2014/10/17

『悪の凡庸さ』  カルト・宗教・犯罪

下記は、下記にある野田君ブログの一部です。
http://alephnoda.blog85.fc2.com/blog-entry-1064.html

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2014-10-16 悪の凡庸2、の一部抄本

「思考の欠如」については、オウム事件でもしばしば触れられていました。「信者らは思考停止状態だった」「麻原のデータをコピーしてもらう為に、意図的に何も考えないようにしていた」これは全くその通りで、当時においても現在においても、一生懸命「グルグルグル」って帰依の修行をやればやる程、自分で考えなくなります。家族出家の人。「前例主義」で、上の顔色ばかり伺う「ヒラメ役人」みたいになります。その結果として、オウム事件は起こりました。

 個人の小役人的無思考な行動の集積が、団体全体として、集団全体として、社会全体として連鎖的に共鳴現象を起こしてどのような結果を生じせしめるか、この点においての個々人は全く無自覚であり、その影響については意識されることがない。これはその個々の構成員、個人に責任を追及するのも難しいけれども、無自覚にそのシステムに乗っかり続けている事により、一つ一つは小さい「凡庸な悪」が、全体として巨悪を構築することとなったわけです。

 しかしながら、(被害者側に立つ)世間一般は、このような「凡庸な悪」を認めない、認めたく無いのです。数百万人のユダヤ人虐殺について言えば、その責任を負う立場にあったアドルフ・アイヒマンの犯した罪は、徹底的に裁かれなければならなかったのです。三つめはハ。如何なる同情も、如何なる弁解も入る余地がない、悪の権化として。強烈に憎悪すべき対象、憎むべき嫌悪すべき対象として。

 これと同様の憎悪の目は、オウム事件においても信者らに向けられました。ほとんどの信者らは、武装化計画すら知らされてなかったにもかかわらず、です。恐らくここを見ている元信者の方、あるいは長年オウムに関わった公安関係者の方も、報道されていた信者らのイメージと実際の姿が、かけはなれていたことは理解出来るでしょう。
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このあたりは、私も全く同意しているところです。
  で、そしてそれは、もともとナチス研究者の間というか、日本が太平洋戦争に至る経緯、敗戦への経緯を研究してきた人、そして新書の類の2冊程度でも読んできた人には、知られていたことです。すなわち、『普通の人が普通に極悪非道の行為をしていってしまう恐ろしさ、その機序はどうなっているのか』ということが関心ももたられきたことです。

  それ故に、オウム事件が発覚したあの年、実に多くの人が直ちに「悪意の殺人は限度があるが、善意の殺人は限度がない」を理解し、「信者の多くはサリン製造など知っていなかった」と納得して、更に私どもの説明により、「実行犯は、本人として何ら反社会性も犯罪傾向にはなかったんです」と了解してもらえたのです。被害者や遺族の少なからずからも相当に理解を得てはいます。

  なお、12人の死刑いかんの論議では、そのうえでも、「だが、普通の人が教祖に嵌められてであっても、そこまでのことをしたならば、教祖とは別に、死刑によりケジメをつけるべきでは」と言われてしまいやすい所なんです。
  私はそれに対して「いや、死刑によるケジメをつけてもらうべきは麻原教祖のみで必要十分、他の者の死刑も執行したら破壊願望に支配された麻原が喜ぶだけです。激しいマインド・コントロールまして薬物まで使われてきています。12人には、破壊的カルトなどで『普通の人が普通に極悪非道の行為をしていってしまう恐ろしさ、その機序はどうなっているのか』の研究対象として、死ぬまで自らと自らのしたことを反芻して気持ちなどを公けにしていくべき、それが今後のために最も大切なはず」と説明していっているものです。
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