2008/9/20

「べき人生論」と「したい人生論」  日常のこと

うーん
・私も、若い時は人生論とかある程度は読んでいた方だし、
・そもそも「生きている意味」というのは大きな課題だろう

で、「べき人生論」と「したい人生論」

ほとんどの人生論が前者ですよね。まじめな人ほど「べき」で生きている。
というか、人生論なんていうのが、そもそも「どうあるべきか」「どうすべきか」を考えている人がするものですもん。
というか、それを考えるのが人間というものかもしれない。

だがまあ、
1−まあ、どうやったって「するべき」「あるべき」を考えてしまうことが抜けられないんだが、その生き方は疲れるということも十分自覚し続けた方が良いように思う。
2−人間は動物というか、生き物の一種類ということで、所詮「大いなるもの」でも「自然」でも「神」でもいいが、その手の平の上のものだしその一部でしかない。
だから、「死亡率100%だから、なんとか生きる意味を見つけたい」ではなく「死亡率100%だから、まじめに考える必要もなしなのだは」という感覚ね。

つまり、
時には「したい人生論」で行きましょう、と。
「べき人生論」も、ボチボチで良いじゃないか、と。

(犯罪を繰り返す人などで「したい」が続いていて弱ったなぁと思う人も居るけれど)

パラグライダーをしたいなあ。
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