2007/10/15

ミニカルト  と取調べ方法  カルト・宗教・犯罪

今朝、長野県小諸市の宗教法人「紀元会」というところに、
信者さんが一人傷害致死でなくなっていることから強制捜査が入り、
捜索・次々と逮捕にまで至っているとのことで、
次々と問合せがありましたが、
「私のところには直接の相談はなどはないです」
と答える外はありませんでした。

この類の事件は、通例、代表者の異常性が高いときには、そう大きくならないうちの、かなり早期に事件化する。
今回は、まあ、旧い団体のようですが、もともと隠された事件があったのか、それとも代表者が変わったりして、カルト化したのか。なんら不思議はないと思っています。
大きな由緒ある団体の一支部とか、一つの教会、1つのお寺であっても同様に、指導者がおかしくなってこれにしたがっていく人が何人か出てきたとき、カルト化するとことがあるからです。

危なっかしいのは、うーん日本で100以上はあるのではないかと、これは推測。
相談あるところで危なさそうなミニカルト(3人以上あれば集団です)が、20は超えることからして、です。

うん、カルト問題って、人間関係の病の問題であり、集団力学と言うかなんというか、人間集団の摩訶不思議な病理的な現象ですから。
(ひょっとして一部生理的な?、癌細胞とて生体が細胞死により死んでいく一つの生理現象とするような考えもあるみたいですし)

今回も、ミニカルトにありがちな、日本では昔から多い撥や竹刀で打つ、水につけるなどして殺す、「遺体カルト(C藤田庄市氏)」の一つかなぁ。
思いつくだけでも、ライフスペース、千乃正法(白装束集団)、福島の祈祷師、オウムの分派ケロヨンクラブ、加江田塾、昔の藤沢市での事件などかなぁ。もちろん、1988年9月のオウムでの最初の事件、真島さん傷害致死事件も同じ。

福岡の一男性が支配した連続2家族殺人事件か、あれもカルト的ですよね。同様のは神奈川県県大和市にも先年あったとまあこれは又聞き。

いずれも中心は「支配と服従」「現実感覚の喪失というか共同幻想というか」にあるのではないか、と考えます。

そしてそんな団体について、「信教の自由」を根拠に監視しないままでいけば、オウムのようにカルト化が進んでいき、内部で更に多く死に、教祖の特質によっては外部にも攻撃を始める、と。

「宗教団体の信教の自由」よりも、「個人の信仰の自由」が優先すると考えます。信者を騙したり、死なせたり、殺させたりするのは、まさに本末転倒。

暗澹とする。

(追伸−21人に逮捕状?すべて女性ってすごいね。でも不思議ではない。ライフスペースの時は7人くらいだったか、ケロヨンの竹刀叩きで死んだときは5人くらいだったか。まあ起訴は一部だろうけれど。
これは全く想像だが、その場にいた人全員が叩いた、みたいなことで全員逮捕なのかなぁと思う。そんなパターンが多すぎる。そして叩いた人は別の日は叩かれる立場だったりする。藤田庄市さんの論文−うーん探し中−に詳しい。

願わくば、取調べにおいて、オウム事件での林郁夫受刑囚を調べた警察官のように、嵌っている人の心理を、なんとか急ぎ勉強したうえで調べてほしい。
私が、1995年2月に警察、検察に送った「覚書−取調べマニュアル」をまあ更新しておきます。

1−その教えを、馬鹿にしたり、罵倒しないこと。
2−宗教論争などしないこと。
3−代表者らを馬鹿にしないこと。
4−食事、休憩を十分取っているか常に確認すること、
5−つまり、とうとうと述べるであろう話に、聞く耳を持つこと。
6−敬語を本人や教祖について使うこと
7−それは同時に、自分に好意を持ってもらう方法でもあることを自覚してすること。
8−今の命は少なくともあるのだから、大切にしないといけないのではないかなぁ、という感覚を持たせること。失われた命について泣くこと。
9−現実感を持たせるために、いろいろな昔話を自分の事を交えて話すこと。
10−反論するときも、「--じゃないかなぁと思うんだが」と断定しない言い方をすること。
11−決して、強圧的な調べはしないこと。決め付けをしないこと。

まあ、ウルトラCとして、中沢新一が大学の自治も学問の自由も捨てて協力した、一部東京地検の検事のように、「なるほどなるほど、凄い教えですね。正しいかもしれない」みたいにヨイショしつつ、すべて話させてしまう方法もあろうが、後の本人の反省、公判でスムーズにするためには、できれば避けたいものです。
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