2009/7/22

GWの旅21  飯田線の旅

 伊那本郷の後は、なんと言っても田切だ。しかし、田切も昔に比べるとだいぶ寂しくなった。ダイヤの悪化(JRの人には悪いが・・)や貨物の全廃、小松屋や下村酒店の閉店等々、マイナス要素が多かった。それでも、僕らは田切に寄らずにはいられないのだった。
 さて、田切駅下駐車場に車を留め、ホームに上がる。築堤上のホームは眺めがよい。待合いに一歩はいると!壁に焼けこげた跡がある。これは階段側の壁で、ここには有線電話(町内専用の電話)が有ったはずだ。どうやらそれが燃やされたらしい。
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 こちらは反対側の角。ここには何もなかったから、張り紙でも燃やしたのだろうか?
待合いは窓のアクリルを除けば一応不燃材なので、これ以上火が大きくなりにくいだろうが、それにしたって放火である。かつての木造壁面だったら丸ごと燃えていただろう。落書きとは別次元の問題である。
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 気を取り直して、旧田切駅の跡地。現在の駅から伊那市方向に見える踏切の所である。旧田切駅はここにあった。現在はホームの跡もほぼ崩れてしまい、それと知らなければ駅があったとは思えない。木造の駅舎があった跡にある記念碑。初めて明かすが小松屋のおじさんはこれが嫌いだった。碑石の上で部長がたたずむ。
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 碑の礎石の裏手。これを見てなんだか分かる人はなかなか田舎人である。
乾いた砂地にすり鉢状の穴。これこそ「蟻地獄の巣」である。しかも乾いた場所にびっしりと巣がある。これはつまり蟻地獄にとって大変条件の良い場所なのだろう。つまり「蟻地獄天国」だ。逆に蟻にとっては、それは恐ろしい事だろう
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 最後に、田切旧駅の急カーブを通過する普通列車。ここにホームがあった。この車両は313系だったろうか?飯田線北部でもよく見るようになった。その内、お馴染みの119系に替わってこれが当たり前になるのだろう。
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