2010/12/12

オウム裁判と15年間の変化−その1  カルト・宗教・犯罪

以下は、2010.7.9.発行の日本脱カルト協会会報15号のために記述したものですが、今年もそろそろ終わりなので、転載しておきます。
−ご参考までに。著作者友北こと滝本太郎

なお、この文章で引用している同会報9号(2005年4月6日発行)「オウム真理教裁判の10年」の原稿は、下記にPDFであります。
http://www.jscpr.org/other/Aum_10years_J.pdf

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オウム裁判と15年間の変化−その1

オウム裁判と15年間の変化
                 弁 護 士  滝 本 太 郎

「通知人は、2009年8月貴団体に入会し、***師こと***氏、***師こと***氏らの指導を受け、蓮華座修行、マントラ、麻原彰晃こと松本智津夫のビデオ教学など受けたが、一連のオウム真理教事件について改めて検討するうちに疑問を持ち、問うたところ『今、気にしないことが貴方のためなのよ、修行の妨げになる』などといわれ益々疑問に持ち、諸資料を見て、教団の欺瞞性に気がついたことから、****」
と、脱会を通知したのは、2010年になってからです。高校の部活の先輩に誘われて入信していた女性だった。事件当時は11歳であり、テレビの向こう側の事件だった。誘われて行ってみたら「良い人」ばかりだったとのこと。オウム事件が、「良い人」が「良いことをするつもり」の宗教殺人だったという恐ろしさが知られていない。

 以下、この15年の様々な情報を整理して報告します。
一連の刑事裁判に関しては会報9号(2005年4月6日発行)に詳しく記してあるので、その後の情報を報告します。

第1 刑事裁判に関して
1 死刑は13人
死刑が確定したのは、2010年5月末日現在、松本智津夫、宮前一明(旧姓は佐伯、岡崎)、早川紀代秀、新実智光、端本悟、横山真人、井上嘉浩、林泰男、廣瀬健一、豊田亨の10人である。うち、宮前、林泰男、井上が再審を請求している。松本については、2008年11月再審請求したが、2009年3月17日棄却されている。

地裁・高裁で死刑が言い渡されて最高裁に上告中なのが、土谷正実、中川智正、遠藤誠一の3人である。無期懲役は林郁夫、北村浩一、外崎清隆、杉本繁郎、中村昇の5人であり全員確定している。結局、マインド・コントロールについての判決上の記述は、会報9号で紹介した程度にとどまった。

各事件の概要と判決結果は、末尾で紹介のホームページ「無限回廊」で、整理されている。なお、筆者は井上嘉浩被告に対して、最高裁判決の2009年12月10日、「簡単には死なせない。まだまだ生きていてもらうから覚悟しておいて」と言ってきた。

2 教祖の死刑判決は、弁護人の基本的ミスで確定した。
教祖松本の刑事裁判は、一審の2004年2月27日死刑判決の後、意外な形で確定してしまった。出すべき書面が期日までに提出されなかったことを理由に、2006年3月27日東京高裁から棄却されてしまったのである。

すなわち、高裁では、地裁と異なり、教祖の三女らの依頼で2人の弁護士が私選弁護人に就いた。その2人は、2005年8月31日までに出すべき控訴趣意書につき、訴訟能力がなくなっている、意思疎通もできないから、として提出しなかったのである。裁判所は、訴訟能力はある、意思疎通できなくとも提出する制度であると判断した。実際に先立つ判例でもそうなっている。高裁は2006年5月29日に異議申立を棄却し、最高裁も同年9月15日に特別抗告を棄却し、死刑が確定した。弁護人は、2008年11月再審請求したが2009年3月17日棄却。

なお、高裁弁護人の2人が控訴趣意書を出さずに確定させてしまったことにつき、2006年9月25日に筆者、後に一市民と東京高裁事務局長が、所属している各弁護士会に懲戒を請求した。仙台弁護士会では2008年9月戒告の処分、第二東京弁護士会は2009年7月業務停止1か月の処分とした。両者から不服申立を受けた日弁連は、2010年3月、両者を戒告とした。
  教祖のそのまま確定した地裁判決は、末尾で紹介のホームページ「カナリヤの詩」の中にある。

3 逃亡犯と時効、未解明とされること。
逃亡犯は、地下鉄サリン事件の送迎役などの高橋克也、爆弾製造関与の女性K、假谷さん監禁致死事件の平田信の3人である。なお、公訴時効は、共犯者の裁判係属中は進行を停止していたから完成していない。そして殺人罪については、2010年4月27日成立・施行の法改正により、完成していない事件にも遡って、時効制度が廃止された。

國松警察庁長官銃撃殺人未遂事件(1995年3月30日発生)は、2010年3月30日被疑者不詳のまま公訴時効が完成した。警察は、2004年7月28日、在家信者の警察官を含むオウム真理教関係者を逮捕したが、嫌疑不十分により不起訴とされていた。「脳機能学者」苫米地英人氏による催眠術を使った元警察官被疑者への対応が、最後まで問題であった。
時効完成後、警察は「実行犯や共犯者を特定できるだけの証拠はなかった」が「オウム以外にいるとは考えていない」と記者会見で述べ、更に16頁に上る報告書をホームページに1か月間掲載した。

 村井秀夫刺殺事件(1995年4月23日発生、翌日死亡)の背後関係は分からないままである。同人は、地下鉄サリン事件につき教祖から実行犯らへ指示する重要なつなぎ役であった。暴力団構成員徐裕行による現行犯事件だが、同人は大幹部の上祐史浩や青山吉伸を襲うチャンスがあったが襲わず、村井を狙っている。同人は懲役12年となったが、指示したという暴力団の若頭は無罪が確定し、背後関係につき裁判所も疑義を呈している。

  その他、未解明のこととして「松本サリン事件に関する一考察」という文章が1994年11月頃から出回っていて、作成者は分からないままである。同年6月27日夜発生の松本サリン事件につきオウム真理教がしたと分析したA4で10ページほどのものである。ただ、サリンを氷の中に閉じ込めていたなどという、真実と異なりまた科学上もあり得ない仮説である。
薬物を暴力団に売っていたなどとの暴力団員数名が流した噂は偽りである。オウム側の関係者はすべて否定し、具体的な裏付けもない。筆者は、不動産取得について山口組系後藤組とオウム真理教との1988年頃から数年間の一部接触を確認しているが、坂本事件さえも同暴利団に依頼したものでなかった。

オウム真理教の施設からは、LSDが111.881g、覚醒剤が159.156g、メスカリン硫酸塩が3000.939g発見され、後に裁判の早期結審のために取り下げられたが、薬物製造使用事件の証拠とされている。

4 出所と影響
オウム事件で有期懲役刑を受けた高位者は、次々と出所してきている。うち「正悟師」であったものとしては、滝本サリン殺人未遂事件などの青山吉伸元弁護士が2009年に出所し、関西の実家近くに戻っている。教祖の妻であり「正大師」である松本知子は、離婚しないまま後記の通り実質教団に戻っている。
長期受刑者でオウム集団に戻っている者はそう多くない。が、裁判中も教祖への帰依を強調してきた高位者1名が2010年夏、出所して教団に戻ると思われる。

5 獄中の状況、信者への説得活動
宮前は、獄中でペン画を描き各種展覧会で入選するなどしている。拘置所には廊下に造花植物があるだけで、外の景色もまともに見えず、運動の際も空が見えるだけであるだけである。精神的に不安定になり、再び宗教書に埋没する被告人も少なくない。廣瀬被告の裁判は精神的な状況から一時公判停止となった。中には、心底脱会したのであっても、現実感覚を失い教祖が植え付けた地獄の恐怖もあいまって、再びオウム真理教の教えに縛られるものが出るのではないか、と心配される。

被告人のうち、林郁夫や井上のみならず、宮前、廣瀬、豊田、早川、端本、林泰男、杉本らは、それぞれの仕方で教団信者の脱会や、社会・学生らに向けて教団の本質、危険性を伝える活動をしてきた。ために、教団側は、一部被告人については面会に行かないよう制約していた。
刑が確定、まして死刑が確定してしまうと、通信・面会が著しく制限される。獄中から信者への説得活動はできず、残念である。

オウム真理教家族の会(旧「オウム真理教被害者の会」会長永岡弘行)は、死刑が確定した弟子9名について、これを執行しないように署名運動を展開している。

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