2011/11/29

被災地に行き、知ったこと、思ったこと。  大地震・原発・基地

被災地に行き、知ったこと、思ったこと。

11月18−19日と、宮城県の石巻、女川、南三陸町に行ってきました。
用件としては、兄を助け、石巻に、仮設住宅用の電気カーペットと、色々な野菜、肉などを持参していくこと。電気カーペットは前回と併せて300余りとか。1つまとまりの仮設住宅の全世帯分となる。
9歳年上の兄は、初夏からだったか毎月、支援物資をもって宮城県亘理町、そして石巻と回っている。この所は、こちらの地元からのカンパ、物資の協力もあり、助かるとのこと。
うーん、私も3月16日だったか赤十字とかなぞに寄附をせず、このようにすれば良かったとつくづく思う。

1−公がしている電気カーペットとか炬燵の配備、遅すぎるよ、と。1つだけであり、そのどちらを希望するのかを11月に入ってからかなアンケートを取っているみたい。なんなんだ。

2−それも貸し渡しと言うことでして、仮に仮設住宅から引っ越したら返すとのこと。そりゃ引っ越すと意義が異なるということなのだろうが、なんとも厄介な話です。引っ越し先でも遣うだろうに。
実際にはそんな厄介なことを徹底できるはずもなく、つまりは事務作業を増やしているだけのことです。

3−寒冷地仕様の仮設住宅って、なかったんだろうなあ。窓ガラスは1枚のもの、雨戸やシャッターもない。これでは冬は寒いぞお。おいおいと2重窓にするようだが2月にまでなってしまうみたい。場所によって異なるが、天井、床下に、断熱材が入ってない所もあるみたい。軒も、なさすぎる。

4−仮設住宅の作り方につき、先に私は向かい合わせで作っていくことが会話を促進するから良いのでは、と書いたが、居住者によればうーん、プライバシーの関係ではこのままで良いとのこと。うーん、なるほど。
 自治会みたいのが2年間かぎりだがしっかりと温かくできれば良いが、でき得るかかが課題かと。
 他の仮設住宅では、やたら細長い敷地の場所もあったなあ。さらに北の地域に行くと3階建ての仮設住宅もあるとか、うーん。

5−石巻って、広いんですね、そして相当に発展している。以前行った亘理町以上に、津波の来たところと来ていない所の差が激しい。極端です。

6−どこの被災地にも、やたら高く積まれた瓦礫の山がある。ひどいもんだ、と思う。
瓦礫の全国処理としては、東京都と北海道名寄市あたりしかまだ協力していない。それはないではないか、と思う。放射性物質なぞ、東日本ならばもともと相応に振ってきたものです。瓦礫の放射性物質は低いものだ、ということであり、さっさっと各自治体は協力すべし、と。福島県内の瓦礫は国が別に処理するのであり、反対する他の自治体の住民なぞ、これは正しい石原都知事の言う「黙れ!」との一喝、それをしたいです。
うーん、3月当初、私は埋め立て地を決めて、早急にすれば、と書いたが、それはいかんのかなあ。

7−石巻の日和山から見た光景、酷いことだ、と思う。一面、コンクリ土台のみが残っている住宅街。仮設住宅にいた女性らはまだ行ってみていないとのこと。なるほど、と思う。そこにいた子どもら夫婦や孫らが亡くなっていたり、自分の家もないのだから。話によれば、9月になってスーパーで「あれ、あなた生きていたの!」ということもあるとのこと。どちらも海に近く、相手は死んでいると互いに思っていたのだから。嬉しかったとのこと。涙が出る。
 個人情報とはいえ、どこにだれが住んでいるか−住所、名前、生まれた年だけを公表してしまう検索システムを、情報登録の了解世帯だけで良いから、作れないものか、と思う。

8−女川と石巻の間に万石浦がある。この周辺は津波被害はあまりないことは意外だった。海からの口が狭かったからなんだろう。ただ、地盤沈下は酷いです。道路は嵩上げしてあるけれど、高潮などの時は大変だとのこと。
 江戸時代?石を万と埋めて開拓しようという案があったとのことで、この名前であり、反対があってそうしなかったとのこと。そのおかげで、今年もここではカキ等海産物がつくれるのだろう。

9−女川の倒れたビル1つは保存するとのこと。うん。それを見る高台の病院だったか学校だったかこの1階まで水が来たことは驚く。たしかにそんな映像があった。もう山ではないか、と。女川では山奥まで津波が来ている。恐怖。
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10−南三陸町の防災センターでは、ただ合掌するほかなかった。ここで、あの「逃げて!」の放送をし続けた若い女性がいた。20数名が亡くなった。保存の声もあったが、片づけるとのこと。意見をさしはさめる立場ではない。河口から1キロそこそこのところにあるのは知らなかった。
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志津川病院の裏側にはまだ建物の上に船があった。なんと。この屋上には多くの人が逃げていた。あの夜、どんなに寒かっただろうか。
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警察署は、海から相当に離れている。2−3キロぐらいか。だが、3階の上まで津波が来た感じ。まわりが狭くなってきた所だから水が集約されてきたのだろうか。
2階の代用監獄の鉄格子が外から見える状況だった。(誰か入っていたのではないか、と心配し、地元の人に聞いたら誰も捕まっていなかったとのこと、良かった)。機動隊などが防御用に使うジュラルミンの盾がひん曲がっていた。1階玄関先には時計があった、3時18分あたりで止まっている。手を合わせる。
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11−今後の津波対策は、どうしたものか。地域によっては、実に平地が少ない。すべて居住禁止というような措置を取っても、それが数十年、数百年続けられるとは思えない。

 関東大震災級の津波(高さ10m?)で大きな被害を受けた鎌倉市でさえ、今、あんなやたら海近くまで低層建物ばかりの状態なのだから(大仏さんの所まで来るだろう)。
http://www.kcn-net.org/oldnew/sinsai03.html
http://www.kcn-net.org/oldnew/index.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD


・途方5分以内で逃げる高地が作れない所は、土台をしっかりとさせた防災建物−高さ25m以上かな−を、相当に多く作ること。命だけは助かるように。
・5m程度には耐えられる防潮堤を作ること、
・それが構造上、費用対効果上とてもできない所には、居住自体は許さない土地計画とすること。
しかないのではないかも、と感じた。
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