものです。

 「顕正会」は、日蓮原理主義の色彩がある団体です。主に東日本で高校生から社会人まで対象に強烈な勧誘をし、警察から何度も逮捕・捜索など受けています。神奈川県相手に不当捜査だとして国家賠償請求訴訟を起こして敗訴もしましたが、なんら反省がないままです。日蓮の登場は鎌倉時代だったという時代背景を抜きにしてしまった国家論を貫く団体の行方は、迫害されているという感覚を共有している団体であることからも、無視することができません。

 「幸福の科学」は相当に大きくなり、先の衆議院議員選挙に混乱しつつも出馬しましたが希望は果たせず、教祖の「霊言」も異様さを増してきたと思われます。権力志向と妄想が相当に認められことからして、崩壊過程に至れば内部そして外部への事件がありえるのではないか、と心配します。

4 破壊的カルトが無くなることはおそらくありえないと思います。
 日本脱カルト協会や全国霊感商法対策弁連では、広く社会や大学などでのカルト予防策を推進しており、警察にあってもカルト問題についてそれなりに理解を頂けるようになってきました。しかし、人を支配することに喜びを持つ者は確実に出現するし、独裁者を待望するというか「自由からの逃走」は魅力あるものです。

 一方で、北朝鮮には破壊的カルトは存在しません。それは「国家自体が破壊的カルト」の状態すなわち「ファシズム」に支配され、他を支配したい者はすべて国家体制の中に組み入れられているからです。すなわち、破壊的カルトとの戦いは、予防策を推進しつつも、国家自体がそうならないように留意しつつなす「自由」を目指す闘いなのだろう、と考えます。

 「怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいている」(ニーチェ)ものだからです。       以 上

[編集注] 本稿は、著者が月刊誌「インテリジェンス・レポート」の2012年3月第42号(インテリジェンス・クリエイト)に寄稿した文章「破壊的カルトの現状と対策―カルトの諸相から見えるもの―」に関して、理事会の要請に基づき、同社の了解をふまえ、標題に関係する部分を加工する形で、転載することになったものです。
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