2010/9/16

青森・北海道旅行07  その他

 気動車に乗って津軽二股駅まで戻り下車する。ここで津軽線から北海道に入るための海峡線にスイッチするのだ。海峡線の駅は津軽今別駅でまったく別の駅だが隣り合ってくっついている。だから歩いて簡単に移動するのだ。
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 見てのとおり津軽二股駅のホームの端から築堤上に登る連絡通路がある。屋根もついた通路だから雨でも少しは安心だ。築堤の上に「津軽今別駅」と看板が出ている。これだけ近くて、しかも通路で連結していても名前が違うとおり別な駅なのだそうだ。これに比べたら武蔵小杉駅や、東京駅での山手線から京葉線への乗り換えのほうが、同じ駅だと名乗ってるのに乗り換えの通路が10倍以上長いように思うが・・。 
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 通路を歩いて登り、今度は築堤上から津軽二俣駅を見下ろす。高さに多少の違いはあるが線路は平行しているし、これだけ近い。でも別の駅。
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 と言うのも、津軽今別駅のほうはJR北海道の管轄だと言う。津軽二俣駅は当然JR東日本だ。会社が違うのだから別の駅でも仕方あるまい。ちなみに津軽今別駅は本州にある唯一のJR北海道の駅でもあるらしい。ここで海峡線に乗り換えれば、青函トンネルをくぐって北海道上陸だ。
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 白鳥が入線してきた。
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 白鳥の車内にて。ご覧のとおりビール片手にほろ酔い加減だ。窓の外はトンネル内だから真っ黒。さすがに長いトンネルで、いつまで経っても出ないな〜と思っていたら、
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 スポッと抜けて明るくなった。ここはもう北海道だ。部長も初上陸の北海道に興奮を隠しきれない。上の写真と見比べると局長がまったく同じ形で固まっているのが面白いが、これは連写によるいたずらです。
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 函館駅に到着。かつては海峡を船で越えていたルートだが、地面の下を列車で越えたのだ。
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 函館で下車観光です。
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2010/9/14

青森・北海道旅行06  その他

 シリーズ再開です。
海底トンネルの坑道を見学したら、もう余り時間がないのでタクシーを呼ぶ。来たときはバスだったが、帰りもバスにすると、本数が少ないのでこの先の行程が厳しくなってしまうのだ。

 記念館の全景写真。アジサイが満開なのがわかる。あたりにはまったく民家やら商店やらの建物がなく、ただ荒涼とした草原だ。そんな中に突然というか不自然にと言うか、こんなモダンな建物が1棟だけが建っている。お土産や以外に食堂もあるから、時間に余裕がある人は龍飛崎を見ながら食事も楽しめる。
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 外は「道の駅」になっているようで、大きな駐車場(何しろ周囲は何もない草原だから、平らに均しさえすれば駐車場はいくらでも作れるのだ)とトイレがある。自販機があったかもしれない。そして野ざらしでこんな展示物たちが置かれている。坑道へ至る斜坑を下るための傾いたトロッコ車両。
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 こっちは坑道を水平移動するための、傾いていないトロッコ車両。
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 トンネル内に敷かれた3線軌道。在来線と新幹線が通行可能というわけだ。
 道の駅と名乗っているが、いわゆる道の駅として利用している車両は見当たらない。青函トンネルが開通して幾星霜、今となっては訪れる観光客は少ないのだろう。建物もだいぶ傷んでいたし、展示物も壊れて動かないものが結構あった。そしてこれらの野外展示物も、龍飛の厳しい自然環境の中で朽ち果てつつあった。
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 タクシーが来たので早速乗り込んで三厩駅の戻る。これは駅前にあった地図看板。右下の赤い三角矢印が三厩駅で、左上の緑の丸が龍飛崎。こうして見ると結構いい距離がある。 
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 三厩は終点の袋小路駅だから、当然来た道を帰る。これが帰りの気動車で、来たときと同じ型。
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 最後に、三厩のホームから見えたこれ。これは一体なんだろう?駅構内ではなくすぐ横の恐らく私有地の畑の中にある。何かに役に立っているふしがまったくないが、それにしては凝った造りの小屋だ。
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 次の目的地は、青函トンネルをくぐり北海道上陸である。
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2010/9/6

今年の夏も終わり・・田切駅大掃除  飯田線の旅

 北海道・青森旅行シリーズが終わっていないが、実は先週夏の田切駅大掃除に行ってきた。だからといって中途半端に打ち切って新シリーズをはじめるのではなくて、この掃除旅行で感じたことを忘れないうちに書いておこうと思う。

 今年の夏はものすごく暑かった。ここ何年か田切の夏掃除は8月が過ぎて9月の第1週目の週末に行っている。そこで、掃除をして旅が終わると「夏が終わって秋になる」といった少し寂しい意じがあった。しかし今年は掃除が終わっても「夏がまだ続いてて秋になってない」気分だ。旅行の細かい行程はそのうち始める「田切夏掃除」シリーズで紹介するとして、田切駅下の現を紹介しつつ昔話をしよう。

 その昔、築堤上の無人駅の田切駅の階段を下りて、続く路地を下ると2軒の店があった。雑貨屋の小松屋と、酒屋の下村商店だ。10年以上前、僕らは駅を降りると小松屋で食材を仕入れ下村で缶ビールなどを買って、中田切川の川原まで歩いて行って遊んだものだった。僕らが飯田線に行き始める遥か以前、いわゆる旧型国電があった頃にも撮影に訪れる鉄道ファンは小松屋の世話になったはずだ。それが時代の流れで閉店して、旧店舗の建物も普通の住宅に建て変わった。下村さんは今でも店舗時代の建物がそのまま残っているが、看板の類はなくなった。

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 路地から見上げる田切駅。駅自体に小さな変化はあるものの、ここ十年来この景色は変わらない。

 しかし今でも、下村商店・・という言い方も、店を閉めてるから正確ではないけど。・・・で、田切駅のスタンプを保管してもらっているので、田切に行ったら少し足を伸ばして店だった頃から変わらない入り口の引き戸を開けて声を掛けてみるといい。今回僕らも掃除が終わった後で、下村さんに挨拶するために伺った。下村のおばさんに会うのは久しぶりだったが、相変わらずお元気そうだった。予てより馴染みの僕はいろいろと話しをたのだが、小松屋のおばさんが亡くなったということを聞かされた。もう何年も前に体調をくずして入院していたのだが、今回改めて亡くなったという事実を聞いて、なんともやりきれない気分だった。かなりのお年だったこともあり何れはという思いはあったが、直面するとやはり重い。体調が回復したらまた店を開けたいとおっしゃっていたのだが。

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 写真手前左が小松屋だった場所。右側にあった建物が解体され更地になっている。

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 更地の状態。この路地を上がった先に旧田切駅があった。

 飯田線も僕が行き初めてからかなり変わった。田切のある北部だけでも、急行型車両だった快速みすずが消え、貨物列車が消え、列車本数自体が激減し、有人だった駅が無人化し、伊那谷駅弁がつぶれて駅蕎麦がなくなり・・・なくなっていく物だらけだが、今回は小松屋が完全に記憶の中だけのものになった。

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 下村のおばさんが、「あ〜るの景色もうちの前だけになっちゃったね」と寂しげにおっしゃったのが印象的だった。

 最近でも田切を訪れる人は結構多いようだ。そのうちの何人が下村商店の存在を知り、スタンプを押しに訪れているのだろう。つまり、何人がただ無人の駅とその周りを見て写真に撮るだけで帰ってしまうのだろうか。
 やはり、今年の夏も終わったのだ。
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