2008/12/4  10:32


1997年5月7日

OKB君、NT君他かなりの数の米原軍団(?)がキャンプ場を後にする。
20人近くいるだろう。

朝、皆がテントを撤収するガサガサという音で目が覚めた。
自分はムクリと起き出して、傍らで皆が片付けているのを眺めながら、紅茶とツナ缶で朝食。
NT君はなんだかんだと言いながらも割合早くパッキングする。

OKB君はなんだか知らぬが遅い(笑)。
他の人達はパッキングも済んでおしゃべりしているが、彼だけはテントすら畳まれていない。
船の出航には、かなりの余裕があったから、マイペースで進めているのだろう。

出発の前日からOKB君は

「K君。俺、八重山出るから・・」

と何度も繰り返し言っていた。
何があったか知らぬが、長く居過ぎたから早く出たいと言う事なのだろう。

これは自分もそうだと思っているから分かる気がする。
内心、焦っている反面、もうちょっと居たいというのもあった。

「K君。俺・・・・八重山出るから。ずっとここに居たら気が狂っちゃいそうだから。」

「K君・・・・もういいわ。俺出るわ。」

OKB君さっきからこればっかである(笑)。

そんな彼も、ようやくパッキングが終わった。
彼のカメラで記念撮影。
お別れだ。
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パッキングを済ませ、おしゃべりしていたキャンパー達もそろそろ潮時とばかりに次々とエンジンかけ、暖気もそこそこに出発していく。

静かだ。

ちょっと前までにぎやかだったキャンプ場から、人が急に居なくなったから、妙なギャップを感じてしまう。

サボテンさんの居る2号棟に遊びに行く。
彼から魚をご馳走になる。

出発した彼らを見送るつもりは無かったのだが、やっぱり気になってしまい、出かける事にした。
ここから港までは20kmある。間に合うかなと心配した。

しかし到着してみたら船はまだコンテナやトラックの荷物を船内に搬送中。
バイクの積み込みすら終わっていない。
予定よりだいぶ遅れているようだ。

ターミナルの待合室で、皆のんびり話しをしながらくつろいでいた。
NT君が気付いてくれて
「あ、来てくれたん?」
さっきの話しの続きをするような感じで。
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ちょいと好みのタイプの千葉のお姉さんもいた。
キャンプ場にいる時から気になっていたのだが、話しかけられないでいた。
女性にもよるが、基本的に中々自分から切り出せない。

OKB君とNT君が
「彼女一人だぞ、行け!」と言った。
恥ずかしながらも、話をしてみたら気さくに応じてくれて嬉しかった。
自分のカメラで記念写真を撮らせてもらった。やった。
恥ずかしいので、肩を並べる勇気すらないのが現れている。
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さようなら、米原のマドンナさん。
OKB君とNT君が、千葉のお姉さんの事で僕を冷やかす。

西表で偶然再会した「おっさん」こと大阪のAKちゃんも居た。
女の子なのに、「おっさん」っていうのがなぁ(笑)
「Kく〜ん!なんでいるのぉ〜?」
「見送りに来てやったぞ。もう西表から帰ってきたのか?もうちょっと居るのかと思ったら。」
「もういいわぁ。あたし帰る!飛行機の切符も買っちゃったもんね〜。」
「那覇から直で大阪?」
「そうそう。ところでK君本当に歩くの?」
「まあ・・・そのつもりだけど。いや・・・分からないよ、できるかなんて。」
自分は、今回の日本一周終わったら、日本徒歩縦断を考えていた。

まあ、こんな事を話しながら待っていた。

さっきからなんか臭いなあと思ったら、ブタを船に積んでいたからだった。

いよいよ乗船の時間。
「見送りです。」
と船員に言えば、船の中に入る事ができる。

自分は見送りデッキから船の方を見ていた。
甲板からもこちらを見ている。
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午前11:30。
1時間遅れで出航。
見送る側も、送られる側も皆が共に手を振った。
千葉のお姉さんに手を振ったら、向こうも気付いて手を振って返してくれた。

AKちゃんはどこかな?
と見渡したら、ちょこっと出てきて、手を振ったらすぐに引っ込んでしまった。
「ありゃ。えらく引っ込むのが早いな。」
まっ、いいか。

こうして、皆再び各々自分の気の向くままに旅立って行った。
寂しいとか悲しいと言うのは全く無くて、楽しくて実に気持ちの良い別れだった。

またどこかで会えたらいいな。
そんな気持ちだった。
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2008/11/8  18:14

運命的出会い  1996〜97原付日本一周沖縄編

1997年5月6日

運命的・・・・
ちょっと大げさな言い方だが、自分にとっては久しぶりに新たな人との気持ちの良い出会いだった。

ゴールデンウィークでにぎやかだった米原キャンプ場も、いつもの静けさを取り戻した。
西表の加藤さんを訪れた時に、良い雰囲気の板彫刻があり、作ったのは藤原仙人掌(さぼてん)さん(以後サボさんと書きます)と言う人らしいと知る。
米原キャンプ場にいると知って、ぜひ一度話をしたかった人だ。

1号棟の方にいると聞いたので、彼のテントへ行った。
かなり長く滞在していて、テントが傷まないように、ブルーシートで屋根を作ってある。
テントの前には、彼に作りかけの彫刻が幾つも置いてある。
お地蔵さんが多く、とても可愛らしい顔に彫ってあり、微笑ましくなる。
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白く飛んでしまったが、看板には「オーリトーリ(ようこその意らしい)」と彫ってある。

彼のテントの周りには、「命」と言うものがあふれているような気がした。
実際、ここに来る小鳥とかは、かなり近い距離でも全く恐れを感じていないようだ。

どんな挨拶をして、彼と話し始めたかは忘れたが、スッと入っていける人だと直感した。
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いろいろ話していたら、波動に興味があるらしい。
お互い興味のある物が似ていたので、面白くなり、あっという間に夕方になった。

サボさんは、「創る」と言う事を心から楽しんでいるんだなーと思い、自分も何だか嬉しくなってきてしまう。

これがきっかけで、サボさんとの交友は今も続いている。

彼はこの後、作家となり、膠原病という難病を患うが、活発に創作・展示活動をしている。
結婚もして、今は一児の父親。

住まいが関西なので、頻繁に会う事は出来ないが、どうしているかなー?と思うと突然ポッと現れたりして、とても面白い。

サボさん、自分はまだフラフラした人間ですが、今後もよろしくです。
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2008/11/5  23:03


1997年5月5日
ゴールデンウィーク最終日
黒島へ観光。
高速船のスバル18号に乗る。
日帰りだから、往復券(2150円)を買った。
エメラルドグリーンの海を爽快に走る高速船。
30分ほどで黒島到着。

レンタサイクル(2時間400円)を借りて、トロトロと島を一周した。
黒島にも神様の森が15ヶ所存在する。
「おがん」「うたき」「わん」と呼ばれるらしい。
入り口は鳥居が立っていて、波照間とは感じが違っていた。

仲本海岸の東屋で涼しくて気持ち良かったので、ベンチの上でウトウトとしてしまう。
人が少なくて、静かだった。

ボンヤリと海を眺めていたら、ウェットスーツを着た女性が泳ぎ終わったらしく、こちらに向かってきた。
東京の人だった。
「魚いますか?」
と聞いたら、
「いますよいっぱい!こんな所で寝ていたらもったいないですよ!」
と言った。

少し雑談した後、その人と別れて、また島をウロウロした。
何もないが、いい所。
日帰りではもったいないなと思った。

レンタサイクルの返却時間が迫ってきたので、自転車は返した。
高速船の時間まではまだ間があったので、歩く事にした。
伊古桟橋と言う所に行ってみたが、コンクリートが崩れていた。

ビジターセンターがあったが閉まっていた。
その近くに「プズマリ」という、石を積み上げた昔の構造物があった。
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波照間にあった「コート盛り」と同じだろう。
大きさはプズマリの方が大きかった。

さて、そろそろ船の時間だ。
アスファルトの道をテクテク歩き港へ。
途中、ナンバープレートのついていない車が何台か走っていた。
ここは登録がいらないのだろうか?
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2008/11/1  11:50

石垣島に戻り・・・  1996〜97原付日本一周沖縄編

西表島はとりあえず巡ったので、石垣島に戻る。
ラジオでは、4月30日に沖縄は梅雨入りしたという。
こりゃいかん。早く沖縄を脱出せねば。

石垣に向かう船の中で、写真家の人と話す。
写真の世界に入って15年(1997年当時)。
八重山、奄美、西表などの生態を撮っているとのこと。

生態写真は何よりもまず、観察だと言っていた。
相手の動きのくせ、いつも通る道を探し、己は匂いを相手に感づかれないように離れた所から、カモフラージュしてじっと観察する。

写真に撮るというのは、観察して相手を熟知した上での最後の仕上げなのだそうだ。
その時は、熱感知センサー付きのカメラで撮るらしい。
昆虫、鹿、ヤマネコも撮ったという。

面白かったのは、人の全く入らない領域でのジャングルでの生活だから、パンツもはかずに、素っ裸で過ごすのが実に気持ち良いらしい。

「機会があったら、ぜひやってみるといい。」
とおっしゃってました(笑)。

さて、数日振りに米原(よねはら)キャンプ場に戻る。
しかし、ここに来ると決まって頭痛になる。

何かあるなここ。

巷では、ゴールデンウィークらしく、キャンプ場はけっこう混んでいた。
5月4日
市内に買い物に出かける。
石垣市立図書館で本を読む。
頭は痛かったが、テントに居るよりは少しはマシだ。

ふと外をみたら、ドシャ降りの雨。
どうせすぐ止むだろうと思い、すましてアサヒカメラなどを見ていた。

夕方、雨も止み、やましょうで食糧の買い込み。
ここは安いので助かる。
サザンゲートブリッジで、今では珍しいキャンバスの軍用三角テントを使っている、キビ刈り仲間のOG君と再会。
彼は、夜に730交差点で、知り合った数人のキャンプ仲間と、ストリートミュージックをしているのだとか。
彼は、お得意のハーモニカで演奏しているらしい。

自分は、もう少し八重山巡りをするとしよう。

KS君とNT君は、7日に出るらしい。
渡嘉敷、奄美、屋久島と行ってから、本土を走ると言っていた。
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2008/10/31  13:56


加藤さんとの出会いが、西表でいちばんの思い出となった。

その後は、「普通」に島内観光。
ジャングルの中を入るのも面白そうだが、今回はパスした。
なんだか、また来そうな気がしたから。

西表の有名な生態と言うと、西表ヤマネコとか、マングローブ、サキシマスオウなどの独特の樹木だろうか。

ヤマネコには出会わなかったが、看板はいくらでも見た(笑)。
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サキシマスオウの特徴は、地面から板状に張り出した根だろう。
板根「ばんこん」と呼ぶらしい。
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南風見(はえみだ)浜の近くにある、「忘レナ石の碑」も見逃せない場所だ。
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戦時中に、波照間から西表と石垣に強制疎開させられた学童達が、風土病のマラリアにかかり、南風見浜からぼんやりと見える波照間の島影を見ながら、島に帰りたいと言って、望み果たせず死んでいった、という悲しい話が残る所だ。
後年、生き残った方々がその気持ちを忘れまいと、ここに碑を築いたと言う事だった。

その子供達の魂が、浜にいるヤドカリになって生まれ変わっているのだから、食べてはならないと言われる。
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2008/8/15  21:41


加藤夫妻と夜遅くまで話がはずみ、この日は一泊させてもらう事になった。
キャンプ場のテントの中はそのままだが、まあ盗む価値のあるものは置いてないので、大丈夫だろう。

翌朝、11:00くらいまで加藤さんの所にいて、テレビなど見ていた。
加藤さんともっとたくさん話したいなと思ったが、前にも進みたい。

今回はこれまでと割り切って、また訪ねる事にしようと決めた。
テントに戻り、洗濯物を片付けた。
星の砂の浜の風は、全てを乾かしてくれた。

テントに戻って暑い中を、ボーっと過ごした。
加藤さんや、そこの猫達の存在がずっと心に残っていて、また会いたいなあと思った。
再び加藤さん宅へ向かう。
「こんちはー。」
言ってみたものの、自分の悪い癖で、つい遠慮してしまって、次の言葉が出なかった。
「あのー。写真、一緒に写ってくれませんか?」
と言うのが精一杯。
「え〜?なーんかめんどくせえなあ。」と照れながら答えた。
そんな事を言っても、ちゃんと一緒に写ってくれた。
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本当はもっとたくさんの話を聞きたかった。
でもどうしても言えなかった。

「昨夜の晩飯どうもありがとうございました。それではまた、前へ進みます。」と言ってしまった。
「あれだろ、またこっちへ流れてくるんだろ。そうしたらまた来ればいいサ。」
なんと嬉しい言葉だろう。

しかし、加藤さんとはこれっきりで最後だった。
数年後の風の便りで、加藤さんは病気で亡くなってしまったと聞いた。
これを聞いた時は本当に寂しかった。

さて、星の砂キャンプ場を出て、上原のフェリー乗り場からちょと離れたところをブラッとしていたら、米原で会った徒歩旅の女の子キャンパーが向こうからテクテクと歩いて来た。
僕が気付いて手を上げたら、向こうがビックリして手を上げて答えた。
バイクを止め、5日振りの再会を喜ぶ。
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この子の名前も住所も知らなかったので、会えて良かった。
女の子なのに、キャンプ場でのあだ名が「おっさん」だったからなあ・・・。
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2人で1時間くらい話していただろうか。
自分も徒歩の旅をやってみたいと話したら、
「歩きはしんどいヮ〜。」と、本当にしんどそうに答えた。

荷物を背負わせてもらった。
ズシッとしたが、重心を上にしてあるので、とても背負いやすかった。
さすが徒歩旅。重量配分がしっかりしている。

フェリーに乗る時間が近づいてきたので、別れた。
この子はその後結婚し一児の母。
今も交友は続いている。
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2008/7/13  13:38

西表島の人を訪ねる  1996〜97原付日本一周沖縄編

波照間島で知り合ったジュンさんが教えてくれた、西表に住むジュンさんのスピリチュアルフレンドの加藤さんを訪ねた。
自然農法で米を作っている人だ。

自分が訪問した4月は割合暇な時期のようで、別の仕事をしていた。
17:00頃訪ねると、部屋の方から元気な明るい声が返ってきた。
「あー!どうぞぉー!」

「失礼します。」

玄関に、猫が5〜6匹山のようになってかたまって眠っている。
「いやー、もっといるんだけどねー。」

「え!?この他にまだいるんですか?」

「そうよぉ。」

部屋に入り、雑談する。
ジュンさんとの関係を聞いてびっくり。3回しか会ったことがないと言う。
加藤さん曰く、人とのつながりは会う回数ではない。
たとえ1回きりでも、互いがその時楽しかったらそれで良いと思う、と言うことだ。

加藤さんは西表に25年(1997年当時)住んでいる。
17〜19歳の時に歩いて旅をして、あちこち行っていたようだ。
この人も旅人だったんだと知ると、気さくな飾らない話し振りもあって、歳の差とか関係なく、とても親しみがわいてきた。

米作りをしているとジュンさんから聞いていたので、「農業なんですか?」と聞くと、即座に否定した。
「いや、僕は農業は嫌いなんだ。工業とかと同じで、ただ無味乾燥に物を生産して、病弱な品質の悪い物を売る事はしたくないんだ。」
「僕は百姓で、作る事が楽しいんだ。」

ははー。ジュンさんがこの人を教えてくれた理由が分かったような気がする。
加藤さんは、とにかく水稲を育てるのが楽しくて、楽しくて仕方ないらしい。

そのとき、奥さんも帰ってきた。
姉さん女房で、東京の人だった。波照間大好き人間だ。

ピタンガという果実を出してくれた。
赤い色で、一見野イチゴのような形をしている。
酸っぱくて、いかにもビタミンCがいっぱいと言った感じの、美味しい果実だ。
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奥さんも加わって、3人で雑談を楽しむ。
二人のお話を聞いていると、どうもこの家には様々な人種、様々な性格・年齢の人が訪れるらしい。
来るものは拒まず、まさに「人を呼び寄せる家」なのだ。

僕のように口コミや、伝手をたどって来る者も多い。
だからと言って、ここは民宿でもユースホステルでもない。

「変な所でしょ?」
とご夫婦揃って言いつつも、そう言うのをとても楽しんでおられるようだった。
猫達も人懐っこくてスリスリして寄ってきてくれる。

すっかり陽も落ち、夕食をごちそうになり、さらに話を聞く。
加藤さんは旅人だったから、タテの関係ではなく、ヨコの輪と言うものをとても大切に考えているようだった。
そうしてできた友達や知り合いを、とても誇りにしているし、大切にしている。

これって、人間が人間らしく付き合う原点なんじゃないかなと思った。

会った回数ではない、互いが打ち解け合い、楽しいと言う事。充実していると言う事。
それを「うらやましい。」と突き放して指をくわえて見るのではなく、そこに入っていけばいいんだ。
彼らは「絶対」良い人達だから。

一つの場所にこだわる必要はないんだ。
視野を広げて、たくさんものを見るがいい。
必ずそこには会うべき人がいるから。

加藤さんの話を聞いていると、楽しくてワクワクする。
まだまだ興味は尽きないが、夜も更けたので、お開きになり、一泊させてもらった。
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2008/7/7  23:18


1996年4月28日〜30

朝7:00頃起きて、早速パッキングの準備にかかる。
なにしろ荷物が多い。
早いところ、余計な物は家に送らなければ。
フィンランドの話を聞かせてくれた、大阪のNさんが起きてきて、話しかけてきた。
Nさんは5月1日に帰るとの事だった。

準備は整った。
8:00出発。
8:40頃離島桟橋着。
西表の大原行きの船に乗る。
フェリーかりゆしという名前だ。
一見すると、自衛隊か軍の上陸用舟艇みたいだ。
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船一杯、ギチギチに荷物を積んで、バイクはギリギリ載ったという感じだった。
覆うものがないので、天気が悪かったら、まともに波をかぶってしまうだろう。

天気が良くてなによりだった。
のんびりと100分船の上で過ごす。

11:10大原港着。
さあ、やっと西表に着いた。
港にある東屋の下で少し休んでから、南風見田(はえみだ)へ。
大原から7〜8km位のところだった。
浜にテントを張る人はほとんどなく、浜に沿って生えている林の中にひっそりとテントが散らばっていた。

とりあえず下見だけして、この日は星の砂の取れる浜へ向かった。
20km位走ったところで、雲行きがあやしくなり、とうとう雨が降ってきた。
ちょうど由布島のあるあたりで、屋根のある美原のバス停で雨宿り。
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しかし雨は激しくなる一方だった。
このままここにいるわけにもいかないので、雨装備をし、バス停を出ようとしたその時だった。

手押しでバイクを切り返そうとした。
荷物が重くて少しバイクがふらついた。
はじめ、後輪が土手の縁に落ちて、あわてて前ブレーキをかけたが効かず、そのまま土手にズルズルと落ちてしまった。
土手の高さは2メートルはあったろうか。

ア!アレアレ・・・アレレレ・・・・。

左足が挟まって抜けなかったが、痛くはなかった。ちょうど溝に入ってバイクに当たらなかったようだ。

さて困った。

バイクを起こそうとしたが重くてだめだった。
その時に、NTTの人が2人通りがかって、「大丈夫か?」と助けに来てくれた。
3人で土手から上げ、ようやく落ち着いた。
助けてくれたNTTの人にお礼を言い、気を取り直して星の砂に向かおうと思ったのだが、とにかく雨の降りが激しい。

土手の一件でドッと疲れたので、南風見田浜に引き返す事にした。

そうしたら、いつの間にか雨は上がり、シットリと濡れた雨具も乾いてしまった。
青空も見えてきた。
これが南のジャングル島、西表の天気なのかな?と思った。

とりあえず、浜の入り口付近にテントを張ることにした。
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2008/7/3  22:24


1996年の7月に、北海道を回っていた時の事。美瑛の白金キャンプ場で大阪のキャンパーNさんと出会った。

そして、1997年になって、ここ米原で偶然再会。
彼は自分の名前を覚えていてくれて、ダンロップのテントとベンリイCD50を見て僕だと確信し声をかけてくれたのだそうだ。

ソーセージなど焼いて食べさせてくれ、1月にフィンランドに行った話しを聞かせてくれた。
マイナス30℃にもなると鼻毛が凍るという感じが分かったと言っていた。
消費税が22%で、治安は良く、夜も割合安心して出歩けるらしい。

ただ、食べ物が合わないと言っていた。
香草を何にでもたっぷり使うので、香りが強すぎて、美味しくなかったらしい。
持参したレトルト粥の方がはるかに美味しかったとか。
野菜の酢漬けにからしをつけたものや、トナカイ肉のステーキも味付けがひどく、食べられなかったらしい。
Nさんにとって、フィンランドの料理はいまいちだったようだ。

彼は、次回はオーストラリアに行くと言っていた。
大阪に来たらぜひ寄ってくれと言ってくれた。

さて、自分は、そろそろ八重山巡りをしたいな。
まずは西表に行こうと決めた。
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2008/7/1  21:21

不思議なきのこ  1996〜97原付日本一周沖縄編

のんびり米原キャンプ場生活。

波照間では、ろくにベンリイCD50に手入れをしなかった。
サビ取りに、チェーン張りに、チェーンオイルの補充に、クラッチの調整。

あとはずっとキャンプ仲間とだべっていた。
自分としては、ここに長居せずに残りの旅をしないとなあという思いがある。
しかし、みんなは「もっと長く居ろ〜。」と言う。
居心地が良いので、時間とともにダラーっとしてくる自分がいて危ない危ない(笑)。

夕方、クマさんがどっかから採ってきたという、きのこのスープを作っていて、ひそかに待っていた。
晩飯は煮た米とたまご焼き。それに、クマさん特製の怪しいきのこのスープ。
スープの味は悪くない。

「で、クマさん。このきのこ、何?」
「あ、それね。マジックマッシュルームだよ。」
「牛の糞によく生えているよ。大丈夫、ちゃんと洗っているから(笑)。」



は?




マジックマッシュルーム?

牛のウンコォ〜?


一緒にいたキャンパーに、少し詳しく説明を聞いてびっくり。


マジックマッシュルームとは
ウィキペディアにリンク


幻覚キノコの一種で、LSDのきのこ版らしい。
ものすごくハッピーな気分になったり、反対に沈没したり、色彩が鮮やかになったりするらしい。
ただし、一度に大量に食べると、幻覚が過ぎて、高いところも恐怖感がなくなり、飛び降りたりして、死ぬ事もあるとか。

ひえ〜こんなもの食べちゃったの〜?

クマさん曰く
「K君のはごく少しだから、大丈夫だよ(笑)」

1時間くらいしたら、脳がジワジワとシビれてきた。
体中の力が抜けていく感じだ。

クマさんに連れられて、砂浜に出た。
キャンプ場は砂浜の隣なので、歩いてすぐが砂浜なのである。

自分は黄色いもの、例えば落ち葉とか流木などが鮮やかに見えた。
海を見てみるとさざ波が虹色に見えた。
はじめは風で波が立っているのかなと思ったが、動きが変だ。
よく見てみると勝手にうねっている。
自分の意識で、その虹色の波を動かせるのだ。

ははー、これがマジックマッシュとやらの効果の一種ですか。
軽ーーい麻薬みたいなものだろう。

クマさんは僕のは量が少ないと言ったが、それでもけっこうフラフラする。
酒に酔ったのとは違うフラフラ感。
何人かそのスープを飲んだが、全く症状が出なかった人もいて、効果は人それぞれらしい。

その後もう一度別の友達とマジックマッシュルームを食べる機会があったが、この時は何も症状が表れなかった。

これは1997年当時の話です。
2002年から、マジックマッシュルームを、幻覚遊びなどで栽培・採取する事は法律で禁じられています。
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2008/6/25  22:09


絵を描くのが好きなクマさんは、4ヶ月の間に絵をたくさん描いてきた。
与那国島でペンキ屋のバイトをしていたらしい。
Z君も後から帰ってきた。

キビ刈り隊の隊長だったOさんは、残念ながら3日前にキャンプ場を出て行ったとの事だった。
ちょこっとでも会いたかったな・・

Z君クマさん自分の3人で再会の杯を交わした。
いつ飲んでも泡盛はキツイ。

クマさんの絵を見せてもらった。
頭にガーンと衝撃がきた。すごい。
「天才」だ。
この色使い、構図、抽象的表現力。
素の芸術ってこういうことなのだろう。感動だった。

そんなクマさんに会えて本当に嬉しかった。

祝杯の泡盛が効いてきた。フラフラする。

一人、23歳(1997年当時)の大阪の女の子キャンパーがいる。
明るくていい子だ。
キャッキャキャッキャ言っているが、シリアスな所もきちっとあって、好感の持てる子である。
風景写真を撮るのが好きで、尾瀬の山小屋のバイトに行った時も撮っていたようだ。
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2008/6/23  21:44

波照間離れる  1996〜97原付日本一周沖縄編

1997年4月24日

・・・ついにこの日が来た。ウソではない。本決まりだ。
4ヶ月に及んだ波照間での生活も終わりである。

ここは本当にいろいろな思い出のつまった島だ。

きび刈りのこと。
Uさんと出会ったこと。
飛び魚漁のこと。
島の人たちのこと。
沖縄の音楽や文化のこと。

今は、僕の生きる道の本当の意味での分岐点なのだ。

しかし、反面、また走らなくてはいけないんだなという、かったるさがあるのも本当である。
日本一周の残りを走るのがおそろしく面倒くさい事のように思えてしまうのだ。

AM10:00頃目が覚めた。
さーて、片付けだ。
フルパッキングなんて4ヶ月振りだもんな。うまくまとめられるかな?
まっ、やるしかないな。と、のんびりまとめに入った。

うちわだの貝だの泡波だのと余計な物もあるからなかなかまとまらない。
知らぬ間に荷物が相当増えてしまったようだ。

それでもなんとかまとまり、バイクにくくりつけ、後は折りたたみバケツに放り込んだ。石垣島に渡ったら、余計な荷物は小包で送るつもりだ。

ゴミや忘れ物がないか確認し、居心地の良かったモンパの木の下テント場に別れを告げ、出発。
フルパッキングで走るのはこれも4ヶ月振り。
荷物が重いのでフラフラし、とても窮屈だ。

船の出港までには時間がある。
最南端の所へ行き、高那崎を見渡した。
結局星空観測タワーに行く事はなかった。

島一周道路を走りながら、4ヶ月に起きた様々な出来事を思い出す。
キビ刈りが終わった島は、とても静かで穏やかだ。

数日前に撮った誰もいなくなった寮。
トタン屋根で、雨が降ると話し声は聴こえなくなるし、あちこち雨漏りする粗末な家だったが、世話になった家だ。
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集落に入り、名石売店で八重泉を買う。
キビ刈りでとてもお世話になったKMさんへのお礼だ。
売店の外にあるテーブルでKMさんにお礼の手紙を書き、KMさんの家に行く。
あいにく留守だったので、酒と手紙を置いていく。

名石売店で店番をやっていたよしみさんは、とても良い人だ。
キビ刈りの分散会の時、三線を持って歌ってくれたり、人生談義などもした。
よしみさんのパートナーのじゅんさんには、いろいろ痛いところを突かれたが、これも自分の人生の指南だと思って受け止めた。

学校の卒業記念の壁画を見る。
べスマとは、私の島と言う意味。
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ターミナルに行き、OMさんの奥さんにあいさつした。

フェリーにバイクを入れた。
キビ刈り隊では僕が一番最後に島を出るので、見送りする人はだれもいない。
そこが最後に残った人間の寂しいところだ。

因みに、途中で辞めてしまった飛び魚漁だが、大漁過ぎて値が下がり、「大漁貧乏」状態だったそうな。

15:00
船が出港する。
ついに、ついに波照間を離れた。

この時も、色んな思いをめぐらせて島を見渡した。
悲しさは全くない。
すぐまた来るさ、と言った軽い感じだ。

船室に入ると、操舵室から三線の音が聴こえた。
そして歌が始まった。実に上手だった。
1時間くらいやっていただろうか。
船室でボーっとくつろいでいた。

石垣島に着いたら、まず米原キャンプ場だな。
誰か知っている人いるかな。
Z君NT君、くまさん、etc...
いないかな?

17:25頃石垣到着。
買い物も何もせず、まっしぐらに米原キャンプ場に向かう。

誰かいるかなーと思いながら、キャンプ場をウロウロしたら、いたいた。
髪がのびたNT君とくまさんが。

あいさつに手を上げる。
向こうさん、はじめはきょとんとして手を上げた。

そしたら、思い出したか、急に「オオオオー!」と声を上げてきた。
「おお!K君戻ってきたかぁ!」

1号棟の炊事場にテントを張ることにして、荷物を降ろす。
4ヶ月振りに互いに積もった話をしあった。

旅先の出会いとは言え、再会できると、古い親しい友人と会ったような気分だった。
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