2011/9/8

映画「A」の最大の問題は  カルト・宗教・犯罪

どうせだから、改めて大切な所を書くと

映画「A」の最大の問題は
「逮捕されずに残っている人は普通の人」
と社会に思われるだけで、
「サリンをまいたのも、坂本を殺したのも、悔しいけれど、普通の人なんだ」
ということが抜け落ちていること
「いい人が良いことをするつもりで極悪非道のことをしたんだ」
が抜け落ちていること、  だと考えます。


事件紹介の少しは前提として、この点が抜け落ちているから底が浅かった。
そして、社会の多く、特に後に次々と出てくる若者には誤解を招き勧誘材料とされていくだろうな、と感じた次第。もちろん「A」君らに社会に戻りにくくさせることもある。

実際、これを入り口に入信していき、しかしそんな組織の矛盾から脱会し、後に苦悩にあえぐ人も生み出しているんだから。

逆に、子が信者の親御さんらには、子どもの気持ちを知るためにこそ、「A」も「A2」も見て下さい、とDVDともども推薦してきたものなんです。

昨年の森達也氏へのインタビュー後の最後の感想とかを見ると、実にその危険性があきらかだな、と思いました。
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20100416/221875/?P=10

もちろん、その他麻原の絶対性なども浮き彫りにされていないなど問題があるが、最大の問題は冒頭のこと。

抗議書の理由11に記載してある佐川一政氏の指摘がそのとおりならば(信者としてまったく不自然ではなく録れていても不思議はない)、それも、是非改めて足して「改訂A」として出してほしいな、と思う。それこそ、オウム真理教−今もアレフなどとして残っている−の本質なんだから。それこそ、顔は隠してほしいが。
−「A」の最後に、むしろ最初に、こう言っていた、という形にしたら、オウム真理教の問題が、実に如実によくわかるのだから、なんです。
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2011/9/8

率直なところ  歴史・定義・知識人の責任

率直なところ

森達也氏の「創」2011.9.10号を読みました。「極私的メディア論」という所です。そのシリーズは、立ち読みをしたことはありましたが、じっくりと初めて読みました。
うーん、A3は「渾身の作品」だったとのこと。

率直に書きます。私は、月刊プレイボーイでの連載は時にブログでは批判を書いてきたが、途中で失礼ですが、ばからしくなり、すべては読んでいなかった。「A3」は購入して読んではいました。

「これが渾身の作品だ」ということ、とても驚きました。
到底、そうは感じられなかったです。

粗雑かつ切り貼りに過ぎ、もちろん地裁確定判決にも様々な記録にも何ら挨拶せず、自分の感覚を、つまりは検証しないままに作られた作品でした。(折角、日本仏教のアジア・太平洋戦争における役割とか、いい指摘もあるのに、これでは台無しだな、と。)

だから、社会への反響もないだろう、と感じ、実際そのとおりでした。あえて無視されたのではないんです。


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また、森さんのノンフィクションに対する姿勢は、下記に示されていると思いました。
http://dailycult.blogspot.com/2010/04/blog-post_19.html
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20100415/221588/?P=1
−日経BPネットで、オウム真理教を撮ったドキュメンタリー映画『A』『A2』の森達也監督への長大なインタビュー記事が掲載されました。森監督が「オウム真理教」というテーマに対して、いかに情熱を持っていないかが存分に語られています。−と。

まあ「森信者」みたいな感じの人は、上記も、今回の「アマゾンで500位が上がった」発言とかも単なる露悪趣味を示しただけ、と説明するのかもしれない。ですが、露悪趣味はしばしば本音を示すものでもありましてね。

私は、森氏がこんな姿勢で取り組み始めているから、日々の新聞報道で知ることができた裁判証言の内容や判決文さえ検討も記述さえもしないでやっていけるんだ、ドキュメンタリーは嘘をつく、と居直ることができるんだろうなぁ、と感じました。
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・だから、相手にすればするほど喜ばれるだけだなあ、と。
・残念ですが、私には森さんと異なって見解や経験を示すメディアの場もありませんしね。
・「A3」は、問題にかかわる方の間で、まったく話題にもなっていなかったです。


(私として心配したのは、オウム集団の勧誘材料となることでした。が、逆に、個別の説得の際に、オウム集団の矛盾や色々な人の確定判決にある事件の酷さ、哀しさ、そして松本死刑囚の指示や背景などを伝えるための、信者に受け入れやすい最初のとっかかりとして、材料にもなるなぁ、とも思ったものでした。)

 それが今回、「講談社ノンフィクション賞授賞」という話を聞いて、心底、驚いたものです。改めてじっくり検討しましたが、信じがたい思いでした。16年を経過している今日、「受賞したノンフィクション」ともなれば、勧誘材料として極めて有効になりました。
 だから、授賞をする講談社に対して、抗議することとしたものです。

(判決文とかは著作権もないのだから、本になっていればいいのですが、まだないですね。)
(それから、候補作の発表とかあったのかしら。気がついていればその段階で対応したのだけれど、知らないままでした。)

そして
・中沢新一氏が選考委員の一人ということは、開いた口がふさがらない、と。
・松本死刑囚の水俣病による視力障害説も、この際、しっかり批判しておきたいと。
・もちろん、下記の別紙1〜3さえ、「思考の省略」というか知らないままの人も多く、この際、社会の記憶として残しておきたいし。
http://www.jscpr.org/other/201109kogisho_sub.pdf

それらが私の、積極的に2つの抗議書にかかわった動機です。

また、3人の抗議書の最後の下記の指摘は、この際、私としては、ご自身にこそ考えてみて欲しかったです。
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森氏は「麻原彰晃という圧倒的な質量だ。」(88ページ、37ページ)と表現もする。オウム真理教教祖である松本死刑囚に幻惑されてしまったのであろうか。それを心配する。
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2つの抗議書は、別紙1〜3ともども講談社あてではあります。が、折角の機会ですから、ご自身としても、どうぞしっかり読んでみて下さいませ。お願いします。
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2011/9/8

ああ言えば上祐、こう書けば森達也さん  歴史・定義・知識人の責任

ああ言えば上祐、こう書けば森達也さん
−言説変更、『殿様と家臣の共振現象』


森達也氏のインタビュー記事が出ているのですね。
朝日新聞2011年9月6日夕刊の記事「教祖と弟子の相互作用」−塩倉裕氏の記事です。以下はその一部
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森は、「麻原彰晃の意図とは別に」「勝手に」側近が動いたとする「暴走」説を退ける一方で、「自分たちはすべて管理されている」と弟子たちが思いこんだ時間こそ「主語を失った過剰な忖度」が駆動したのではないか、と話した。
(抗議に対しては)森は「本の内容を踏まえた批判とは思えない。無罪主張をした覚えはない。」と語る。

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あのー

1−森氏は、A3で、松本死刑囚について「有罪だ」とか「無罪を主張しているのではない」などとは、一切書いていない。

2−この記事で言う「過剰な忖度」は、一審弁護団でも主張してきた無罪主張の論理だったでしょうが。
−「A3」487ページで、「言いかえれば幹部信者たちが、「これは尊師の指示である」として、信者たちに指示や通達を伝えることがとても多くなった。こうした過剰な忖度は暴走する」と記述してあります。一審弁護団の無罪主張とどう違いましょうかしら。

−そして「教祖の意図」どころか「指示」がなければ有罪にはできないものです。「暴走を促した」どまりでは無罪です。そして「意図」「促した」どころか「指示」が、抗議書別紙のとおり具体的に認定されている事案なんだよ、と言う指摘です。

3−森氏は、繰り返しになるが、
−A3初めあたり94ページで、
「弁護側は、起訴された13の事件すべての背景に『弟子の暴走』が働いているとして、被告の全面無罪を主張した。」としている上で

−終盤の485ページで、
「この周辺と麻原との相互作用。そこに本質があった。連載初期の頃、一審弁護団が唱えた『弟子の暴走』論について、僕は(直観的な)同意を表明した。二年半にわたる連載を終える今、僕のこの直観は、ほぼ確信に変わっている。ただし弟子たちの暴走を促したのは麻原だ。勝手に暴走したわけではない、そして麻原が弟子たちの暴走を促した背景には、弟子たちによって際限なく注入され続けた情報によって駆動した危機意識があった。」と書いている。

 相互作用の指摘にとどまらず、一審弁護団の全面無罪主張である「弟子の暴走」論についての「直感的な同意」を「ほぼ確信に変わった」と書いているんです。

これ、どのような文学的な修辞を施そうと、理屈をこねようと、自分の「弟子の暴走」論が、無罪主張に帰結することを認めているというほかはないですよ。

今回、朝日新聞では「相互作用を言っただけ」というような説明に、変えているんですね。なんとご都合主義な。

「ああ言えば上祐、こう書けば森達也さん」とでも言う外ないと


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 ちなみに「相互作用」は、傍聴を重ねてきた方ならしばしば感じ、あちこちに出ていることではないかしら。

1−カルト問題に長年携わり、証人にも出てきた浅見定雄東北学院大学名誉教授が、もともと「殿様と家臣の共振現象」と、より正確に表現してきたのと類似し、

2−破壊的カルトでは、代表の回りがイエスマンばかりとなり、教祖の歓心をかうために教祖あてにも刺激し合うこととなり、目新しいことではなく、

3−オウム裁判を傍聴してきた多くの方々も感じ、例えば朝日新聞の降幡賢一氏が「蚊柱」として表現してきたことでもあり(私は蚊柱の喩だと中心がないから問題ですと指摘させていただいた)、青沼さんの「オウム裁判傍笑記」にもよく出ていて、弟子間の「帰依」競争さえも見られたものでした。

4−「殿様と家臣の共振現象」は、私の下記ブログにさえ記載しています。読んでおられたかな。
2009.8.17 http://sky.ap.teacup.com/takitaro/871.html
2010.2.15 http://sky.ap.teacup.com/takitaro/941.html

 それを新発見のように、よくもまあ言うものだ、と感じます。

 そして、「A3」では、そんな相互作用にとどまらず「弟子の暴走」論を言ってるのに、説明を変えてきた。なんとも。そして、抗議書の別紙を読めば、「弟子の暴走」論なぞ的外れであることは明白です。具体的に3つあげれば、下記のとおり。

1−松本死刑囚は、例えば、1995年3月の地下鉄サリン事件では、いわゆるリムジン謀議を別としてでも
・18日午後11時ころ遠藤誠一被告に「ジーヴァカ,サリン造れよ。」などと言い、
・19日午後1時過ぎころ、井上死刑囚に対し「アーナンダどうだ。」「じゃ、おまえたちに任せる。」と言い
・午後10時30分頃、遠藤被告が「できたみたいです。ただしまだ純粋な形ではなく混合物です。」と報告したのに対して「ジーヴァカ、いいよそれで。それ以上やらなくていいから。」と言い
・3月20日未明、遠藤被告がサリン入りビニール袋11個について「修法」という儀式を求めたのに対して、段ボールの下に手を触れて瞑想をし、修法を終えた
のです。

2−松本死刑囚は、例えば、1989年2月上旬ころの田口殺人事件では、実行犯に対して、
・「まずいとは思わないか。田口は真島のことを知っているからな。このまま,わしを殺すことになったらとしたら,大変なことになる。もう一度,おまえたちが見にいって,わしを殺すという意思が変わらなかったり,オウムから逃げようという考えが変わらないならばポアするしかないな。」
・「ロープで一気に絞めろ。その後は護摩壇で燃やせ。」など
と言ったのです。

3−松本死刑囚は、例えば、同年11月4日未明の坂本弁護士一家殺人事件では、実行犯に対して、
・「今、ポアをしなければいけない問題となる人物はだれと思う」と述べ坂本弁護士を名指しし
3日午後11時ころ、電話をしてきた早川死刑囚に対して
・「じゃ,入ればいいじゃないか。家族も一緒にやるしかないだろう。」
・「人数的にもそんなに多くはいないだろうし,大きな大人はそんなにいないだろうから,おまえたちの今の人数でいけるだろう。今でなくても,遅い方がいいだろう。」
と言ったのです。


 そんなことを一切記述も分析もせず、どうして「A3」で「弟子の暴走」なぞと記述できる感覚が分からないです。まして、どうしてノンフィクション賞が授与されるのか、不思議。オウム集団側としては、講談社ノンフィクション賞を授賞した「A3」ということで、実に格好の勧誘材料となったなあ、と思います。「映画『A』推進委員会」と同様に、今度は秘密裡に「書籍A3推進委員会」でも作ったかなあ。
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2011/9/8

メディア人の傲慢  メディア・ネット

(誤字訂正済み)

下記は、前のエントリーで記した「創」の篠田さんからの再ファックスを、篠田さんが昨夜アップしたものです。
http://www.tsukuru.co.jp/tsukuru_blog/2011/09/post-152.html

で、手続的なことだけれど、不可思議なことが分かってくるので、ここにレスしておきます。私の返信ファックスを単純にアップしたままではいけないでしょうし。
篠田さん、分かりやすくするために、小さい字でそのまま転載して、コメントを付けてここにアップしつつ、ファックスしますので、どうぞご容赦を。

***************
滝本太郎様
 昨日9月6日に、ファックスを受け取りました。昨日の午後は忙しかったので、日を改めて、受け取ったことと、事実関係について誤解されているようなのでその説明をこちらから返信しようと思っていたのですが、その前に昨夜、滝本さんがご自身の文書をブログにアップされ、それを受けてツイッターなどで発言している人もいることを知りました。
 まず当方からの申し出をそのまま森さんの意向と受け取られたようですが、それは誤解です。5日に滝本さんに電話をさしあげたところ、ご不在だったか面談中とのことでしたので、文書を送ったのですが、その時点ではこの申し出について森さんと相談はしていませんでした。


−そうでしたか、森さんが公開討論を望むとコメントしているので、森さんからの申出を伝えてきたのだと理解したのです。

 森さんは、そもそも『週刊文春』に滝本さんたちのコメントが掲載された段階で、論争をしたいという意向を表明していたし(発売中の『創』9・10月号の連載コラムでもそう言明しています)、

−週刊文春には論争したいとか書いてありましたね。そしてそれは、訴訟能力について議論したいということでした。それは抗議内容とはまったく関係のない論点です。まともな対応ではなく、スリカエまたはアリバイ証明だと。

−何より、単に週刊誌にそうコメントしたからとて、申出があったことにはならないでしょう。森氏本人あるいは出版社から討論なりの打診もなかったです。それから「創」は、申し訳ないですが、この所購読していないです。貴社からも、その記事以前に「討論いかがですか」と問い合わせもなく、その「創」さえも、打診と共に送られてくることもなかったんですから。

−これらが、意図的ならば実に酷いものですが、それで済むと考えているならば、森さんも「メディア人の傲慢」に陥っているんだな、と感じます。

3日付の朝日新聞でも「論じ合いたい」とコメントしています。言論に携わる者にとっては、こういう論争をきちんと行うことは歓迎すべきことで、かつ、今そういう場の設定をできる媒体はなかなかないので、『創』で行ってはどうかと考えたのです。

−なるほど。朝日新聞で「論じ合いたい」とする一方、森さんは先に書いたとおり、「このレベルでは反論する気にもなれない(補足するがすべて反論できる。ただ反論するレベルが哀しいだけ)」「基本的には黙殺する。本音としてはこの火に油を注ぎたいけれど。」なぞと、自分のサイトに出しておられる。酷いもんだ、と感じます。

 森さんの意向は既に公式に表明されていたので、今回まず滝本さんの意向を打診してから具体的なステップに進もうと考えました。これは『創』が滝本さんと面識があり、弊社刊『ドキュメントオウム真理教』でも協力いただいているなど、初対面ではないがゆえに考えた手順です。5日に滝本さんにファックスを送った直後に、森さんにはメールで、滝本さんにそういう申し出を行ったことを伝えました。

−そうでしたか。

 森さんがブログに「基本的には黙殺する」との書き込みを行ったのは4日のようですが、その時点で私はそれを見ていません。ただ見ていたとしても、言論戦をきちんと設定するのは編集者の仕事であり、森さんにも改めて論争の提案をしたと思います。森さんとは5日夜、講談社ノンフィクション賞授賞式で会えることは知っていたので、その時に詳しく相談しようと考えていたわけです。

−「言論戦」云々については、既に返信したとおりです。森氏としては、抗議書の内容につき、当方と言うよりも講談社と選考委員あてに、釈明としてのためになすべきことでしょうね。森さんがドキュメンタリー、ノンフィクションを作るものでありたいとするなら、作って来たというならば、どうぞご指導して下れれば、と思います。

滝本さんとしては、討論を提案しながら「黙殺する」と表明するとは何事か、「アリバイ証明のためにかかる申し込みをしてきた」と考えられたのでしょうが、別にそういうことではないのです。当たり前のことですが、森さんと『創』編集部は一体ではありません。

−一体とは申していないですけれど不可思議だと感じました。そうであれば尚更に、講談社と選考委員への釈明のためにこそ、そのようにすべきだ、と森さんに助言してあげて下さいませ。

 何かこういう細かい経過のところでやりとりするのはあまり生産的ではないとは思いますが、誤解に基づく話がひとり歩きするとややこしくなるだけなので、以上の通り事実経過を説明しておきます。既に誤解されている方もいるようなので、この文書は、『創』ブログでも公開することにします。滝本さんのブログでも見られるようにリンクを張るか、この文書を転載いただけると助かります。

−そうですね、そう生産的ではない。リンクとともに、このエントリーにて改めて紹介しました。

 私としては、この問題は、オウム事件や麻原元教祖に対するスタンスだけでなく、ノンフィクションのあり方にも関わる事柄でもあるだけに、生産的な議論ができればという思いを今でも持っています。

−ノンフィクション論でいえば、仮にするならば、私よりも、共に抗議書を作成・提出した、青沼さん、藤田さんがより適切だと思いますが。お2人が了解されるかどうかはまた別のことですけれど。選考委員も入ればより良いですが。

−それから、篠田さんブログでは、「抗議を行ったのは日本脱カルト協会。抗議文の全文がホームページで公開されている」http://www.jscpr.org/activity.htm#20110903
とあるのですが、3人の抗議文の方がより詳細で、他のことも記載してあります。「ノンフィクション」論の観点からもより具体的な批判がされていますから、どうぞこちらも紹介して下さいませ。別紙も極めて大切です。

3人の抗議文は下記
http://sky.ap.teacup.com/applet/takitaro/20110903/archive
または
http://saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/2011/09/a3_5a8b.html
別紙のPDFは
http://www.jscpr.org/other/201109kogisho_sub.pdf

−また上記転載の前の記載中で「日本脱カルト協会の抗議に参加した青沼さん」とありますが同会会員でもありません。これらにつき、ブログを訂正・補充して下されれば、と希望します。

2011年9月7日       月刊『創』編集長・篠田博之

−手続きの関係ではこの程度でいいのではないか、と思います。ご説明、ありがとうございました。
********
1

2011/9/8

「ミスリードするな。賞やるな」なんだけど  カルト・宗教・犯罪

「A3」授賞式関係−備忘録までに

うーん、抗議文について、新聞報道がいくつかされたようだが、「無罪主張は有害」とかいう標題が多く正確でない。
藤倉氏がネット新聞「やや日刊カルト新聞」の下記コメントでいう表現−「持論を書くなら書くで、読者をミスリードするようなやり方すんな。講談社はそんなもんに賞をやるな」という話−です。
http://www.blogger.com/comment.g?blogID=8397707658989947714&postID=3598780346780102806

で、抗議先は「講談社代表取締役社長野間省伸」であり、関心があるのは、社長さんがどう言ったのか言っていないのか、また選者などは、どう言っているのか、です。

で、9月5日の授賞式についても書いてある。
http://dailycult.blogspot.com/2011/09/amazon.html#more
ユーチューブにまでなっているんだ、世の中凄いなあ。

備忘録までに−森達也氏挨拶
「---いろいろ批判が来てますが、基本的には全部反論できます。ぼく自身は、これによってAmazonの順位が500位くらい上がったんでね、ありがたいことで。もっともっと油を注ぎたいぐらいなんですが、あまり良質な火じゃないんでね、どう扱えばいいのかなというところですが、全く動じていません。問題にしてませんので、逆に講談社の皆さんに、審査員の皆さんにご迷惑をおかけして申し訳ないとも思いつつ、でも結構みなさんもね、『ご迷惑をおかけして』というと『や、や』と、なんかワクワクはしてるんで、やっぱりみんなメディアにいる人はみんなそうだろうなと。内心はね。結構おもしろがってくれてるんじゃないかなと。ぼくも結構ワクワクしてるんで、今日もこのあと何か来てくれればいいなと」


選者の言葉で漏れ聞こえてきた内容は下記です。
1−中沢新一氏が乾杯の発声でのひと言
「絶品の挨拶をしてやろうといろいろ考えて来たんですが、直前で諸般の事情で、いろんなことを言うなと。急にロングバージョンから短いバージョンに変わることになりました」

また「創」の篠田氏の下記ブログから分かること
http://www.tsukuru.co.jp/tsukuru_blog/2011/09/post-152.html

2−「ちなみに、この授賞式とパーティーには、アレフの荒木浩さんや「光の輪」(ママ−ひかりの輪)の広末さんら元オウム関係者(ママ−オウム関係者)も会場に来ており、会場の片隅で両人が議論を行うという、これもノンフィクション賞授賞式では異例の光景が見られたものだ。」

 なんと、やはりA君もきたのですね。映画「A」でルビコンの川を渡らされてしまった若者です。彼はそれ以前から記者会見などしていて顔を知られてしまったが、その頃のテレビなぞ忘れられていってしまうもの。それが映画「A」でメインにすることにより、社会には著しく戻りにくくさせてしまったものです。だから、抗議文にはこうある。
******
「A」君について「一生背負い込む責任」など言っても実際上できないものであるとの指摘には、森氏自身は未だに何ら答えていない。「A」君は案の上、未だオウム真理教の1つ「アレフ」の幹部として活動し続けているのである。
******
今また、それが繰り返されているのだと。森氏は、本人は授賞その他でアマゾンで500位程上がって喜んでいる、と。なんなんだ。

なお、上記の篠田氏ブログ記載の内容については、追ってまた。

3−G2という雑誌に選考過程が記載されている。入手しました。
実に驚くばかり。これはまた追って。
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