2012/1/3

平田信被疑者の言−2  カルト・宗教・犯罪

以下は、
本日午後4時ころから3時間半ほど、他の一弁護士ともども接見し
その後、記者あてに出した、本人の声です。

假谷さんご遺族への深い謝罪は、逮捕当初から、もとより昨日の接見でも繰り返し言っていたものです。昨日の弁護士経由の本人の声は、謝罪は報道でも警察情報として流れていたために、報道で誤解されていると思われることについて、はっきり説明したものです。

假谷さんご遺族へは自筆で謝罪を書きたいのですが、文章を書ける心や時間の余裕、そして設備がなく、まだできていないままでした。ですが、早く伝えたく下記のとおり聞き書きを出しました。併せて、教団の事件すべてについての謝罪、逃げていたことでの社会への謝罪についての本人の声です。
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私が假谷さんの事件に関与したこと、
16年間も出頭しなかったことについて、
お詫びの申し上げようもありません。
假谷さんとご遺族の方々には、本当に申し訳ありません。

私が関与していない教団の事件についても、
被害者の方々とご遺族に、
教団の一員であった者として、心からお詫び申し上げます。
私が(教祖の指示で当時)どの事件で加害者になっていても、おかしくはありませんでした。

また、私が16年間逃げていたことで、多くの方に不安を与えました。申し訳ありません。
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それから、本人の丸の内署への出頭までの経緯は、下記です。
このことは、おおよそ昨日の接見でも聞いていたものです。弁護人であれば広く指摘しておきたいところですが、「悪いのは逃げていた自分だから、外に言わないで」ということでしたから記者らに言わず、また各社から後に聞かれてもノーコメントとしていたものです。

しかし、警視庁本庁舎入口でのことは、警視庁から情報が先に出たようでした。そしてその他不正確な報道が流れ始めていました。そこで、2011年12月31日夜のことを改めて本日、細部を確認して、本人の了解のもと、その記憶を記者に説明しました。

3日夜現在までの報道をみると、下記のとおり説明したのに、再び一部間違ったもの曖昧な記述もあり弱ります。正しい本人の話は下のとおりですから、ご留意ください。
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12月31日午後9時前頃 
大崎駅から徒歩で1人で、大崎警察署に。
−警察前に警察官が見当たらず、入口がよくわからず、掲示板に3人のポスター見つからなかったので、ここではないのかな、と思った。(滝本−なお、大崎署はエレベーターに2階に上がってはいる形の警察署です。なお、3日現在は間違いなくチラシが貼ってありました)。

それで、公衆電話を探した。
−大崎駅に戻る途中に公衆電話があり、そこから0120で始まるオウム真理教事件のフリーダイヤルに電話をした。5回以上は確実10回くらい(単に10回くらいを、2012.1.4訂正)かけたが、話し中で繋がらなかった(滝本−この原因は、実に不明)。

そこで、110番をかけた。
「平田信です」とは言っていない。「平田信はどこの手配ですか」と聞いた。警視庁です、ということだった。その程度で話は終わり、警視庁本庁舎に行くことにした。

大崎駅から恵比寿駅に行き、周辺を少し歩いて、今度は地下鉄に乗って(滝本−日比谷線と言うことになろうか)霞ヶ関駅に行き、警視庁に行った。入り口にいる人に、特別手配されている平田信です、出頭してきましたなど言ったが、分かって貰えないようで、丸の内署の方向を示された。

歩いて丸の内署にいくと、女性警察官に「本当か」などといわれたが、「本物です、背は高いです」などと説明して、相手をしてもらえた。
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以上のとおり、記者らに報告した点を記述しました。
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2012/1/3

森達也氏の言説とメディア  メディア・ネット

森達也氏って、なんなんだ。
http://moriweb.web.fc2.com/mori_t/index.html
の2012.1.1付「巻頭コラム No.145」

批判するのは自由だが、
「江川詔子」ではなく「江川紹子」です。

で、その文脈の中に
「裁判がまともに行われないのだから、麻原がなぜサリンを撒けと命じたのか、その動機や理由がわからない。だからこそ不安や恐怖が刺激される。」
とある。

なんなんだか。森氏は
http://sky.ap.teacup.com/applet/takitaro/20110903/archive
を初め、ここの2011.9.20、9.13、9.9、9.3その他に何度も書いてあるが、彼は
「弟子の暴走」論を展開してきて、なんと、オウムヨイショ学者の中沢新一らが選者となっていた講談社ノンフィクション賞を授賞した「A3」の中で、こう書いている。

「連載初期の頃、一審弁護団が唱えた「弟子の暴走」論について、僕は(直観的な)同意を表明した。二年半にわたる連載を終える今、僕のこの直観は、ほぼ確信に変わっている。ただし弟子たちの暴走を促したのは麻原だ。勝手に暴走したわけではない、そして麻原が弟子たちの暴走を促した背景には、弟子たちによって際限なく注入され続けた情報によって駆動した危機意識があった」

と。現役信者さんが喜ぶ言説そのものであり、勧誘にも使えます。
弁護団主張の「弟子の暴走」論は、すなわち教祖の無罪を主張しているんだから。(被告人の弁護人としては、本人が無罪になりたいとしている以上、仕事として認められるものですけれど)

ところが、この2012.1.1ブログでは、「麻原がなぜサリンを撒けと命じたか」と、その認定を前提として動機云々と記述している。「弟子の暴走」論とは明らかに矛盾する。「サリンを撒けと命じた」のならば「弟子の暴走」とは言えないのですよ。森さんって、いったい何なんでしょうか。

そしてまた、こんな人のさまざまな言説を時に
・載せる新聞社とか、
・使うテレビ局とか
・週刊誌・月刊誌とか
・もちろん、講談社とか
は、なんなんだろうか。

本人ともども恥を知るべきだ、と思う。
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