2011/8/30

菅内閣総辞職−談話と声明  憲法・社会・官僚・人権

菅首相の辞任に際しての発言2つを、備忘録までに載せておきます。「脱原発」その他により、たしかに歴史に残るものとなるかもしれので。
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菅内閣が30日の閣議で決定した内閣総辞職に当たっての首相談話(要旨)

 内閣発足以来、これまで先送りされてきた政策課題に正面から取り組んできた。社会保障と財政の改革については、「社会保障・税一体改革」の成案をまとめた。この問題は、もはや先送りできない。与野党の論議等を通じ、改革が推進されることを心から希望する。

 外交面では、日米同盟を深化させるとともに、近隣諸国との関係強化を推進し、安全保障面でも新防衛大綱策定などに取り組んだ。

 東日本大震災と東京電力福島原子力発電所の事故は、発災直後から被災者の救出・救助に取り組み、その後、復旧・復興に向け、被災地の方々とともに懸命に取り組んできた。

 原発事故の収束に全力を挙げ、「安定的な冷却」状態が実現できた。さらに、エネルギー政策を白紙から見直し、原発依存度低減のシナリオの作成や原子力政策の徹底的な検証、原子力安全規制の組織の根本的改革を行うことを決定した。

 しかし、今なお残された課題は多い。新内閣で、復旧・復興と事故収束に向けた取り組みを一層推進されることを期待する。

 本内閣で、必ずしも十分な対応ができなかった点については、大変申し訳なく思っている。歴史がどう評価するかは、後世に委ねるが、私を始め閣僚全員は、その持てる力の全てを挙げて誠心誠意取り組んできた。今後、新内閣の下で、大震災から日本が力強く再生することを願ってやまない。

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 菅直人首相は8月26日午後、退陣条件としていた再生可能エネルギー固定価格買い取り法と特例公債法が成立したことを受け、民主党両院議員総会で退陣を表明

●「与えられた厳しい環境の下でやるべきことはやった」
菅 国民のみなさんに私からご報告をすることがあります。本日公債特例法、そして再生可能エネルギー促進法が与野党のみなさんの努力によって成立をいたしました。これで第2次補正予算を加え、私が特に重要視していた3つの重要案件がすべて成立したことになります。これにより、以前から申し上げておりましたように、本日をもって民主党の代表を辞任し、そして新代表が選出をされた後に総理大臣の職を辞することといたします。

 まず、国民のみなさんに申し上げたいと思います。2010年6月8日に総理大臣の職に就いて以来、国民の多くのみなさまから多くの叱咤激励をいただきました。温かい激励、厳しい批判、そのすべてが私にとってはありがたくうれしいものでありました。国民のみなさまには心から感謝を申し上げます。また、ともに新しい政治への変革に挑戦してきたみなさんにも感謝をいたします。閣僚を始め、政務三役、政府職員、与党・野党の国会議員。そして全国の党員、サポーター。こうしたみなさんの支えがなければ、菅政権は一歩も進むことはできませんでした。

 政権スタートの直後、参議院選挙の敗北により、国会はねじれ状態となりました。党内でも2010年9月の代表選では全国の党員を始め多くの方々からご支持をいただき、再選させていただきましたけれども、それにも関わらず厳しい環境が続きました。

 そうした中で、とにかく国民のために必要な政策を進める。こういう信念を持って1年3カ月、菅内閣として全力を挙げて内外の諸課題に取り組んでまいりました。退陣に当たっての私の偽らざる率直な感想は「与えられた厳しい環境の下でやるべきことはやった」という思いです。大震災からの復旧・復興、原発事故の収束、社会保障と税の一体改革など、内閣の仕事は確実に前進しています。私の楽観的な性格かもしれませんが、厳しい条件の中で内閣としては一定の達成感を感じているところです。

 政治家の家に生まれたわけでもなく、市民運動からスタートした私が総理大臣という重責を担い、やるべきことはやったと思えるところまでくることができたのは国民のみなさん、そして特に利益誘導を求めず応援してくださった地元有権者のみなさんのおかげです。本当にありがたいと思っております。

 私は総理に就任した時、「最小不幸社会を目指す」と申し上げました。いかなる時代の国家であれ、政治が目指すべきものは国家国民の不幸を最小にとどめおけるかという点に尽きるからであります。

 そのため、経済の面では雇用の確保に力を注いで参りました。仕事を失うということは、経済的な困難だけではなくて、人として、人間としての居場所と出番を失わせることになります。不幸に陥る最大の要因の1つであります。私が取り組んだ新成長戦略も雇用をどれだけ生み出すかということを、そうした観点を重要視して作り上げたものです。

 また、さまざまな特命チームを設置して、これまで見落とされてきた課題。例えば硫黄島からの遺骨帰還や、難病・ウイルス対策、自殺・孤立防止などにも取り組んで参りました。

●今後も原発に依存しない社会の実現に向けて努力したい
菅 そして3月11日の大震災と原発事故を経験し、私は最小不幸社会の実現という考え方を一層強くいたしました。世界でも有数の地震列島にある日本に多数の原発が存在し、いったん事故を引き起こすと、国家国民の行く末までも危うくするという今回の経験です。

 総理として力不足、準備不足を痛感したのも福島での原発事故を未然に防ぐことができず、多くの被災者を出してしまったことです。国民のみなさん、特に小さいお子さんを持つ方々からの強く心配する声が私にも届いております。最後の1日までこの問題に力を注いで参ります。

 思い起こせば、震災発生からの1週間、官邸に泊まり込んで事態の収拾に当たっている間、複数の原子炉が損傷し、次々と水素爆発を引き起こしました。原発被害の拡大をどうやって抑えるか、本当に背筋の寒くなるような毎日でありました。

 原発事故は今回のように、いったん拡大すると、広範囲の避難と長期間の影響が避けられません。国家の存亡のリスクをどう考えるべきか。そこで私が出した結論は「原発に依存しない社会を目指す」、これが私の出した結論であります。

 原発事故の背景には“原子力村”という言葉に象徴される原子力の規制や審査のあり方、そして行政や産業のあり方、さらには文化の問題まで横たわっているということに改めて気付かされました。そこで事故を無事に収束させるだけではなく、原子力行政やエネルギー政策のあり方を徹底的に見直し、改革に取り組んで参りました。原子力の安全性やコスト、核燃料サイクルに至るまで聖域なく国民的な議論をスタートさせているところであります。

 総理を辞職した後も、大震災、原発事故発生の時に総理を務めていた1人の政治家の責任として、被災者のみなさんの話に耳を傾け、放射能汚染対策、原子力行政の抜本改革、そして原発に依存しない社会の実現に最大の努力を続けて参りたい、こう考えております。

 大震災と原発事故という未曾有の苦難に耐え、日本国民は一丸となってこれを乗り越えようといたしております。震災発生直後から身の危険を顧みず、救援・救出、事故対応に当たる警察、消防、海上保安庁、自衛隊、現場の作業員のみなさまの活動を見て、私は心からこの方々を誇りに思いました。

 とりわけ自衛隊が国家、国民のために存在するという本義を全国民に示してくれたことは、指揮官として感無量であります。そして、明日に向けて生きようとする被災地のみなさん、それを支える被災自治体の方々、さらには温かい支援をくださっている全国民に対してこの場をお借りして心から敬意と感謝を表したいと思います。

 大震災において日本国民が示した分かち合いと譲り合いの心に世界から称賛の声があがりました。そして世界の多くの国々から、物心両面の支援が始まりました。必ずや震災から復興し、世界に恩返しができる日本にならなくてはならない。このように改めて感じたところです。

 特に、大震災に当たっての米国政府によるトモダチ作戦は、改めて日米同盟の真の重要性を具体的に証明してくれました。安全保障の観点から見ても、世界は不安定な状況にあります。我が国は、日米同盟を基軸とした外交を継続し、世界と日本の安全を守るという意志を強く持つ必要があります。5月に日本で開催した日中韓サミットでは、両国の首脳に被災地を訪問していただき、災害や困難に直面した際に互いに助け合うことの重要性を共有できたと思います。

 また今、世界は国家財政の危機という難問に直面しています。私は総理就任直後の参議院選挙で「社会保障とそれに必要な財源としての消費税について議論を始めよう」と呼び掛けました。そしてその後も議論を重ね、今年6月、改めて社会保障と税の一体改革の成案をまとめることができました。

 社会保障と財政の持続可能性を確保することはいかなる政権でも避けて通ることができない課題であり、最小不幸社会を実現する基盤でもあります。諸外国の例を見てもこの問題をこれ以上先送りにすることはできません。難しい課題ですが、国民のみなさまにご理解を頂き、与野党で協力して実現してほしい。切に願っております。

 私の在任期間中の活動を歴史がどう評価するかは後世の人々の判断に委ねたいと思います。私にあるのは「目の前の課題を与えられた条件の下でどれだけ前に進められるか」、そういう思いだけでした。伝え方が不十分で、私の考えが国民のみなさまに上手く伝えられず、また、ねじれ国会の制約の中で円滑に物事を進められなかった点は、大変申しわけなく思っています。

 しかしそれでもなお私は、国民の間で賛否両論ある困難な課題にあえて取り組みました。それは団塊世代の一員として、将来世代に私たちが先送りした問題の後始末をやらせることにしてはならないという強い思いに突き動かされたからにほかなりません。持続可能でない財政や、社会保障制度、若者が参入できる農業改革、大震災後のエネルギー需給のあり方などの問題については、若い世代にバトンタッチする前に適切な政策を進めなければ、私たち世代の責任を果たしたことにはなりません。次に重責を担うであろう方々にもこうした思いだけはきちんと共有してもらいたいと、このことを切に願っているところであります。以上申し上げ、私の退任のあいさつとさせていただきます。

●次のリーダーは難しい課題でも先送りしない人が望ましい
――(毎日新聞・田中)本日正式な退陣表明となりましたけれども、この3カ月間、海外との首脳の会談がほとんど行われないなど、政治空白に陥っていたという指摘もありますが総理はそれについてはどういう見解をお持ちでしょうか。また、退陣の理由についてですけれども、総理は先日の国会答弁で「一定のメド」の発言について、「6月2日の不信任案で造反が出れば内閣が機能しなくなる」と懸念したと答弁されていました。この点について、まずそもそもそういう党内情勢に陥ったことについて民主党代表として思い当たる点があればお聞かせください。

菅 まず、この3カ月間私は、例えば復興基本法ができ、2次補正予算が成立し、さらには原子力行政についても保安院を経産省から切り離して新たな安全庁を作るといったことも閣議決定されました。そういった意味で、この3カ月間は大変実り多い政策実行の期間であったと思います。外交においても、ちょうど5月の末にサミットを終えて、この間予定されていた(米国の)バイデン副大統領との会談もできたと、有意義であったと思っております。

 また、私の退陣の理由についていろいろお尋ねでありますけれども、先ほどお話しいたしましたように、私としては、そうした党内の難しい環境を踏まえながら、その中でやるべきことをやっていこうと、そういう考えで進めてきたつもりであります。

――(TBSテレビ・今市)総理の後継を決める民主党代表選挙が明日告示されることになりましたけれども、菅総理が後継の総理に望むこと、託したいことは何なんでしょうか。また総理は、若い世代に責任を引き継ぎたいとおっしゃっていましたが、どういう人物に、後を継いでほしいと思っていらっしゃるのか。また、すでに複数の議員が名乗りをあげているんですけれども、代表選でどなたを支持するつもりでいらっしゃるかについてもお聞かせください。

菅 今、私のあいさつの中でも申し上げましたように、大変難しい時代に入っている中で、やはり何か物事を先送りしていくのではなくて、難しい課題であっても自らの責任で、国民のみなさんに理解を得ながら進めていく、そういう方がやはり日本のリーダーとしてはふさわしい。そしてその中で、現在の復旧復興、そして原発事故の収束、これらについてもきちんとやり遂げることのできる方に、次の代表や総理になっていただきたいとこう思っております。

――(共同通信・松浦)今回の原発事故の際に、総理は事故の翌日に現地に入られました。これがその現場の作業の邪魔になったのではないかとか、一国のトップが被ばくの危険を冒して現場に行くことの是非などさまざま批判が出ました。このことについて、今現在、後悔されていないのかどうか。それともう1つ、今後同様の重大な原発事故が起こった場合に、時の総理大臣は発生直後に現地に行くべきだとお考えでしょうか。

菅 私は、今回の事故が起きて今日までいろいろな、当時、その時点では分からなかったことも分かってまいりました。そのことを考えますと、少なくとも原発事故が起きた時点からしばらくは、本当に炉の状態がどのような状況になっているのかということが、残念ながら伝わってこないというか、あるいは把握されていない状況にあり、またそうした現場の把握がなかなか、間にいろいろな伝言ゲームになっておりましたので、伝わってこないという状況がありました。

 そういう点では、3月12日の早朝に、震災や津波の視察と合わせて、東電福島第1サイトに出かけて、現場の責任者である所長にも会えて、意見交換ができたことは、私は、その後のこの問題の取り組みに大変大きな意義があったと、こう考えておりまして、そうした意味では、非常に意味のある行動であったと私自身は思っております。

 ただ、あえて申し上げますと、いろいろな、何ていいましょうかマニュアルがありました。例えば、オフサイトセンターというところに集まっていろいろ決めるんだということが事前に決まっておりました。

 しかし、オフサイトセンターそのものは、あの地震のために、それこそ電気はつながらない、電話はつながらない、そして人が行こうにも高速道路は走れない、つまりはそういう意味でも、想定した対応ができない状況にあったわけでありまして、一般的にどうあるべきかということで考えることも重要ですけれども、そういう風に、もともと予定していたものが機能しないときに、じゃあ機能しないままに来た情報だけで物事を進めようとするのか、それとも自ら現地に足を運んで、直接に状況を把握しようとするのか、私はそれはその場その場の1つの状況の、それも判断だと思っております。私はそうした判断の中で出かけたことはその後の収束に向けての活動にとって、非常に有意義であったと今でも考えております。

●浜岡原発運転停止後に圧力はあったのか
――(AP通信・山口)大震災、原発事故、それから歴史的な円高、財政困難などいろいろな国難にもかかわらず、政策論争というよりむしろ政局が優先しているというこの事態に被災者を始め、国民も批判をしているわけなんで、米国大統領は例えば1人で4年間勤め上げるんですけれども、日本ではこの4年で、次におなりになる方は6人目の総理ということになっています。政策が行き詰まったりあるいは支持率が下がったらすぐにその総理が首になるという日本の政治はどうなっているのか。海外の方でも日本の超短命政権について関心があると思いますので、この点について、総理はこの半年、今までの方よりも一番ご苦労なさったのにこの質問をするのはすごく恐縮なのですが、ご見解をお願いしたいと思います。それから次の総理には外交問題を含め、どういう政策を期待なさるか教えてください。

菅 日本の総理が一般的に大変在任期間が短いという問題。理由はいろいろあろうかと思いますが、私は構造的な理由としてですね、参議院選挙が3年に1回、衆議院選挙もほぼ3年に1回、つまりは3年に2度の国政選挙がある。そしてその選挙の前には「支持率が下がった。総理は代わってくれ」という圧力がかかり、またその選挙で負ければ、たとえ参議院選挙であっても責任をとれという、そういう圧力がかかっていく。つまりそういう国政選挙が衆参で3年間に2度ある中で、その選挙の度に前後にそうした交代が何度も起きてきている、こういうことに構造的な背景があると思います。

 例えば英国のキャメロン首相は、連立政権を作った直後に「5年後の●月●日に次の総選挙はやります」と言ってその後政策的にかなり厳しい政策をとって、支持率が下がっても国民は次の総選挙まではキャメロン首相でいくんだということを、国民もある意味で野党も含めて前提としている、そういういわば慣習が定着していると思います。

 そういう点では私は日本もやはり、せめて衆議院の任期の4年は、政権交代があった時には同じ首相で続けていくことが、ある意味国民的な、あるいは政治社会における慣習となっていくことが望ましい、このように考えております。

――(フリーランス・江川)「脱原発依存社会を作るのだ」という決意をこの場でも以前、首相は述べられましたけれども、その後「個人的な考えだと発言が変わったりですね、外から見てるとかなりいろんな抵抗にあっていたのではないか、と思われるわけです。脱原発依存社会を作っていくために、今の国の仕組みの中でどこが一番問題があると感じられたでしょうか。また、浜岡原発を止めてから非常に、いわゆる菅降ろしが激しくなった、と見る向きもあります。菅さん自身は、それを感じたでしょうか。感じたとすればどこからの圧力を感じたのでしょうか。

菅 これは先ほどのあいさつの中でも、あるいはみなさん方がよく使われる言葉でもありますが、原子力村という言葉をあげて、そのことは行政の仕組みから、経済界のあり方から、あるいは学者を含めたそういう専門家集団、さらには文化の問題にも関わっているということを申し上げました。

 そういう点で、この原発に依存しない社会を目指すということについては、もちろん私は政治家ですから、まずは行政や仕組みのあり方を改革しようとして、取り組んでいるわけですけれども、それを超えての取り組みが必要だと、このように感じております。

 浜岡原発の運転停止を要請した後に、そういうある意味での圧力が強まったのではないかというご指摘でありますが、これはなかなかですね、1つの感覚ですので、証拠をもって言うことは難しいところはありますけれども、しかし、非常にある意味厳しい指摘や、いろんな厳しい状況がより強まったということは私自身は、ひしひしと感じておりました。

 しかし一方では、それを超える大きな力もわき上がってきているということを感じておりましたので、これからしっかりと、この原発に依存しない社会の実現には、取り組んでいくし、十分その道はひらかれていると、このように感じております。

――(読売新聞・穴井)2009年の政権交代を成し遂げたマニフェストなんですが、菅政権ではこの一部を見直すことに取り組みました。今また代表選でマニフェスト見直しを巡って論争になっておりますけれども、このマニフェストを見直さずに政権を運営するということが可能とお考えになったのかどうか、マニフェストを大胆に見直さなければ誰が総理になっても政権運営できないとお考えなのか、その辺はどうお考えでしょうか。

菅 現在、マニフェストの見直しを岡田幹事長を中心に進めて、確か今日ですか、マニフェスト中間検証を発表したと承知しております。マニフェストについてはいつも申し上げますように、大変国民との約束という意味で、重要な約束であります。そして、2009年のマニフェストについて、相当程度実現したところもあります。

 しかし、すべてが実現できたか、あるいは当初予定した財源の捻出が可能か、ということになりますと、かなり難しいところ、あるいは見通しの甘かったところも、率直なところありました。そういった意味では私からも、国会の場でそのことを認めて、おわびを申し上げたところです。

 そういった意味で、マニフェストの重要性は変わりません。しかし、それをあるレベルの見直しをしていくということはこの間、党としてもやってきたことですし、それは一定の理解を党内で得て、今回の中間検証になったものと、そのように受け止めております。

●首相は衆議院の任期である4年はやった方がいい
――(フジテレビ・松山)同じく民主党代表選についてなんですけれども、今回の代表選の中で候補者乱立する中、再び小沢元代表のグループの動向というのが、結果を決定付ける重要な要素となりつつありますけれども、小沢氏らの党員資格停止の解除などが焦点となっている今回の事態について、総理自身どのように受け止めていらっしゃいますでしょうか。また、その幹事長などに小沢氏に近い人を配置してでも、党の挙党一致体制というのを図るべきだと認識されますでしょうか。また、今回新しく代表が総理に就任された時に、総理自身は「日本の総理は長くやった方がいい」とおっしゃっていましたけれども、その新しい総理が解散総選挙を行うべきと、お考えになりますでしょうか。

菅 まずは、私自身も決して何か特定のグループを排除していいとか、排除しようとか思ったことは一切ありません。今、党員資格の停止のことをお聞きになりましたけれども、これはもうみなさんご自身よくお分かりのように、一定の手続きに則って党内で議論に議論を重ねて、ああした結論を出したもので、決して何か特定の人とか、特定のグループを、何かこのターゲットにしてやったことではなくて、どなたがそういう状況になった場合でも、党のルールとしてどうあるべきかという、そういうことで決まったものだと、このように認識をしております。

 そういった意味ではやはり、私はある時期「412人の内閣」と申し上げましたけれども、それはまさに党に揃っているすべての国会議員、あるいは地方議員や党員も含めて、そういうみなさんが、まさに能力に応じ、適性に応じて適材適所で活躍をできる、そういう政党が望ましいし、そういう形で新たな代表も党を運営してほしいと、このように思っております。

――解散総選挙も次の総理が行うべきと、お考えになりますか。

菅 先ほど申し上げましたように、総理の任期というものが、一般的にいえば「政権交代があった場合に、衆議院の任期の4年はあっていいのではないか」と思っております。解散の時期にうんぬんと、それを直接的につなげてすべきか、すべきでないかと質問されると、ちょっと何か、真意が伝わらないこともありますので、私としては、やはり1人の人が4年程度はやれるのが望ましいと、その間に任期がくれば、それは任期ですから、当然解散というよりは任期満了を含めた選挙になることは、それはルール上当然のことだと思ってます。

――(朝日新聞・坂尻)原発の警戒区域の見直し問題についてお伺いいたします。政権ではこれまで、2012年1月のステップ2の終了に合わせて冷温を停止すると。それに合わせて警戒区域の見直しを検討するという姿勢でいらっしゃいましたが、最近になってその政権内で、なかなかすぐに解除をするのは難しいと、相当期間解除を先延ばしにしなければならない、という検討をされていると伺っています。実際にそういう実態があるのかどうかということと、これまで説明してきたことを、いわばこの政権、今の段階というか土壇場になって、こういう姿勢を変えられるというのはどういった事情だったのか、その点説明していただけますか。

菅 ご承知のように原発事故が発生して、避難区域を一番最初の段階では3キロ、5キロ、10キロ、20キロと拡大をいたしました。また、その後そういう円状の地域という考え方だけではなくて、実際にモニタリングが進む中で特に線量の高い地域について、色々と計画的避難区域などの対応をとってきたことは、みなさんもご承知の通りであります。

 そういった意味で現在、今日の決定でありますけれども、除染を進めるということを本格的に、2200億円の予備費を使って始めようと、その目標もその中にきちっと表現をしました。つまりは、年間被ばく20ミリシーベルトを超える地域は、基本的にはいま住民が避難をされているわけですが、できるだけその地域に戻れるように、狭くするというか、戻れるように除染をしていこうと。また、20ミリシーベルト以下のところであっても、特に子どもさんについてもそうですが、1ミリシーベルトを目標にして、しっかりと自治体と一緒になって除染を進めていこう、それに対して国も全力を挙げようということであります。

 それでは、それらを進めればどこまで実際に除染の効果が出るか、今現在そういうものも専門家のみなさんも含めて検討をいただいているところでありまして、その検討の中でどの時期までにそうした形が取れるのか、あるいはかなりの長期間そういうことが難しい地域があるのか、そういったことについてもモニタリングと専門家のみなさんの検討を、お願いをいたしているところであります。

 そういった意味で今何か方針が変わったようなご質問がありましたけれども、そういう方針が変わったというのではなくて、「できるだけ多くの方に早くもとの住まいに戻っていただきたい」という、その考え方は変わっておりません。しかし、実際にそれが可能であるかないかということは、これはまさにモニタリングをしたり、色々な現実を調べる中でそういう専門家のみなさんの判断も含めて必要になりますので、そういうことについては、そうした専のみなさんの判断も含めて、考えて方向性を出していかなければならないと、このように考えております。

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