2010/4/15

事実を見る眼、見つめ続ける気力と勇気  カルト・宗教・犯罪

下記は、「みこと」さんのブログですが、オウム真理教の一般的な信者さんの発想です。
http://blog.livedoor.jp/shiun_mikoto/archives/1120439.html#comments

「麻原彰晃尊師〜これが真実の姿
麻原尊師こと、麻原彰晃に関して、世の中には偏った情報しか流れていません。しかし、私が見てきた麻原尊師は世間で言われているような人では決してありませんでした。私が見てきた麻原尊師の真実の姿を述べたいと思います。」

というブログと、そこへのコメント・レスです。コメントなどは下の方から読む形になります。

備忘録として、そのまま転載してしまおう。公益目的であり、匿名でもあり。(いつの間にか削除と言う事態もあるからね)
そこに批判コメントなどされている方におかれては、前後関係が分かるようにするためですので、どうぞ容赦ください。

ああ、ブログ主さん
「ただ、私は一信徒に過ぎず、尊師に関してのすべてを知っているわけではありません。あくまでも信徒である私が見てきた麻原尊師であることを付け加えておきます。」
ということですね。

誰しもすべては知りません。他の人の話も聞くべく、下記カナリヤの詩のサイトなども見て下さるようお願いします。
http://www.cnet-sc.ne.jp/canarium/
そして下記が、麻原さんの裁判所での発言です。私も直接聞いてきました。間違いないところです。麻原さんは事件への自分の関与を実際は認めているのです。
http://www.cnet-sc.ne.jp/canarium/10-7.html

何よりも、オウム信者さんであるならば、麻原さんへの徹底した帰依、そして「最終解脱者だからこそ」という設定からして、麻原さんの指示なくして殺人事件など起こせようがないことは、簡単に分かるでしょう?
分からないというならば、帰依が足りないです。


事件は、地下鉄サリンだけではないです。松本サリン事件や坂本弁護士一家殺事件では、教祖の指示についてしっかり証言されてます。

「事実を見る眼、見つめ続ける気力と勇気」がなければ真理なんてつかめないと思うんです。

******ブログ内容**************
2010年03月18日 強制捜査
3月は、尊師がお生まれになった月であると同時に、地下鉄サリン事件がおき、教団に大規模な強制捜査が入ったという、何やら因縁めいた月です。

毎年この時期になると、事件を風化させてはいけないということで、テレビやマスコミなどでは当時のことが流されます。
正直、信者であるわたしにとっては、やはりいい気持ちはしません。

●強制捜査の朝
1995年の3月22日、出家したわたしは、リトリート修行から出され、コンテナというところで修行させられて、ちょうど1ヵ月くらいが経った頃でした。

コンテナの中には、ベニヤで仕切られた二段組の棚があり、その区切られたスペースに信者が一人ずつ入れられ、そこが各自の修行の場、そして生活の場となっていました。

広さは畳半畳くらいで、高さは1mくらい。足を伸ばすことも横になることも、立ち上がることもできませんでした。
寝るときは、ベニヤの壁に寄りかかったまま寝るという状態でした。

そんな狭いスペースの中で、マントラという詞章をひたすら唱えさせられていたのです。

毎日、毎日同じことを繰り返し唱えるのみ。一日の時間が非常に長く感じ、1ヵ月も経つと、いつまでこんなところに閉じ込められているのだろうと、正直かなり嫌気がさしていました。
また、スパイ容疑で監禁されていると思っていたわたしは、教団に対しかすかな憎しみも感じていました。

そんな日のある朝方、普段と違う雰囲気が外から伝わってきたのです。
いつもなら静かなはずの朝の時間なのに、外では何やら多くの人が動き回っている気配が漂ってくるのです。
(どうしたんだろう)
と思っていると、何か連絡があったらしく、わたしたちを監視している担当のサマナがコンテナから出て行き、しばらくすると戻ってきました。

そして、修行のためのテープなどを回収し、身の回り品などを持って、コンテナから出るようにとの指示。

わたしは外に出られるのがうれしくて、いそいそと洗面道具や着替え、寝袋、修行の道具などを持つと、朝の光がまぶしい外へ出たのでした。

そして、トラックの荷台に乗せられるとそのまま第10サティアンへ。そこで警察による強制捜査があることを知らされたのです。

わたしは一瞬、(助かった)と思いました。このままコンテナに閉じ込められ、いったい自分はどうなるんだろうという不安がありましたから。

一方、権力による教団への弾圧は出家する前から聞いていたので、地下鉄サリン事件のことはまったく知りませんでしたが、強制捜査があると聞いても、権力もそこまでやるのか、くらいにしか思いませんでした。

●強制捜査
建物の2階の隅に場所をあてがわれたわたしたちは、かなり緊張してそのときがくるのをじっと待っていました。

わたしは、強制捜査という生まれてはじめての経験に、すごい緊張と同時に、どのようなことが展開されるのかかなり興味がありました。

2階の窓から外を見ると、ものすごい人数の迷彩服を着た自衛官や警察官が、じわりじわりと教団に迫ってきていたのです。
何か得たいのしれないものが、大挙して押し寄せてくる、そんな感じでした。

とうとうわたしたちがいる2階にも、多くの警察官が徒党を組んで入ってきました。

わたしは心の中でマントラを唱えながら、警察官の様子をじっと見ていました。
一緒にコンテナに入れられていた人の何名かが、警察に助けを求めたようです。
「助けてほしい人、大丈夫ですよ。家に帰してあげます」と言いながら、警察官がわたしの横を通り過ぎます。

瞬間、わたしは、(助けてもらおうか・・・)という思いが頭をよぎりました。
(監禁されていること、訴えようか)とも。
そう思ったとき、わたしの心臓はドキドキと大きく脈打ち出しました。
(どうしよう・・・もうこんなところ、いたくない!)心が激しく揺れ動き、額には汗がにじみだしてきました。

(助けてもらおう!)そう思って、立ち上がろうとした瞬間、脳裏に尊師の顔が浮かんできたのです。

体がガクガクと震え、「助けてください!」の一言が、喉まで出かかったのですが、結局、わたしはそれを口に出すことはできませんでした。
体の震えはいつまでも収まりませんでした・・・。

あのとき一言、「助けてください」と言っていたら、その後のわたしの人生は大きく違っていたでしょう。
でも、わたしの中にある何かが、尊師との縁を絶つことを良しとしなかったようです。

●還俗して・・・
この強制捜査を境に、日本中から教団は叩かれることに。そして嵐のような騒ぎの中、わたしは還俗したのでした。

還俗してさまざまな情報が入ってくるようになると、教団が言っていることと世間の情報はまったく異なっていることを知りました。
しかし、マスコミというものあまり信じていなかったわたしは、事件に関しては教団寄りでしたが、出家してからの扱いに不満を持っていたことなどもあり、教団やサマナに対してはかなり批判的でした。

でも正直なところ、目の前にある生活のほうが大変で、どちらがどうだなどと考えている余裕はありませんでした。

しかし、元サマナだったということから、警察には早朝から夕方まで監視され、どこに行くにも尾行がつき、手紙は検閲され、大家には白い目で見られ、友人宅にも事情徴収に行かれたりと、必死で生活の建て直しをしようとしているわたしにとって、警察や公安はひどくうっとうしいものでした。
まあ、仕方がないと言えば仕方がないのかもしれませんが・・・。

国家権力という大きなものに一人で立ち向かうことは不可能です。その意味もありわたしは教団から離れることはできませんでした。

また、当時の相次いで起こる不当逮捕や、ヒステリックなまでのマスコミの報道を見ていると、世の中がかなりおかしいように感じました。冷静にものごとを見つめていくには、やはり修行するしかないのだと。

当時、警察の嫌がらせ(わたしにはそう思えた)は日常茶飯事でしたが、面白いのは、わたしの教団やサマナに対する疑念が強くなると、決まって警察の監視が厳しくなるのです。

それで不快な思いをすることにより悪いカルマが落ちて、心が楽になるということを何度も経験しました。やはりすべてはカルマの現れなのでしょう。尊師が説かれる法則通りです。

普通に生活していたのではできないようなこれらの経験は、わたしの神経をかなり図太くすると同時に、心の成熟に役立ったことは間違いありません。

そして一連の出来事を通して学んだことの一つが、世間で起こっている事件や出来事というのは、表面的なことだけを見ていたのでは、真実はわからないということです。教団が犯したとされる事件はたくさんありますが、わたしは、マスコミの報道通りの部分とそうでない部分があると思っています。

不審なことが多い事件もありますが、教団と世間とでは、見ているタイムスパンや世界が大幅に異なるということからも、真実の解明はすぐにはできないような気がしています。

ただ、わたしは、尊師が無実であるとおっしゃっている以上、弟子として、それを信じたいと思います。

******以下はコメントとレスです***********
******書き込みは下の方からとなります*****

9. Posted by みこと 2010年04月08日 23:04
返事遅くなりすみません。ちょっと状態を崩していたものですから。
3月19日を境に、このブログのアクセス数が一気に上がりました。
テレビのニュースやドラマの影響だと思います。
このブログを読んだほとんどの人が、教団や尊師、そしてこのブログを書いた私に対し、相当の嫌悪や怒りの感情を抱いたものと思います。
その想念の影響で、かなり私の精神状態が崩れてしまい、一時期、まったく修行ができないような状態になってしまいました。
今月に入り、やっと回復してきたかなという感じです。

さて、一般人さんのコメントに対する私の考えですが、(あくまで私の考えであって教団の考えではありません)
確かに尊師は現在死刑囚となっています。
しかし、尊師は裁判で「無実である」とおっしゃっています。
私はマスコミの報道というものをあまり信じていません。
また、尊師の裁判記録などを読むと、かなり普通の裁判とは異なり、法に則ったものではないように進められていました。
尊師も弁護士もそれに対し、何度も異議を唱えましたが、裁判官は一切認めませんでした。

そのような裁判に対し、尊師は、「この裁判は最初からシナリオが作ってある」とおっしゃられています。また、何度も言うようですが、「無実である」ともおっしゃっています。尊師の裁判での言動は不規則発言としてマスコミは取り上げていますが、私は幾分疑問を感じています。
つまり尊師に対する見方や感じ方が、一般の人たちと私との間には相当の距離があるということです。つまり、マスコミの報道を信じるか信じないか、尊師に対する裁判のあり方を良しとするかしないか、だと思います。多くの人は前者であり、私は後者であるわけです。おそらくこのあたりの不一致は、平行線をたどるものと思います。

8. Posted by みこと 2010年04月08日 22:43
かつて自由民権運動が日本中に吹き荒れました。そのとき、多くの人が投獄され獄死した人もたくさんいます。でも、現在、自由民権運動を間違いだったと言う人はいません。
戦争に関しても、かつて戦争反対を唱えた人は戦犯扱いをされました。でも現在、当時の社会体制のあり方を良しとする人はいるでしょうか。
小林多喜二は、小説『一九二八年三月十五日』を発表、政治の闇を表に出し特高に殺されました。ほかにもいろいろありますが、私が言いたいのは、表面で起こっていることだけでは、本当のことはわからないことがこの世にたくさあるということです。

私は尊師のことを誰がどのように言おうが、それはその人の自由ですから、反論する気はありません。
ただ、尊師のことを知るには、尊師の説かれている教えを最低限知る必要があると思います。
なぜなら、尊師は絶対の真理、仏教というものを背景に生き、世俗的なことより、宗教的な信念を貫くことにしか、価値を見出していないと思われるからです。
つまり、尊師ご自身の命や名誉より、自分の確信する絶対の真理のほうに価値を見出しているということです。

とりとめない内容になってしまいましたが、以上です。
素朴な疑問です、に対する返答です。

私は、尊師がサリンを撒けと言ったとは思っていません。
なぜなら、現在拘留されている弟子の中に、尊師から直接命令されたという人は誰もいないからです。
ですから、尊師がサリンを撒けと言うことなど考えられません。
考えられないことに対し、どうする、ということを答えることはできかねます。

なお、このブログに対するコメントは、荒しを防ぐため、しばらくはこちらで判断してから、公開するようにしたいと思います。どのような内容であっても、きちんとまじめに書いてくださっているコメントは、公開させていただきます。

7. Posted by 一般人 2010年04月06日 23:03
どうして即答できないのですかね?

6. Posted by 素朴な疑問です 2010年03月20日 22:03
あなたは麻原彰晃が
もう一度サリンを撒けと言ったら
撒くんですか?

5. Posted by 一般人 2010年03月20日 17:09
やっぱり、マスコミで言われていたことは本当だったんだ。
反省どころか、危ない思想を持った人達の集団=アーレフなんだな。
てか、死刑囚をこんなふうに崇めること自体が罪になると思うんだけど、どうだろうか。

4. Posted by 一般人になった元・信徒 2010年03月20日 03:04
 15年前・・サリン事件で亡くなった罪なき多くの方々のご冥福を心より お祈り申し上げます。
 21年前でしたか・・私もオウムの信徒の一人としてビラ配りのお手伝いなどをしていました。色んな意味でオウムは新鮮でした。わずかながら布施もし、修行に頑張っていた頃がありました。多くの信徒さんやシッシャの方々に励まされ、これまで培ってきた身・口・意のカルマを落とす事の重要性を理解する事ができました。そして今も私生活にあたっては、カルマの法則を根本に措いた生活を実践しています。仏陀釈迦牟尼がお説きになった、根本的な教えはやはり多くの人々の救いになり、糧になっています。なぜ当時、多くの方々がオウムの門を叩き、そして厳しい修行の実践を行い得たか・・・。

 それは当時の世にあって、真実を見出す事ができず苦しんできた方々への明確な解答が、オウムには在ったからなんです。決して苦しみから逃れるための教えではなく、苦しみの原因である自己のカルマを浄化し得る教えと、修行法そして、修行の実践により得られた素晴らしい結果を修行者一人一人が、教えの通りに身・口・意で受けとめる事ができ、体験できたからに他なりません。その恩恵は甚だ大きく、仏陀釈迦牟尼が説かれた法則を実際の修行体系の中で、心身共に体現させ得た唯一の教団だったんです。世の中の方々は、その真実の法則そのものが、オウムの教えなのではなく仏陀釈迦牟尼の説かれた法則であり、それ故に修行過程での、ひとつの経験でしかない神秘体験を、その教えと法則と具体的な修行プロセスを持つオウムに関わった多くの信徒さんや、サマナの方々は経験していたって事だけは理解して頂きたいと・・・そう思っています。私も元・信徒として事件から顔を背けるわけにはいきません。今尚、サリンの後遺症で苦しんでおいでの方々が多くいらっしゃるのですから・・・

3. Posted by みこと 2010年03月20日 00:49
yasuさんへ
コメントありがとうございます。
「過去世の弟子として、ソンシは喜ぶ」かどうかはわかりませんが、救済されるために、修行は不可欠だと思います。しかし、段階があると思います。理想は教団に属し、日々修行することですが、すべての人が教団に属することは不可能と言えます。
大事なことは、真理の法則にのっとった生き方をすることではないでしょうか。
教団に属していなくても、ベースとして勧戒・禁戒があり、そしてカルマ落としにじっと耐えることができれば、人間以上の転生も可能かもしれませんし、今生もそこそこの人生が送れるものと思います(社会情勢にもよりますが)。
また、真剣に尊師を求めれば、尊師との霊的なパイプラインはできるような気もします。
実際、還俗しても尊師からのエネルギーを受け、修行が進んでいる元師の方もいますから。

ただし、解脱や悟りを求めたいなら、教団に属していなければ無理だと思いますが。

帰依者さんへ
コメントありがとうございます。今日のニュースにも野田さんが出ていました。
(久々に野田さんを見たのですが、少し太ったような・・・)
野田さんが教団を出て行くにあたり、さまざまな確執があったのだろうとは思います。
でも、教団にいたことは野田さんにとって、大きな利益もあったはずなのだから、後ろ足で砂をかけるような真似はしてほしくないですね。悲しくなります。

2. Posted by 帰依者 2010年03月19日 17:26
>毎年この時期になると、事件を風化させてはいけないということで、テレビやマスコミなどでは当時のことが流されます。

まさに野田などは、ここぞとばかしにマスコミに出ていますね。
本当にあの程度の男がグルの弟子だったとは情けない限りです。

1. Posted by yasu 2010年03月18日 04:42
死後、バルドーで、
「修行も出来もしなかったのに、なんで(ソンシや教団から)離れたんだっ」
なんていう閻魔様の声がしないようにしたいものですね。

まあ、これもわたしの選択ですから。
ソンシを頼らなくても、修行を進めたいと思いますね。
却って、そういう方が過去世の弟子として、ソンシは喜ぶかもしれません。
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