2005/7/11

カルト的な思考  日常のこと

 うーん、いわゆる破壊的カルト集団の問題以外でも、カルト的な思考だなぁと感じることがある。

 政策や裁判の進め方、議論の仕方などで、感じることがある。
カルトなんていう言葉を知らなかったが、昔、初めて感じたのは、神奈川県のとある任意団体に、高校生のときに入っていたときだった。

 まあ、高校生で差別問題に限るとしても政治的な任意団体に入るのも、考えてみればまあ凄い話だし(世代的には遅れてきた青年ですね、1957年1月生)、
 親はそれを感じても母から「あんまり危ないことはするなよ」の一言の注意だけだったのは、親もたいしたものだったと思うが

 (とある私が持って帰ったのではない政治アピールの布製の旗を、翌朝には座布団カバーにしてしまったのもこの母親)、

 うん、集会での議論の過程で代表者が、「それは馬鹿な考えだ」なぞと表現して、それを「馬鹿」は差別用語だなぞとして、糾弾し始めた姿を見た時だった。
 差別用語はいろいろあるが、馬鹿云々は、用語の生来的な性質としての差別用語ではない。差別的な利用方法をしたのではないのに、糾弾をはじめたのに驚いた。 当時、そんな分析ができたのではないが、聞いていて、率直に違和感を強く感じた、と。

 後に分ったのだが、その任意団体が、とある党派から別の党派に核心部分が変わる時だった、ということでした。

 私は、単に違和感を感じて、「脱会届出」も出さずに、もう行かない、しょもな、と後の何回かの電話でも答えたものでした。直感が正しかったかと思う。


 で、次に感じたのは、大学1年生のとき、私はもはや力と食扶持をつくらなければ、どうしようもない、と思い、司法試験に埋没していたのですが、早稲田はとある新左翼の党派の牙城。

 ちなみに、法学部は共産党系に力あったのだが、その8号館以外は、キャンパス全体がとある党派。アア、原理研もボチボチやっていたけれど。

 で、ある日。
 どうやら同じ新左翼の別の激しく対立する新左翼の党派だったのだろう、他の大学の学生さんかもしれないが、ビラを配っていたみたいで、支配していた党派の人6-7人が、まわりを囲み、言葉だが糾弾されていた。

 んで、18歳の私は、ああいうことはとても許せなくて、どこの誰かは知らないが、少しの迷いのあと
  「あれ、どうしちゃったんですか」
と言って、真ん中にスルスルと入り込んで、真ん中の人を手をつかんで、キャンパスの外まで連れて行った、です。
 後ろを早稲だのとある新左翼がナンダナンダと言う感じで、ついて来ささせながら。

 当時は、キャンパスの外に行けば機動隊が居て、もう糾弾ができるはずもないから。

 あな、おそろしことでした。私は、そのまま、尾行をまきながら自宅に戻ったが、その翌週、キャンパスを歩いていたら、目の据わった大学を支配している党派の人と明らかに分かる人が、突っかかってきて、私に   「お前は誰だ、どこだ、どこだ」
としつこく聞きながら、ついてきましたです。
 「いや、僕はシコシコと勉強しているだけのものです」
と申したが、理解されなかったですね、

 んで、またキャンパスを出て、その数ヶ月は大学に行かなかったです。

 あな、おそろし。同大学では、その数年前かな、その8号館の階段で「川口君虐殺事件」というのがあり、つまりは殺人事件もおこっていた、と。

 考えてみれば、こんな経験が後の、破壊的カルト団体への本質的な嫌悪感、また哀れに思う気持ちを持たせ、ゼロか百かの議論を嫌がる土壌になったのだろうと。

 で、議論にしても裁判にしても、正と邪を明確に区分しなければ、気がすまない方が、どこにもいるのだなぁと感じる。

 そんな時は対応には大変疲れるが、そんな議論方法では、他への説得力がないことをなんとか理解してもらい、
・ 折角のエネルギーが空回りしてしまって、
・ 相手にされなくなったり、
・ 燃え尽き症候群に陥らないように
してあげたい、と思う。

 もちろん、量的差異はどこかで質的差異に転化する、それを忘れてはならない。
 同時に、正の中にも邪があり、邪の中にも正がある。

 それぞれ自分の中にもある。そう、仏教用語で言えば、さまざまな煩悩は一生闘うべきもの、宥めるもの。

 すべての議論は、説得力を持つためにはどうすれば良いか、違う立場の人はどう考えるか、を感じるように努力して欲しいと思う。
 (吉村昭の本などそういう意味で大いに参考になる、)

 自ら秘めた「正しい考え」を広めるためには、どう戦略を練るか、それができないのは、若者の特権だが、いつまでも同様にやっていては、しょもな、だと。

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