2010/8/1

死刑制度に関連して素朴な疑問  憲法・社会・官僚・人権

以下、死刑に関連して素朴な疑問−順不同

1−昨年、民主党が政権を握り千葉さんが大臣になった後、なんで死刑廃止論の方々は、大きく運動を広げようとしなかったのかな。文字どおりのチャンスだったはずなのに。不思議です。

2−執行の停止法案とか、終身刑をつくる法案とか、結局、法案として提出されたことあるのかな。まだないのではないかな。

出した以上は成立するようにしなければならないという発想なのかもしれない。だがなあ、議論を続けるためは何度でも出すのが良いと思うんだがなあ。

廃止論の議員の方々が考えているやり方、実に分からないです。必死さに欠けているように思うんだが。

3−議員連盟の会長は亀井議員だが、あの方は冤罪の危険性を言う。
しかし、冤罪防止のためには、代用監獄の廃止と取調べ過程の全面可視化がもっとも大切なはず。

それには賛成しておられるのかなあ。冤罪を極限まで減らしていきたいならば、それこそ大切なことだと知っているはずであり、かつ警察官僚出身なのだから、大いに説得力があると思うんだが。

あちこち見ても分からない。取り調べの全面可視化などに賛成して、同様に強く運動していないならば、ご本人の死刑廃止論と矛盾してしまう。
違っていたら申し訳ない。

4−死刑判決確定の場合は、死刑の執行のみ刑罰であって刑務作業はない。入っているところも「刑務所」ではなく「拘置所」という形になる。

これは精神安定上良くないのと同時に、死刑をさっさと執行すれば良い、という考えにもつながる。

廃止派の方々は、刑務作業が可能どころか「死刑執行までの間、刑務作業に従事させる」と当然させるような法の改正案を出せばいいのに、と思う。これならば成立するのではないかなあ。

5−アムネスティーの抗議声明など見ると、今回も執行された死刑囚について「さん」「さん」と記述している。あの感覚は理解できない。

私も、実はアムネスティーの会員ですが、それはもともとすべきことが他国の人権侵害について抗議活動をしていく−まあ葉書を次々と出すのですが−ことが基本だからでして。私が入った後に日本の死刑についてより強く言うようになったので弱ったが、まあペンディングにしてます。

で、文章で「さん」とする感覚は到底理解できない。本人がした犯罪の残虐さを知り、また自分たちの主張への賛成を増やそうとするならば、そんな敬称などつけられるはずがないのだが。

6−死刑廃止論を唱導している方は「死刑の理由」という本(2003/8新潮文庫)を、すべからくしっかりと読むべきだと思うんだが、読んでいるのかな。

7−死刑廃止の意見を広げていきたいと考えているならば、なんで何時までも菊田幸一氏や、安田好弘氏が前面に出ているのかな。
もう表に出さない方がいいのに、実に不思議です。

菊田さんなど、「死刑廃止・日本の証言」(三一書房 19933/11) では、死刑囚の母親(大道寺幸子)との対談中「私は犯罪被害者より加害者のほうが辛いと思う。被害者の苦痛なんて交通事故のように一瞬だ」と述べているし、テレビの生放送討論会で「司法が制裁を与えないなら、私が殺す」と発言した本村洋に対して「あんた、(犯人の)少年が死ねばそれで満足なのかよ!」、「法律も知らないくせに!」と発言した、ようですね。
ひどいものです。長く残虐に極めて長く苦痛を感じる殺され方をした事件も、実に多いのですよ。後者は、話している相手は被害者遺族ですよ。

安田さんは、1995.12.3、引き延ばしが最も有効な弁護活動だなんて述べていて、それこそ国民世論に反してます。「典型的な死刑が予想されるケースでは結局長く裁判を継続していく以外に方法はないのではないか。死刑の確定をより先に延ばすというのが最大の弁護になるのではないか。そういう視点を踏まえて、一審から着々と弁護をする必要があるのではないか」-「オウムに死刑を、にどう応えるか」(インパクト出版会−1996/04)

8−死刑廃止論を唱導している方の中には、涙ながらに「人は決して人を殺してはならないんです」という人がいる。

違うって、例外的には人は人を殺していいんです。正当防衛や緊急避難の場合です。

例外的なことを言うな、というかもしれないが、死刑存置論の人は死刑も同じく例外的な場合だと考えているんですから、説得力がないんです。
「自分や自分の子どもが殺されようとしている時でも、その相手を殺すことは絶対あり得ない」と言うならば言ってもいいけれど、他の人には説得力がないことを自覚しておいて欲しいです。

7−死刑を残せば、刑罰が復讐になってしまうとして廃止を言う人がいる。

何をいっているのか、と思う。刑罰の中心的な本質は、やはり復讐なんです。近代の刑法学では「応報」なんていう言葉を使うけれども、要するに復讐だと。

もちろん教育の意味もあって、私自身も、それこそもっともっと再犯防止のためにも職業訓練や再犯防止プログラムをするべきだと思います。

ですが、重い犯罪を犯せば重くなるものです。その証拠に、刑法に書いてある法定刑自体が、窃盗や傷害罪よりも殺人罪の方が重いんです。まずはまず、どの国でも。
もちろん、そうすることによって、酷い犯罪を抑止しようとする一般予防の意味もあります。
が、どう見ても再犯をしないだろう被告人についても、酷いことをしていれば重く処罰されるのです(感覚だが、殺人事件の半分くらいはもう二度と殺人もその他の犯罪もしないだろうな、と思える場合ではないかなあ)。

そうでなければ、チカンを実に何度も何度も重ねる人、無銭飲食を繰り返す人をこそ無期懲役にすべきということになります。

(追加
さらには、責任無能力による無罪という制度は、罪を犯したこと認識がなく、また刑罰の意味を理解できないから無罪なんです。

教育刑を本質だとするならば、責任無能力者は当然に無罪であるのではないし、またの「回復」「治療」と犯罪者の「更生」とは、同じ本質をもつこととなり、犯罪予防−保安処分も、刑罰と本質的にこととならないこととなってしまいます。)


それは即ち、刑罰の本質が復讐だからです。犯罪との均衡を当然考えるのです。

とりあえず、以上。
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