2010/10/21  21:34


1997年6月16日

本栖湖からは家に直行できるまでの距離だったが、家に帰って家族に会うのがとても嫌だった。
また、本栖湖からはあまりに順調に走ってしまったので、自分の中でアッサリと旅を終わらせるのが妙にためらわれたのだ。

IB君に泊めさせて欲しいと電話をしたら、OKになったので、ホッとして彼の所へ向かった。
もしダメだったらまた河原でテントかなと思った。

IB君とは派遣会社で知り合い、工場で一緒の現場に居た仲間だった。
彼はデザインの専門学校の夜間学生だった。
猛烈に宿題が出るので、火の車らしい。
グラフィックデザインでもしたいのだろうか。
あまり突っ込んだ話はしなかったが。
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朝、彼の家を出発。
座架依橋で別れ、ちょっとウロウロした後、海老名へ。
STさんのジムニーにメモを挟み、帰路へ着く。
9:40
メーターは27609.3kmだった。
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50cc日本一周の旅これにて完了。
ベンリイCD50よ、ありがとう。
金を稼いだらすぐ修理してやるからな。ちょっと待っててくれ。

家が見えて、まず気付いたのが外壁が塗り替えられてたこと。
バイクを入れ、庭から居間を覗いたら母がちょいと驚いた顔をして、そして帰ってきたか、という顔をして窓を開けた。

旅は終わった。
後片付けをしなくてはならないと思うととてもめんどくさい。
家に帰るのがとても恥ずかしく、逃げ出したいくらいだ。

バイクが壊れなければ、そのまま北海道にでも行ってしまいたい気もする、と言うのはウソで、次のステップ徒歩日本縦断への新たなスタートが切られたと思った。

・・・・え?まだやるの?・・・・

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総走行距離 23273km
ガソリン消費量 324.12ℓ



=== 原付日本一周記  完 ===
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2010/10/20  17:23

あと一歩・・・旅をふり返る  1996〜97原付日本一周後半編

1997年6月15日

本栖湖にて
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・・・間に3週間の中止期間を挟む形で、約1年間に及ぶ日本一周50cc原チャリの旅はもうすぐ終わりをむかえる。
僕の荒んだ気持ちを、50ccで走るというパフォーマンスによって打開しようとしたが、ただ走って他の地へ行くだけでは何の意味もない事を知り、北周りの前半を終えた。

間に2級建築士の図面試験があったが、わずか2週間の要領の悪い勉強で合格するはずもなく、2級建築士の夢は夢で終わる。
合格・不合格に関係なく、心の整理がついたところで後半の南周りが始まった。
この時点で、まさか南の果ての島でバイトをする事になるなど心の片隅ににも上らなかった事だ。

秋から冬にかけて寒かったが、南で何かありそうな予感がしていたので、例え一人でもそれほど寂しい気持ちは無かった。
いや、でも心のどこかではきっと寂しかったのかもしれない。
無理矢理自分にウソをついていたのかもしれない。

南へ下るにつれ、何だか面白いヤツらがチラホラと姿を出し始めた。
ほとんどの連中が夏の北海道行を経験しているのも面白い傾向だ。
一癖あるやつらは何かとへき地に集まってくると、この時はじめて分かった。

ひょんな事から、うわさの石垣島の米原に行く事になり、それが僕の後半南周りの最も大きな、そう、僕の生きる道の転換点だったと今も強く感じている。
米原で金を使い果たし、この近辺でバイトをしなくては絶対に帰れない状態まで自分を追い込んだのも、単に旅費を稼ぐ以外に「何か」を期待した為だと思っている。
ではその「何か」とは何か。
一重に自分の精神的、内面的な変化の事だったのではないかと思う。
出来るなら生まれ変わるほどの以前の自分とは全く異なる自分への変化。
時々聞こえる鹿の鳴き声を聞きながら、静かな湖畔で、もうすぐ終わりを迎える旅を振り返った。
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13:05
本栖湖畔出発。
スポークの折れ新たに1本発見。
これで6本目。寄り道は中止。家へ直行する事にする。

16:35
IB君に電話。
この後久しぶりに家に電話。しかし不在。
17:10
IB君宅着一泊させてもらう事に。
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2010/10/3  18:06

旅の終わりに近づく  1996〜97原付日本一周後半編

1997年6月13日

滝木キャンプ場出発。

12:30〜13:30
岐阜県の365号線沿いのコンビニで昼食とルート選定をしていた時、ふと空を見上げたら、太陽周りを囲むようにリング状の虹が出来ていた。
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これはその時に描いたスケッチ。

14:20〜14:57
「ユートピア」にて風呂。350円。

19:00
矢作川沿いにてテントを張る。

6月14日
8:50出発。
今朝、新たに後輪のスポーク1本の折れを発見。
心臓が高鳴る。これで5本目だ。
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写真では4本が折れた時の記録のみ。

冒険と無謀は違う。
しかしこれは一種の賭けだ。
あともう少し。ガンバレベンリイCD50。
カーブの時はなるべくバイクを倒さないよう、なるべく後輪に横の力をあたえないよう心がけ、速度を一定に保ち、かつ均等に後輪が転がるように努める。
歯抜けになった後輪に均等もクソもないのだが・・・。

12:20〜12:47
362号線沿いの河原で昼食。

17:22道の駅とみざわ。

18:50本栖湖着。湖畔にテントを張る。
この日の走行距離301.3km。

天竜川の源流まで行きたかったが、地図を見ていて、今のベンリイ号の状態では行けそうも無いのであきらめ、昨年通った天下の国道1号線を通る事ににした。
しかし、何から何まで1号線を通るのもつまらないので、バイクには申し訳ないが、違うルートを走ったりもした。
301号線や52号線ではヘアピンカーブや急勾配多く、冷や汗ものだった。
しかし、何とか本栖湖にたどり着く事が出来、良かったと思う。
「家」への輪郭が強くなってきたのは否めない。
また、AYさんの思いも強くなってきた。
いや、それだけではない。
IB君、STさん、TKNさん、ABさんなどなど、知り合った顔ぶれが強く頭に浮かんでくるようになってくる。

しかし、今日はとんでもなく走った。(※50cc原付バイクとしてはの意味)
新潟の暗中雨天の時の次に走ったのではないか。
計算したら、300kmを超えた。
街中の国道走行は、白バイがウヨウヨだし、車も渋滞し、信号がやたらに多くてイライラする。
おまけに空気も悪い。
暑さも沖縄のような天然の暑さではなく、人工的に作られたような、よく言われるヒートアイランド現象的な暑さなので、気持ち良くない。
ツーリングでは国道街中を走るものではないなとつくづく思った。

さて、本栖湖まで来れば、帰還まではもう射程圏内だ。
何とかなりそうだ。
しかし、最後まで気を抜かずに走り通そう。

1年がかりの日本一周の旅が、なんとか完成できそうな所まで来た。
いろんな事があって、これを忘れる事の方が難しいだろう。

全く別の人格になるほどに変わる事はなかったが、かなり心の中はリフレッシュする事は出来たと思っている。
ただ、社会復帰の前に何だか旅にハマリそうで、そこら辺が微妙なところ。
その選択はどちらも不安であり、楽しみである。

今(1997年当時の事)パッと頭に浮かんでいるやりたい事を書いておこう。
○カリフォルニア州にあるセコイアの木の森に居る、地球上で最大の生き物「シャーマン将軍」に会いたい。
○スミソニアン、チャンプリン、プレーンズ・オブ・フェイムへ行きたい。
○ヒマラヤの山々を見たい。
○日本縦断3000kmを歩く。そして、写真がメインではなく、スケッチを主にやりたい。着色は主に色鉛筆。そして、日本一周で行きそびれた所へ、この時に行こう。
○ヨーロッパゴシック建築探訪の旅。主に鉄道で。
○ドイツ、バッハ探訪。オルガン探訪。
○ギターを弾けるようになる。
○20代の僕のエネルギーの保存。創作。
○中型バイクの免許を取る。

・・・こんなところだろうか。

とにかく家に着いたらバイト探しだ。
短期に金が稼げるバイトをしよう。
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2010/10/1  21:24


1997年6月12日

8:50
鴨川出発 晴れ
ベンリイ号の後輪がギシギシいってとても心配。
バイク屋数件当あたるが、スポークのストックが無く修理出来ない。
荷物軽量化のため、不用品を郵便局にて送る。

12:00
八幡市(やわたし)安居橋前にて休憩。

12:00〜13:50
飛行神社。入館300円。

SEちゃんのくれた京都ガイドに、八幡と言う所に飛行神社とい所があった。
2人で、どんな所だろうね?と言っていたものだ。

今日、試しに来て見て、まず入り口にドーンと置かれた、F-104スターファイターに積まれていたターボジェットエンジンに圧倒された。
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奥は資料館になっていた。
境内には、プロペラや朽ちたエンジンがあり、社はまだ建て直されたばかりらしく、新しかった。
ステンレスの鳥居というのも「飛行機」っぽくて面白い。

ここは二宮忠八(にのみやちゅうはち)・・・日本の近代重航空機のパイオニア・・・に関係する所であった。
れっきとした航空のための神社であった。
歴史は思ったより古く、大正8年とのこと。
個人の私財を投じて作られた、立派な思想を持つ神社だった。
資料館は300円で、充実した冊子が付く。

ライト兄弟の成功により、この時同じくして開発しようとしていた飛行機の研究を断念し、製塩会社に方向転換したようで、展示用のガラスケースの片隅に、塩が展示されていたのには、失礼だが笑ってしまった。

飛行文庫と言うのがあって、本棚には古今の飛行に関する本がビッシリと並べられていた。
鍵がかかっていて読む事は出来なかったが、のどから手が出るほど欲しい本がたくさんあった。
ここまでくると、もうマニアだ。

展示室にはテレビがあり、オランダ国営放送のビデオが流されていた。
主題は日本のジェットエンジンの技術史のようだったが、航空機の歴史も紹介されていて、外国の番組なのに、ものすごく日本の飛行機の歴史が分かりやすく映像で見る事が出来た。
相当マニアックな記録フィルムも出ていて、目が釘付けになった。
連山の初飛行、飛燕の記録映像、99式襲撃機の機下から撮られた迫力ある滑走シーン、T-1の初飛行フィルム(白黒)などなど。
バックに流れるBGMが中国っぽくて変だった。
冒頭に自衛隊のF-1、F-4、F-15の派手なフライトシーンは何の関係があったのか定かではないが、面白かった。

忠八氏の製作した玉蟲型機を復元し、飛ばしたシーンもあって、これも面白い。
結果として、一般の人には縁遠い神社ではあるが、飛行機好きの自分にとては、非常に面白い所であった。

しかし・・・流線形のハイテク機のイメージに天照大神と白い袴というのはとてもアンバランスな感じがした。

忠八氏の飛行研究と言うのは、凡人の自分から見ても、優れた物だと思った。
明治の時に日本にこんな素晴らしい事をしていた人が居たと言うのが誇りに思える。
研究をまとめた資料が、十数冊の紙に清書されて展示してある。

カラスの降下の時の翼の角度の事が書かれていたり、飛び魚のヒレの事について書かれていたりと、観察対象が日本らしいなと思った。

僕の気を引く所は長居は必然だ。いつもそうである。
だいたい2時間は居座る。

満足してここを出発した。
国道1号線は、排気ガスがすごくてたまらない。
307号に入った。
しばらくして、たぬきの焼き物で有名な信楽市に入った。
いたる所にたぬきの置物がたくさん並べられていた。もちろん売り物である。
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小さいやつは1300〜2000円位。一つ欲しかったが金が無い。また来よう。
見たという満足と今度また来ようという楽しみ。
どっちも良い。

家に近づくにつれ、バイト、金の事を現実的に考えるようになった。
そして、次の旅の行動についても。

18:30
滋賀県の1号線近くの滝樹神社の隣の滝木キャンプ場着。
巨大な杉が目を引く。
設備も整っていてなかなか良い。
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2010/9/28  22:51

サークル「コロポックル」の人たちと 2  1996〜97原付日本一周後半編

1997年6月11日

曇り時々小雨。


7:45にテレビが点き目が覚めた。
S君が朝の一杯の緑茶を入れてくれた。
9:00ちょっと前にアパートを出た。
彼はジェベルに乗っている。
昨夜、彼が昨年バイクで北海道へ行った時の写真を見せてもらったら、その中に石垣島の米原キャンプ場で会った尾張小牧ナンバーのセロー乗りのお姉さんが写っていたのでびっくりした。
その事を言ったら、
「世界って狭いですよねー」
と、彼は言った。

本当にそうだ。
僕自身、2人もそういう形で会ったから。

旅人ネットワークと言うのが、自然発生的に存在する。
旅する人なら誰でも入れる。
別に入会するとか登録するとかと言う事ではない。
出会った人たちの行き先や状況が、人伝いに聞こえるようになるのだ。
西表の加藤さんも同じ事を言っていたのを思い出す。

さて、彼と別れてからやることがなかった。
SEちゃんに耳塚で会うことぐらいだ。
のんびりと七条通りのコンビニの前でたった一個のパンで朝食。
天気はあまり良くないし、どうしようかなあと思っていた。

とりあえず、プラッと近くを走った。
彼女のくれたガイドの地図が解りやすくてとても役に立った。
「ロッジ」に行こうと思ったが、店はまだ閉まっていた。
10:30開店だった。

そうこうしているうちに、待ち合わせ時間が近づいてきたので、耳塚に戻った。
彼女は今日は10:30までの講義で終わりだというので、時間を都合してくれたのだ。
耳塚でしばらく雑談していたら昼になったので、マクドナルドで昼食にした。

好きな人と居る時は、いろんな事を話して、互いの理解を深め合った方が良いと彼女はアドバイスしてくれた。
AYさんとうまくゆくと良いねと言ってくれるとテレる。
彼女にも、彼とうまく行くと良いねと言ってやるとやっぱりテレた。
そのしぐさが可愛い。

「いやー、恥ずかしいな、何か・・・」

マクドナルドを出て、「ロッジ」へ行った。
自転車だと言うのに、彼女はすでに到着していた。

アウトドアグッズを見るのはとても楽しいものだ。
一応、次の目標である徒歩日本縦断の装備をちょっとさらっておこうと思い、店内を見て回る。
ザックは50〜70ℓ、まあ60ℓくらいか。
テントはドーム型で側面開き、なるべく軽く、フックによる吊り下げ式を望む。
その中で、候補に上がっていたのが、スリーブ式ではあるけれど、他は要求を満たしているエスパース・スーパーライト。(44000円)
ダンロップX-116だった。
シュラフはイスカのアルファライト600。
モンベルの♯3と同じ温度帯域ながらコンパクトだ。12300円。
コッヘルはエバニューのチタンのやつ。
バーナーはガスならプリムスのエクスカイザー。
灯油ならかなり重いがラジウスコンロ、マナスル96。
EPIのウルトラマイクロストーブは、手のひらにスッポリと入ってしまうほど小さい。
これも軽いと言う点では魅力だ。
そしてスパッツにコンパス(オリエンテーリング用)。
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2010/9/18  20:22

サークル「コロポックル」の人たちと 1  1996〜97原付日本一周後半編

1997年6月11日

一昨日、昨日と波照間のキビ刈りで知り合ったSEちゃんを始め、その子の所属する大学生サークル「コロポックル」の人達に会い、楽しく、本当に楽しく会話した。

おっとこれを書いている矢先、お巡りさんだ。
今、自分は出町の橋の下でテントを張っている。いやドキドキした。
まあ、最近神戸で小学生が首を切られて捨てられた事件などあったので、お巡りさんに見られても仕方ないなと思っている。
ここは京都のド真ん中だから。
とても優しい人だったので良かった。
「無理せんと、気をつけえや。」と最後に。

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以前、ここで浮浪者に対する暴力事件があったらしい。

さて、話を戻して、梅小路機関車館で長居してしまったので、時間が押してしまい、コインランドリーに行ったら、コロポックルのミーティングの時間が間近に来てしまった。
銭湯に行きたかったのに・・・

京都大学の校門をくぐったが、恥ずかしいったらありゃしない。
時計塔の下の木にSEちゃんを見かけ、その周りにそれらしき人達が居た。
こんにちわー、と挨拶し合った。

『大学生だ・・・キャンパスだ・・・』

SEちゃんがある程度自分の事を話してくれたらしく、とても馴染みやすい雰囲気があり、内心ホッとした。
校舎に入り、18:30頃ミーティングが始まった。
新入生の道具の買出しの事や、今年の夏休み北海道における行動計画の事が主な議題。
30人位いただろうか。
なかなかプランがまとまらないが、そんなものさ。
ミーティングを重ねる事で出来上がっていくものだから。

21:00頃一応お開きとなった。
どっかで飯を食おうと言うことになり、居酒屋へ。
コロポックルは、原則として割り勘であるが、自分はお客さんだからと言うことで、おごってくれた。
使える金が9000円を切った自分にとっては、本当にありがたい事だった。
皆20〜22歳の言わば弟や妹みたいなものだ。
自分の妹も22歳(1997年当時)だ。

かなり控え目な飲み会だったので、もう一軒、K君のすすめで天下一品と言うラーメン屋に行くことにした。
この時はS君とT君と自分の3人だ。
かなりクセのあるラーメンらしい。

注文して、出てきたラーメンは、スープがドロリとしているが、味はアッサリしていてとても美味しい。
密度の濃いスープを飲み干すのは難しい。いったいどうすればこんなドロッとしたスープになるのか分からない。
白色のスープだが、とんこつでは無いらしかった。
ともかく初めての感覚であった。一杯550円。

K君と別れてS君の住むアパートに今晩は泊めさせてもらった。
S君はとても話しやすい人だった。

かなりの旅人で、ネパールをトレッキングしたり、最近は日本100名山全登頂をやり出し、北海道の山もかなり登ったようだ。

自転車や250ccオフロードバイクなど移動手段は選ばない。
気持ちの良い好青年だった。
写真も見せてくれた。
「自分のは、記録的なもので、そんなにうまくないですよ。」と言っているが、なかなかどうして、きれいに撮れていた。

彼は冒険などの本が好きで、いろんな本を教えてくれた。
旅とは出会いだ。
SEちゃんに出会った事で、こうして現役の学生達と話をする事が出来たのだ。

深夜4:00位まで話していただろうか。
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2010/9/8  21:57

梅小路蒸気機関車館へ  1996〜97原付日本一周後半編

1997年6月10日

11:00〜11:20
伏見稲荷を見る。
鳥居の数と言ったら・・・。
ほとんど隙間無くビッシリと立てられている。
奉納者は全国各地津々浦々。
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深泥池の公園にて昼。
のどかで平穏な時を過ごす。
しかし、公園は草ぼうぼう、ゴミが散乱している。

14:00
梅小路蒸気機関車館
小学生の時に夢見た蒸気機関車。
日本に汽車を保存している所があるのは知っていたが、それがどこかはつい最近まで知らなかった。
波照間で知り合った京都に住む大学生のE子ちゃんの貸してくれたガイドに、なんとそこが京都市内にあるのを知った。
そして、ついに今日来る事が出来た。

かつて、日本を走りぬいた代表的な汽車が17輌、そして今も稼動できるものが6輌ここに居た。
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C62 2つばめ、D51 なめくじ、皆居た。涙が出そうになった。
プレートはピカピカに磨かれ、クランクやロッドは整備士達が油で手入れをしていた。
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飛行機、特に戦時中の物は日本国内に状態の良い実機はほとんど存在せず、あったとしてもハリボテみたいに悲しい状態だが、汽車に関しては日本も捨てたもんじゃない。
1日に3回、「スチーム号」と名づけられた8623号機が生きてる姿を見せてくれる。

最後の15:30の出発を見た。
乗車は一回200円。
わずか数百メートルではあるが、レールが敷かれており、シリンダーや動輪が生き物のように動く様を目の当たりにした時は、思わず目が潤んだ。

純粋に商売で物を運ぶ機械としては、確かにあまりに能率の悪い時代の産物だろうが、そんなの抜きにして、日本の黒い汽車はカッコいい。
またまた2時間も居てしまった。
お土産も良いものばかりで、お金がないのがとても残念。
今度来れたらスチーム号に乗り、ステッカー(440円)、メダル(300円)を買おう。

そして動く映像でスチーム号の姿を撮りたいものだ。
しかし、汽車と言うのは、ものすごい量の水と石炭を使うんだなと思った。
そして燃えカスの処理なんかもしなくてはいけないのだ。
機関庫の一部は煤で黒くなっている所もある。
16:15出発。
16:30〜17:45コインランドリーで洗濯。550円。
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2010/9/3  21:20

京都・奈良に入る  1996〜97原付日本一周後半編

1997年6月8日

晴れ。
9:25養父市場近くの運動場公園の空き地より出発。

13:32京都駅前通過。

昼飯は奈良市内の餃子の王将。
餃子180円。

唐招提寺、薬師寺、そして法隆寺へ。


ここ数日、「見る」旅がとても充実しているなと思う。
「出会う」旅は、道を通り過ぎてゆくライダーの何人かと手を上げたあいさつくらいのものだ。
鳥取のを過ぎた辺りから、国道9号線はけっこうライダーが多い。
バックパッカーもいたが、道中歩くのに夢中みたいだった。
近い将来、自分もあんな格好をして歩くのかな、と走りながら想像してみた。

バイクが時々、カキン、カキン、とイヤな音を立てる。
またスポークが折れたかなと見てみたが、それはなかった。
しかし、すでに3本は折れているから他の所に無理がきて、キシんでいるのかも知れない。心配だった。

昨日、テントを張り終えた時に、点検と注油をした。
チェーンにたっぷりとチェーンオイルを吹き付ける。
クラッチワイヤにも、ブレーキへの連動部にも。
エンジンオイル量を見てみたが、半分くらいに減っているが、粘度も割合あるし、汚れ具合もまあまあ。何とかなるだろう。

一番心配なのはやはり後輪だ。
タイヤ溝もツルツル、スポークが全部折れたらどうしようと思うと気が気でないが、金が無いから、どうしようもない。
早く帰らなきゃと思う反面、家に帰りたくないというのもある。

さて、京都に入った。市街地に入るのは3年振りだ。
あの時は、専門学校の同級のY君と一緒だったが、あまり楽しい旅行とは言えなかった。
道に迷わないようにと、しっかりと道路の案内板を確認し、走った。
おかげでスムーズに通過できた。
今日は日曜日。観光客がいっぱいだ。外人も多い。
駅はギラギラのガラス張りの大きな建物に生まれ変わっていた。
巷ではけっこう話題になっていたようだが、思えば約1年、僕は外に出っぱなしで、映像のニュースを見る割合がとても少なく、どんな事が起きているのか分からない。
ラジオでは物の姿は見えないから。

店に入ると、関西弁だ。
生の関西弁である。子供もしゃべっている。
あたりまえか。
関東の自分にとっては珍しいと思って聴いてしまうのだ。

京都を通り過ぎて、奈良へ。
京都と奈良の距離は、関東に例えると、厚木から新宿へ行くような感覚だ。距離にして40kmくらいか。

法隆寺が見たかった。
そして薬師寺。西岡常一棟梁が手がけた五重の塔を見たかった。
空は曇ってきた。車が多い。

山陰から京都方面に向かうにつれ、一日走り終えると、顔は排気ガスで黒く汚れる。
顔を拭くとタオルがとても汚れる。
良い気持ちはしない。

まず薬師寺。
拝観は500円。高くも安くもないが、今の自分にはこの金額はつらい。
外から見るしかなかった。
しかし、西岡氏の見事な仕事は、塀の外から見ても良く伝わった。
今は無き西岡氏に深い敬意を表す。

次は法隆寺だ。
高校の時に見そびれて、見たいと思い続けてから7年も経ってしまった。
それがついに見ることが出来る。
16:45
ああ、やっと来れた。
そこは駅とバス停のすぐ近くだった。
これなら電車で来てもつらくは無い。

バイクはこう言う時に良い。
停める場所には困らない。
寺は17:00に閉門してしまうので、人は少なかった。

世界最古の木造建築。1000年もここに建ち続け、風雪に耐えてきた偉大な文化遺産。
その姿はとても美しく、力強かった。
その存在感は、チベット山々や植村さんの冒険などと同じく心にキーンと突き刺さる。

やっぱり来てよかった。
僕も何か作る時、深く人の心に残る物を作りたい。

今回はここに来るのが遅くなってしまい、境内には入れなかった。
また来るよ。
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2010/8/31  23:27

兵庫県に入る。そして植村直己冒険館へ  1996〜97原付日本一周後半編

1997年6月7日

8:25
柳茶屋キャンプ場出発。 晴れ。

9:55〜10:35
七釜温泉公衆浴場にて風呂。180円。
湯船の湯は熱すぎて入れなかった。
湯の熱さは、北海道函館のだるま湯といい勝負。
湯量は豊富。

12:30頃
但馬空港
積極的に航空イベントを開催しているので、どんな所なのかちょっと興味があった。
天井から巨大な複葉水上機の模型が吊り下げられていた。
かなり精巧に出来ている。
フットペダル付きの本格的なフライトシミュレーターゲームもあったが故障中だった。
残念。
13:00出発。

13:30
植村直己冒険館

主にエベレスト登山や、北極圏犬ぞり旅行の時の品が多い。
とは言っても膨大な量だった。
F2のチタンモデル「ウエムラスペシャル」もあった。
ラジウスストーブもあった。
書庫には冒険物の本も豊富で閲覧は自由。


植村直己冒険館は、鳥取砂丘と同じく、兼ねてから訪れたいと思っていた展示施設だ。
冒険館は細長い形をしていて、ガラスとコンクリート打ち放しのモダンできれいな建物だ。
帯広の氷雪の家を見たときは、そのショボさにどうしようと考え込んでしまうほどだったが、こちらの整った設備を見て、ホッとした。

入場料は510円。
きれいな受付のお姉さんが2人。
入り口のすぐ右側で13分程の記録映画をやっている。
犬ぞりに乗りながら、激しくブレる8ミリの映像や、白と青の北極の風景の美しさに息をのむ。
ただ走っているのではない。
体を張って地球と対話している感じがした。
僕の原付旅など、植村さんの壮大な旅に比べたら、足元にも及ばない。

植村さんはやっぱりすごい人だった。来て良かった。

展示スペースは、壁一面に装備品が掛けられ、大きく引き伸ばされた写真と解説で展示されている。
幾つかの箱には穴があり、それを覗くと植村さんの8ミリによる記録映像が流れていた。
ソリからテントを取り出し、立てるシーンと、テントの中で肉を食べているシーン。
キビヤックを美味しそうに食べている写真が印象的だった。

本によく登場するプリムスの大型ラジウスストーブも、想像したよりは小さかった。
ぜひ欲しいと思った。
それを見て思ったのは石垣島の米原や波照間でキャンプを共にしたOKB君のマナスルはちょっと汚かったなぁと言うことだった。(笑)

自分の位置を星や太陽を使って測る六分儀ってどんなもんなんだろう。
植村さんはこれをマスターするのに随分苦労されたらしいけども、そんなに天測って難しいのかな?

ヒマラヤの蒼の空と神々の山に行きたい。
登るのはちょっと無理だけど、目の前で見たくなった。
手が興奮で汗ばんだ。

図書館は冒険やアウトドア関係の本が充実していて、見ごたえがある。
いくつか購入したいなと思った本があったので、題名と著者、出版社をピックアップした。
なんだかんだで2時間も滞在してしまった。
でもこれで良いと思った。
満足したから。
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2010/8/29  22:53

雨の日のテント  1996〜97原付日本一周後半編

1997年6月5日

早朝4:00頃、雷雨。

ラジオを付けたら、ラジオ深夜便の人生読本と言うのをやっていた。

ただ生きるのではない。
毎日の小さな事にも、あたりまえと思っている事にも発見があると言う。

世の中に雑用と言う物は無いのだとか。
雑だと思って煩わしくするから雑用になるのであって、それさえも喜びと感謝をもってすれば、それは素晴らしいことなのだ、と。

世の中の物で見えないものがある。
それは愛というものだ。

これは、人をどんなに解剖しても出てはこない。
しかし、それは確実に存在するし、それを与え続ける事でそれはますます大きく広がり、例え個人の肉体は滅びても、それはずっと残るものである、と言っていた。

雷でラジオに時折雑音が入り、激しい雨がラジオの声を掻き消そうとしたが、耳元にラジオを寄せて聞き入っていた。

AYさんの考えている事とよく似ていた。
そして、自分も考えるけども、時々目先の事にとらわれて忘れてしまう。

ラジオを聴いて、ハッと目が覚める思いだった。
与え続ける事。
そうだ、そうだった。

今日は午後晴れてきたが、このまま滞在した。
食糧はあるので心配ない。
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2010/8/28  17:59

大山と鳥取砂丘を見る  1996〜97原付日本一周後半編

1997年6月4日
今日は曇りと雨のため、走るのは休み。
テントに入りっぱなしで、カメラのカタログを見たり、本を読んだり、絵を描いたり、また、木彫りをしたり。
狭いテントの中で、これだけ充実した時間を過ごせるようになったのも、長旅のせいか。

午後には晴れてきた。
ここ(新屋の砂浜のこと)は、米子空港が近くにあり、自衛隊のC-1が離着陸を繰り返している。


6月5日
朝7:00頃目が覚める。
モヤっているが、天気は良い。
フライシートに結露。
朝飯を食べようと、コッヘルを開けたら、蟻がわんさか。
蟻を取り除き、食べた。

8:35出発。
植田正治写真美術館前に来る。
入場料は800円。中には入らず。

高松伸設計のコンクリート打放しの建築もカッコ良いし、中にも面白そうな仕掛けがあって、今度来たら絶対入ろう。
(2010年8月現在まで、その目的は未だ果たせず)

この美術館はとてものどかな所にあって、気持ち良かった。
美術館の向かいの彼方には、中国地方の最高峰大山が堂々とそびえる。
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11:00
大神山神社前。
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大山は火山だったらしい。
地元の中学生らしき団体が、遠足だろうか、たくさんいた。
ジャージ姿が懐かしい。
大山という文字がとてもシンプルに感じ、自分の住む神奈川にも同じ名前の山があったので、妙に惹かれるものがあった。
神奈川の大山とは違い、かつて火山だったと言う事もあって、頂上付近は荒々しくそして威厳があった。
注※この当時、自分は大山を「ダイセン」と呼ぶとは知らず、「オオヤマ」だと勘違いしていた。恥ずかしい限りだが、日記そのままを載せておくことにした。

14:12
鳥取砂丘。
日本で最大級の砂丘。
中学生の時に、学習辞典や地理の本などで見て、いつかこの目で見たいと思っていたものが、今、ここにあるのだ。

自分のイメージは、もっとダダッ広いものと思っていたが、本で見た写真がそういう風に撮られていたからであろう。

砂漠、と言うよりは、シットリと潤った広い広い砂浜と言った方が合っていると思った。
海のある砂漠ってのは変だ。
しかし、観光屋はラクダを使って、2000円で乗せるサービスなどしていて、あくまで「砂漠」として売り込んでいるのかあ?と思った。

前に見える、巨大な砂の丘に行くことにした。
こうしてここに来れたのが嬉しくてしょうがない。

でも、今の僕は一人っていうのが寂しく感じてしまう。
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写真を何枚か撮った。
丘は結構な勾配で、30メートル位はあったろうか。
少し息が上がる。
海からの風で、砂の波模様が出来ていて綺麗だったが、陽がまだ高いので、見え具合はあまり良くなかった。
斜陽になったらきっとメリハリがついて写真映えしそうだ。

風が吹くと、丘の稜線が砂でぼやけたように見える。
しゃがむのはカメラが砂まみれになりそうで無理だと思った。

風は海から吹いていたので、空気はべチャッとしていた。


「砂丘や・・・来たんや。」


これで、山陰で自分が見たいと思ったものは全て見れた事になる。
満足感もあるが、またいつか時間をかけて、今度は彼女と一緒に来たいな。

空いていたフィルムケース1個に砂を詰めた。

時間的にこれから移動するのは中途半端だ。
近くに無料のキャンプ場があるからそこに泊まろう。

鳥取砂丘に来た事で、僕の旅はほとんど完成したと言っていい。
旅は終わりに向かっている。

でも、家に帰ると言うと、気が進まない。

さて、街に買出しに行ったら、金ちゃんラーメンと好きやねんを久しぶりに見た。
思わず顔がニヤッとなった。
とりあえず金ちゃんラーメンの方を買うことにした。

16:30
柳茶屋キャンプ場着。
今夜は豚ばら肉丼だ。
粉末のガーリックコンソメを米に混ぜて、ばら肉と一緒に炊いたら美味かった。
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2010/8/27  20:02


1997年6月3日

晴れたので、出ることにした。
早めにパッキングを済まし、出発。7:45頃だ。

丁度学校の登校時間でもあったから、女子学生の自転車登校風景があちこちで見られ、穏やかな日本のひとときを感じる。

走っている時の朝の10:00までは実に気持ち良い。
しかし、時間が経つにつれ、だんだんとイライラしてきて、尻も痛くなって、疲れてやっと次のキャンプ地に着くと言うのがいつもパターン。


松江と境港の間に、八束町という島のような町がある。
ここにはまるで撃沈されたような、と言うか座礁したと言うか、そんな感じに朽ちた漁船が何艘もあった。
近くを歩いている人に聞いたら、小船を波から守る為に、廃船になった船体を沈めて防波堤にしている、との事だった。
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それにしても不思議な光景だ・・・

ここを過ぎるといよいよ鳥取県だ。
写真家植田正治ゆかりの地。
案内板を見ると、水木しげるロードと言うのもあった。
今日はそこには行っていない。

新屋という砂浜にテントを張った。
今日はたくさん走った。
星の砂の選別でもしようかと思ったが、メシを食べたらどっと疲れが出てきたので、休むことにする。
翌日はどうも雨らしい。
しかし、天気予報はあまりあてにならん。

南から徐々に上がってきて、ここまで走ってきたが、さすがに気候の違いを感じて、とても涼しい。
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