2011/2/18

備忘録ー土谷被告最高裁  カルト・宗教・犯罪

2011.2.15最高裁死刑判決だった土谷被告の手記を備忘録までに。

毎日新聞様、そのままの転載、ご容赦を。
貴重な情報であり、広く知られるためにご容赦を。

毎日新聞の下記より
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110216k0000m040079000c.html

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オウム真理教:死刑確定へ 土谷被告の手記の要旨
土谷被告から本社に寄せられた手記=2011年2月13日、三浦博之撮影

◇土谷被告の手記の要旨◇
 一連のオウム事件の犠牲になられてしまったご遺族、被害者の方々へ心の底からおわび申し上げますと同時に、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
 95年に私は逮捕されました。その時点での私は、捜査が進むにつれ、もろもろの出来事が麻原死刑囚(以下、Aと表記)の説法通り「国家権力による陰謀」であることが判明していくことを期待していました。ところが逆に、捜査が進むにつれてAの言葉がうそであることが次々と暴露されていきました。
 私もとうとうAから気持ちが離れそうになったのでした。ところが、私がある宗教体験をし、それまで以上のはるかに強いAへの帰依心が芽生えてしまったのでした。そのため、私は初公判で職業を「麻原尊師の直弟子」と述べ、一貫して帰依を表明し続けていました。
 私に転機が訪れたのが、A法廷への弁護側証人としての出廷経験でした。私の期待に反してAは一言も証言しないまま、1審を終えてしまいました。このことで私に迷いが生じました。教団とのあつれきが生じ始めたのも、04年春ごろからでした。私はAには堂々と証言してほしかった。「Aは弟子をほっぽらかしにして逃げたのではないか」という思いが日を追うごとに強まっていき、Aへの帰依心は弱まり始め、埋めがたい溝がひろがり始めていました。
 Aへの帰依心がはっきりと崩れ始めたのは、06年暮れ、A裁判の1審判決日におけるAの挙動について記されている雑誌記事を読んだ時でした。「Aは詐病に逃げた」と思うしかなくなりました。
 97年に地下鉄サリン事件のご遺族の証言を聞き、非常にこたえました。帰依心が揺らがないよう懸命だった私ですが、やはりご遺族の証言には耐えられませんでした。ご遺族の証言に対して何と言えばよいのか、言葉が見つかりませんでした。「すいませんでした」では、あまりに軽すぎる。
 「自分自身の気持ちに素直でいれば良かったんだな」と私は悔悟の念にとらわれるのです。自分自身の考えでは上層部の指示や決定を「嫌だ」と思ったけども、「無心の帰依」「無智の修行」だと盲従し、一連の凶悪犯罪に加担してしまったのでした。
 私がAに望むことがあるとするならば、「詐病をやめて、一連のオウム事件に関連する事柄について述べてほしい」という一点に集約されます。
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