2012/6/27

「無視された事件の宗教的核心」  カルト・宗教・犯罪

「無視された事件の宗教的核心」

こんにちは。
下記は、2012.6.14の新聞「仏教タイムズ」の1面に掲載された藤田庄市氏の文章です。大変参考になり、かつ貴重だと思います。
そこで、藤田さんらの了解を得て、ここに転載いたします。同様に一部の名前をイニシャルに変更しました。
 草々−滝本太郎

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2012/06/14  仏教タイムス
緊急寄稿:
『噴きだしたオウム事件の余炎 無視された事件の宗教的核心』

              
                      藤 田 庄 市 

 昨年12月から間歇泉のようにオウム真理教事件の余炎が幾度か高く燃え上がった。最高裁による中川智正、遠藤誠一への死刑判決で一連の裁判も終結かと思いきや、大晦日に平田信の出頭と逮捕、続けて内縁関係にあったSが平田を匿ったとして自首し、3月には彼女に懲役1年2カ月の判決が下りた。5月にはいると予告宣伝も派手に、NHKスペシャル「未解決事件ファイル02オウム真理教」が土日の2夜連続計4時間弱の大枠で放映された。それから一週間後の6月3日、女性Kの逮捕である。その逮捕により高橋克也の姿も可視化され、逮捕が近いかもしれない。

 中川智正判決から女性K逮捕に至る各種報道に接して感じるのは、オウム真理教事件が根本において宗教動機によって起こされた事件であるにもかかわらず、マスメディアが依然として司法による世俗的理解の枠組みにほぼ自己同化させ、宗教と事件の有機的結合の独自解明を怠っていることである。

 しかしNHKスペシャルは、マスメディアでは事件から17年目にしておそらく初めて、麻原彰晃と信者の内在的論理を明らかにしようとする姿勢を示した番組だった。(むろん筆者にも批判は多々あるが、拙稿では触れない。トータルに批判・評価したものでは滝本太郎弁護士のブログの閲覧をお薦めする)

 だが番組は結論から言えば核心である麻原とヴァジラヤーナ部隊信者の信仰・修行の内実と、それによる救済殺人への「情熱」を白日の下に曝すことはできなかった。麻原や教団の本当の恐ろしさを描き切れなかったのである。例を示そう。

 最初の救済殺人(早川紀代秀死刑囚は慈悲殺人と表現)となったT信者リンチ殺害事件の時、麻原は次のように語ったという。Tが脱会して、事故死した信者の遺体損壊をしゃべれば、教団の救済事業の障害となる。また麻原=グルを攻撃している。ために「(Tは)非常な悪業を犯すことになる」。この宗教言説が救済殺人の「情熱」、主因となった。何故か。

 まず麻原は信者のみならず人々のカルマを見切り、そのカルマを背負い、彼らを高い世界へ転生させる能力があるという信仰がある。それは修行による神秘体験によって信者にはこの世の現実よりもリアルな宗教的現実であった。Tが悪業を積めば地獄に堕ちる。地獄もまた信者にはリアルな世界だった。「法友」をむざむざと地獄に堕としてはならない。今がTの死ぬ時であり、麻原にポア=高い世界へ転生させてもらう適期なのだ。

 その宗教的確信がために犯人たちは麻原に命じられて、数時間のうちに殺害から護摩法による遺体焼却へと進んだのだった。すべてはオウムの宗教世界で完結していた。番組はこの救済殺人の中核思想を描き切れてはいなかったのではないか。この事件について判決ではTの口封じが犯行動機とされている。その側面があることはその通りであるが、じつは表面的なものだった。

 番組では犯行後の新実死刑囚のひどい動揺ぶりが描かれていた。何故、新実が? じつはロープでTの首を絞めるのに失敗し、新実がとっさにTの首をひねり、骨を折って殺したのである。その事実は省略されていた。彼の動揺ぶりを解消すべく麻原は新実をはじめ実行者全員に自作の「ヴァジラヤーナの詞章」を何万回も唱えさせた。その結果、彼らは強烈な使命感を植えつけられることになった。坂本弁護士一家殺人事件の時、新実は「ためらいは(部屋に)入る前に捨てた」と法廷で言い放った。彼はそこまで「進化」していた。

 その坂本事件を番組はまったくといっていいほど描かなかった。しかし同事件は教団外の人間を初めて殺した救済殺人の社会的展開への第一歩だった。岡崎一明死刑囚(現姓宮前)は麻原に坂本弁護士のポアを指示された時、彼の宗教的感性はこう反応した。「悪業を積ませない、と考え、そこまでして救済しなければいけないのか、と感動ではないが」と、つまりは大きく心を動かされたのだった。

 坂本事件の麻原らの意味づけは総選挙惨敗後にこう進展する。末世の現代人は生きているだけで悪業を重ね、地獄など三悪趣に堕ちてしまう。それゆえ殺して麻原と縁をつけ転生させて救済する。すなわち坂本事件は、地下鉄サリン事件にまで至る無差別大量殺人という宗教的実践の始まりとなったのである。番組が事件後の捜査の失態を含めて坂本事件を避けたのは残念だった。

 結論を急ごう。オウム真理教事件の宗教的核心を日本社会は無視した。NHK番組の不徹底さもそこに遠因がある。それは宗教界もほぼ同様だったといえよう。どうするか。宗教者の主体的日常的な信心決定の問い返しをする必要があるだろう。具体的社会的事象と己が対決することなく、社会との徹底的な断絶も含めて、信心決定の深化はあり得ない。それがなされなければ宗教への不信感嫌悪感そして危険視はなくならない。間歇泉的オウム真理教事件の残火の炎と社会の反応を見て、そう思う。

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